岩徳線(がんとくせん)は、山口県岩国市の岩国駅から周防高森駅を経て、山口県周南市の櫛ケ浜駅(列車運行上は同市の徳山駅)に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。全線非電化、単線の路線だが、元来は山陽本線の短絡線として計画され旧山陽道に沿うルートで建設された歴史的経緯があり、やや急な勾配と長いトンネル区間を有する。全区間を広島支社の徳山地域鉄道部が管轄している。路線図や駅掲示時刻表のシンボルで使用されているラインカラーは青緑()。山陽本線の岩国駅 - 櫛ケ浜駅間、山陽新幹線の新岩国駅 - 徳山駅間は経路特定区間に指定されており、この区間を通過する場合の運賃・料金は岩徳線経由の営業キロおよび対応する運賃計算キロで計算する。各駅に停車する普通列車のみで快速列車は設定されていない。徳山駅 - 岩国駅間の列車が1時間 - 2時間に1本程度が運転されている。平日と土曜日の朝には周防高森発岩国行きの列車がある。このほか、岩国駅 - 川西駅 - 森ヶ原信号場間には錦川鉄道錦川清流線の列車が乗り入れている。かつてJR西日本が閑散線区において線路保守のために月1回程度、日中の列車を運休していたときは、当線もその対象となっており、奇数月の第2水曜日に日中運休していた。ただし、岩国駅 - 森ヶ原信号場間に乗り入れる錦川鉄道の列車は、当該運休時間帯でも運休していなかった。一部を除きワンマン運転を実施している。運用車両はすべて下関総合車両所(旧・山口鉄道部車両管理室)配置のキハ40形かキハ47形である。キハ40形では2 - 3両で運転している場合もある。車両所のある新山口駅と徳山駅の間で回送列車が運行されている。この回送列車は2006年3月17日まで旅客を扱う岩徳線経由の新山口発岩国行きの営業列車として運行されていた。またかつては、逆の岩国発新山口行き(岩徳線経由)も運行されていた。国鉄時代には新南陽駅を発着する列車もあった。列車の速度は山陽線経由より遅いものの、距離が短いため、ダイヤによっては当線の列車が山陽本線の先発列車を追い抜く形で岩国や徳山に先着するケースもある。例えばかつて山陽本線下りで、山陽本線の普通列車が岩徳線より数分先発するものの、貨物列車の待避のために柳井駅にて数分停車するため徳山には岩徳線の列車が先着するケースが見られた。2013年3月現在のダイヤではそのような事例はない。国鉄時代は運行本数が少なく、末期に昼間毎時1本程度にまで増発されたが、2002年に1時間 - 1時間半毎程度に削減され、その後も削減傾向にある。各年度の平均通過人員、旅客運輸収入は以下の通り。1920年代に建設が始められた岩徳線は、1934年に全通に至った。全通後はただちに山陽本線の一部とされ、元の山陽本線部分は柳井線と改称された。しかしその後、山陽本線の複線化が計画された際、勾配やカーブが多く、長大トンネル(欽明路トンネル)をもう1本掘らねばならないことから、複線化は元の山陽本線である柳井線経由で実施されることとなった。柳井線は1944年に複線化が完了して山陽本線に再編入され、こちらは岩徳線に改称し地域輸送路線となった。なお、山陽本線はその後電化されたが、岩徳線は電化は行われず、一時期あった電化計画も白紙に戻されている。戦前、山陽本線の一部だったその経緯から全通時に開業した駅の構内は幹線級の有効長が確保されており、非常に長い。かつては午前、午後各1往復の客車列車があり、1971年までは蒸気機関車(昭和30年代にはC62形、D51形が入線、後D51形のみ)、以後はディーゼル機関車(DE10形)が牽引、オハニ36形を含む旧形客車10両の長大編成も見られたが、その後50系客車に置き換えられた後に廃止。現在では最長でも朝夕に2 - 3両編成の気動車が発着するだけで、その機能を持て余している。しかしながら、山陽本線岩国駅 - 櫛ケ浜駅間が災害などで不通になった際には迂回路として使用された実績もある。山陽本線は海側の柳井経由に戻ったが、現在は山陽新幹線と山陽自動車道が距離の短い岩徳線に並行するルートを通っている。運行形態上、岩国駅 - 徳山駅間を記載。岩徳線内において、JR西日本の直営駅は岩国駅のみ、ジェイアール西日本広島メンテックによる業務委託駅は櫛ケ浜駅のみで、西岩国駅・玖珂駅・周防高森駅が簡易委託駅であり、それ以外の駅は無人駅である。
出典:wikipedia
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