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三江線

三江線(さんこうせん)は、島根県江津市の江津駅から広島県三次市の三次駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)。2015年に全通40周年を記念して三江線改良利用促進期成同盟会・三江線活性化協議会による公募で決定した「江の川鉄道」の愛称がある。2018年(平成30年)3月末をもって全線が廃止される予定となっている(鉄道事業法に基づく廃止届に記載された廃止日は2018年4月1日)。江津駅 - 三次駅間を江の川に沿って結ぶ陰陽連絡路線として、1930年代から長い期間をかけて建設されたが、全通はきわめて遅い1975年で、すでに地域間流動は道路利用に移行していた。三江線は浜原ダムを回避する沢谷駅付近をのぞくと、北方が頂点となる「へ」の字状に流れる江の川に沿って狭い平地を縫うように建設された。そのため、大きく迂回するルート(全線108kmだが、直線距離なら60km足らずである)となり、両都市間の短絡路としては機能していない。また拠点都市間ルートとしても、島根県東部の主要都市である出雲市・松江方面、西部の主要都市である浜田方面と、広島県との連絡にはいずれも迂回路となってしまい、陰陽連絡路線としての機能を果たせるものではなかったという指摘がある。なお、三江線は民営化後も度々自然災害による不通に見舞われているものの、その都度全線が復旧している(詳しくは後述)。三次駅をのぞき米子支社浜田鉄道部の管轄である。三次駅は同広島支社三次鉄道部の管轄であり、下り場内信号機が米子支社との境界となっている。2016年2月4日、米子支社によってラインカラー、路線記号の導入が発表され、同月中より順次導入される。ラインカラーは「江の川の色」をイメージする水色()、記号は F 。三江線は開通当時から利用状況は芳しくなかった。1975年に全通したものの既にモータリゼーションの時代に入っていたため優等列車の定期運転が行われたこともなく、全通前・全通後を通して、利用はもっぱら通学利用を中心とした地域住民のローカルな移動需要のみで推移してきた。同じ島根県内の木次線の出雲横田駅 - 備後落合駅間と並んで超閑散路線であるため、たびたび廃線話が上がっていた。1987年の国鉄民営化の際にも廃止対象路線となっていたが代替道路未整備として外されている。利用者数の減少の要因としては、沿線人口の減少、少子高齢化、マイカー利用の拡大などがある。また通学利用についても、利便性の高いスクールバスが中山間地域から通学する子供を持つ保護者からは支持されている状況があり、沿線のスクールバスの運行本数や運行区間が年々拡大するとともに三江線の利用者は減少の一途をたどっていた。2008年度の1日平均利用客は前年比12%減の全区間合計で約370人(JR西日本米子支社による)に過ぎなかった。2008年度の数字では、三江線の輸送密度(平均通過数量)は83人/日であり、JRの全路線中、東日本旅客鉄道(JR東日本)の岩泉線(49人/日)の次に少ない値である。岩泉線が廃止となった2014年4月以後、2012年度の輸送密度を基にすると、三江線はJRの運行中の路線で最下位となっている。2010年4月には、JR西日本の社長が会見において、赤字ローカル線のバス転換を打ち出すという発言をすることもあった(どの路線とは言及していない)が、ついに2015年10月16日に廃止に向けての検討を開始したことを広島・島根両県に伝えたことが報じられた。中国新聞によれば「2017年度の廃止を想定しているとみられる」と報じられた。2016年9月1日、JR西日本は「三江線改良利用促進期成同盟会」の会議で国土交通省に対して9月末までに廃止を届け出ると表明した。2012年度に行われた増便実験ではバス運行により鉄道と併せて通常ダイヤの1.7倍から2倍の運行本数を実施したものの、乗客増は2割程度に留まったことが明らかとなっており、増便は収益増に繋がらないと結論付けられた。