渥美線(あつみせん)は、愛知県豊橋市の新豊橋駅から田原市の三河田原駅までを結ぶ豊橋鉄道の鉄道路線である。渥美半島に延びる鉄道で、同半島の城下町として発展した田原市や開発が進む沿線からの豊橋などへの通勤・通学路線となっている。三河田原駅で豊鉄バスの伊良湖岬方面とのバスと連絡しており、豊橋駅 - 伊良湖岬間のバスを補完する行楽路線を目指している。すべて各駅に停車する普通列車である。23時台の新豊橋発の終電が高師行きで運行される以外は新豊橋駅 - 三河田原駅間の全線通し運行である。新豊橋発8 - 22時台と三河田原発8 - 21時台は完全な15分間隔となっており、これ以外の時間帯では間隔は一定でない。ワンマン運転は行われていない。新豊橋駅移転前は23時台後半に(三河田原発の回送列車→)高師発新豊橋行きで、折り返し新豊橋発高師行きとなる列車があった。営業列車の行き違いは大半が小池駅・芦原駅・大清水駅・杉山駅・神戸駅で行われ、高師駅では6時台に、植田駅では23時台にそれぞれ1度だけ行われる。新豊橋駅では2つの線路に列車を交互に発着させることで、乗客が着席して発車を待つことができるようにしている。日中は高師駅以北や老津駅以南で非営業列車を運行する余地がないため、試運転や企画列車は原則として高師駅 - 老津駅間で運行される。乗務員の交代は、主に高師駅でおこなわれる。輸送量が増加した時期もあったが、最近では若干減少している。ただし、他の中小私鉄路線で見られるような通学定期の減少があまりない上に、輸送量全体の落ち込みも他線区と比較すれば少なく、非常に健闘している。渥美線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。最近では、収入総合計額の変動は少なく、比較的良好な運営状態といえる。渥美線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。渥美線の近年の営業成績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。現在はすべて元東京急行電鉄の7200系が1800系と改称され、3両編成で運用されている。全車両ともワンマン運転には対応していないので、すべての列車に車掌も乗務する。渥美線では、代々譲渡車を使用している関係で、1968年の大改番以降、車両形式4桁のうち千の位と百の位で車体長(全長)を表している(例外は7300系)。すなわち、1800系は「18m車」ということを表している。また、付随車は電動車の形式に1000をプラスした2000番台を附番する慣例であり、1800系の制御付随車はク2800形となる。渥美電鉄創業期の車両はデホハ1形3両、デハ100形3両、ワ500形4両、ト700形4両いずれも新造車であった。1967年以降それまでの緑色とクリーム色からクリーム色に赤帯に変更され、1500V昇圧までつづいた。塗装変更の理由は1967年1月27日に発生した踏切事故の原因が沿線の木々と車体の緑色が保護色となり車から見えなかったのではないかという議論が起きたからだというここでは1970年代以降に在籍した車両のうち全長13m級以上の旅客電車のみを挙げたが、過去に運用された車両は、電気機関車や電動貨車デワ10形を含めて上記のほかにも多数存在する。なお、7300系をのぞき600V時代の車両で、モ1710形、1600系、モ1400形、ク2400形、ク2310形、ク2300形以外は、他社から譲受けた車体に国鉄型の走行機器を組合わせて使用していた(ただし1700系と1730系は当初原型の走行機器のまま運用し、後年国鉄型に交換)。日中は7編成使用され、残りは高師駅及び車両区で検査・留置されている。日中に車両交換が行われる場合は高師駅で行われる。なお、車両交換は事故、車両故障などの非常時をのぞいて、必ず上り列車(新豊橋行き)で行う。これは、高師駅下り列車に対する場内・出発信号機が下り本線進入・進出の1進路のみに対して、上り列車に対する場内・出発信号機は上り・下り本線進入・進出の2進路に対応しているためである。渥美半島を縦貫する鉄道として計画され、1921年に渥美電鉄に対し豊橋市大字花田-渥美郡福江町間の軌道敷設特許状が下付され、師団口(のちの高師口) - 三河田原間が1924年中に開業した。豊橋への乗り入れは、市街地であるため土地取得に手間取ったものの、1927年に現在の新豊橋駅まで開業した。路線は後に黒川原駅まで延伸されたが、資金難から黒川原以西への延長は1934年に断念。渥美電鉄は名古屋鉄道(名鉄)の経営傘下に入った後、1940年に合併され名鉄渥美線となった。しかし、鉄道敷設法で「愛知県豊橋ヨリ伊良湖岬ニ至ル鉄道」として挙げられ、陸軍技術研究所(伊良湖試砲場)などもあることから国鉄線として建設することになり、黒川原 - 三河福江 - 堀切間が新設線として着工されたが、戦局の悪化から建設は中断。三河田原 - 黒川原間が不要不急路線として休止された。豊橋 - 黒川原間は渥美線を国有化する予定であったが終戦により立ち消えとなった。名古屋鉄道は1954年10月に渥美線新豊橋 - 三河田原間を豊橋鉄道に譲渡し、豊橋鉄道渥美線となった。休止中の三河田原 - 黒川原間については名鉄籍のまま、同年11月に廃止された。線路敷設予定地と思われるところが愛知県田原市石神町の国道259号線付近にある。伊良湖岬方面に向かう方は左側を、豊橋方面に向かう方は右側を見ると判りにくいが確かに線路敷設予定地と思われるものが見える。廃止区間の駅は上表を参