JR西日本は、平成26年度の輸送密度は1日当たり50人と会社発足時の約9分の1にまで落ち込んでおり、また、平成18年、25年と二度にわたり大規模災害による長期間運休を余儀なくされ、激甚化する災害リスクの高まりも看過できない状況から廃止を決意した。2016年9月23日、沿線自治体などで組織する三江線改良利用促進期成同盟会の臨時総会が開かれ、第3セクターなどでの存続案では財政負担が重くなることなどを考慮して同線の廃止受け入れを決定。しかし2017年9月末での廃止に対しては沿線自治体側から代替交通手段のバス路線の計画策定には1年半程度必要として廃止時期の延期を求める要望が出された。JR西日本は沿線自治体との会合を経て代替バス路線の計画策定のための廃止時期延期の要望を受け入れ2018年3月末での廃止を判断。2016年9月30日にJR西日本が廃止日を2018年4月1日とする廃止届を国土交通省中国運輸局に提出した。江の川に沿って走行し、全線の中で江の川を7回渡る。そのうち、日本鉄道建設公団が高規格で直線的に建設した浜原駅 - 口羽駅間(1975年開通区間)には3回ある。江の川は宇都井駅付近から作木口駅南方にかけて遡る区間で左岸(南西側)の島根県(邑南町)と右岸(北東側)の広島県(三次市)の県境になっており、駅の前後で左岸に渡る橋がある伊賀和志駅は島根県に挟まれた広島県内の駅となっている。宇都井駅は山に挟まれた山間部分にトンネルとトンネルを繋ぐ形で架けられた高架上、地上20mにホームがあるという特異な構造であり「ホームが日本一高い場所にある駅」として紹介されることがある。普通列車のみの運転で、全線通しの2往復(うち上り1本目は山陰本線浜田駅まで直通、上り2本目は石見川本駅で乗り継ぎ)のほか、江津駅 - 浜原駅間に3往復(うち1往復は浜田駅発着)、浜原駅 - 三次駅間に2往復、口羽駅 - 三次駅間に1往復の区間運転列車があり、5時間以上運行されない時間帯がある。全列車でワンマン運転を実施している。午前中の上り、午後の下り列車は長谷駅を通過する(時間帯は同駅基準)。最終列車は江津・三次発19時台であるが、以前は20時台や21時台に設定があった。1980年10月1日改正では、江津駅 - 浜原駅間の始発が朝5時にあり、夜に1往復、石見川本駅折り返しが設定されていた。三次駅9時57分発の424Dは石見川本止まりであるが、運用上は江津行きとなっている。これは、石見川本駅を出ると江津駅まで交換駅がなく、対向列車425Dが石見川本駅に到着する13時41分まで長時間待つためで、石見川本駅に到着後は乗客をすべて降ろし、エンジンが切られ施錠されてホームに滞泊(その間、運転士は駅構内の詰所で休憩)した後に石見川本13時43分発江津行き426Dとなる(時刻は2015年3月14日改正のもの)。なお、この列車は2006年の豪雨災害前は土曜日は浜原行きで、午後に浜原発江津行きとして運行されていた。かつての三江南線は、線内を一本の列車が単純に往復するだけという運行形態だった(スタフ閉塞を行っている区間では、その区間内に1本の列車しか入ることができない)。この運行形態は三江線全通後もしばらく続けられ、1978年に三江線がCTC化されるまで。1978年から1989年頃までの間、夏期に山陰本線波子駅 - 広島駅(1986・87年度は三次駅)間に当線経由で快速「波子ビーチ」が運転された。主に三次地区の利用者が波子駅付近の海水浴場に出かけることを目的とした列車だったため、口羽駅 - 三次駅間は各駅に、芸備線三次駅 - 広島駅間は主要駅に停車したのに対し、江津駅 - 口羽駅間は無停車(一部駅の運転停車を除く)という特徴的な停車パターンであった。また、1986年は江津駅も通過扱いだった。。1988年から1994年まで臨時列車ではあるが、浜田駅 - 広島駅間を山陰本線・三江線・芸備線経由で運行する急行「江の川」(浜田駅 - 三次駅間は快速扱い)が運行された。紀行作家の宮脇俊三は三江線全通の前に、新幹線連絡列車として浜田駅 - 岡山駅間を山陰本線・三江線・芸備線・福塩線・山陽本線経由で運行する急行「ごうがわ」を構想しダイヤを作成したが、実際には急行どころか、全通後しばらくは全線を直通する列車すらなかった(『最長片道切符の旅』に記述あり)。「江の川」の運行は、ルートが違うものの宮脇の構想を現実のものとした。1992年11月20日 - 23日には、臨時快速として江津駅 - 石見川本駅(最終日のみ口羽駅)間に蒸気機関車C56形160号機牽引の「SL江の川」が運転されたことがある。三江線SL実行委員会が三江線沿線の自然のすばらしさと各町村観光のPRのために企画した列車で、最後尾にディーゼル機関車(DE10形)が連結されたこともあった。その後の年も何度か運行されたが、1997年の秋を最後に運転されていない。毎年三次市で行われる三次市民納涼花火まつりでは、花火の打ち上げ会場に近い馬洗川橋梁で長時間停車し、花火を鑑賞する「花火鑑賞列車」が毎年運転されていた。しかし2011年以降は運転されていない。2013年3月10日、6月29日に、地元有志らによって三次駅 - 浜原駅間で臨時イベント列車が運転された。これは車内に畳を敷いた簡易お座敷仕様に加え、ボックス席を遮光カーテンで仕切った簡易更衣室を設けコスプレイベントを開催するというものだった。2015年8月30日に、三江線の全通40周年を記念して江津駅 - 三次駅で運転された。この列車にはキハ126系(石見神楽ラッピング編成)が使用され、浜原駅ではキハ120形の神楽ラッピング編成を使用した定期列車との列車交換が設定された。また、浜原駅周辺で様々な記念行事が行われた。基本的に浜田鉄道部のキハ120形気動車による単行(1両編成)での運転であるが、2016年7月20日修正ダイヤ(基本は2016年3月26日ダイヤ)では、江津駅始発列車と当該の三次駅折り返し列車が2両編成での運転となっている。キハ120形は 1995年6月1日から運用を開始した。三江北線では米子機関庫浜田分庫の蒸気機関車が使用されており当初は500形つづいて1070形にかわった。1934年11月8日にキハ40000形2両で石見江津 - 石見川本間の運行を開始。1939年からC12形も使用された。戦後はC12形5両で旅客、混合列車を運転していたが1957年3月からは旅客列車はディーゼルカーに置き換わり、1959年よりC56形が貨物列車に使用された。貨物列車は1974年11月30日限りでDD16形ディーゼル機関車にかわった。三江南線は開業時はキハ20形2両により運行された。1984年頃は基本は2両編成で浜田機関区所属のキハ47、40、45、23が中心となり、口羽-三次間、直通の一部は三次運転区のキハ47、40、45、23、20が運用されていた。三江線は山間部を川沿いに通っており、何度か豪雨による災害のため長期不通になっている。1972年7月11日、昭和47年7月豪雨による災害で三江北線 明塚駅 - 粕淵駅間が1974年12月28日まで不通になった。この間の1972年秋頃、損傷した明塚駅 - 粕淵駅間の橋梁の明塚側に野井仮乗降場を設けて、。1983年7月23日から9月11日にも集中豪雨で不通になった。2006年7月19日、豪雨の影響により沿線38か所で土砂崩れが発生し、全線が運休となり、23日からバスとジャンボタクシーによる代替輸送を開始した。同年10月12日に復旧工事が始まり、12月15日に浜原駅 - 三次駅間が復旧して運転を再開。翌2007年6月16日に江津駅 - 浜原駅間が復旧し、全線で運転を再開した。復旧費用はおよそ15億円。2013年8月1日の豪雨による土砂流入のため11日まで石見川本駅 - 浜原駅間が不通となり、タクシーで代替輸送していたが、同月24日には再度の豪雨により島根県川本町因原にある井原川橋梁の一部の橋脚が流失するなど計72箇所に被害が及び全線が不通となった。2013年9月1日には浜原駅 - 三次駅間が復旧。残る江津駅 - 浜原駅間は2014年7月19日に復旧した。復旧の当日、石見川本駅や、江津駅および三次駅にてセレモニーを開催した。復旧費用はおよそ10億8千万円。

出典:wikipedia

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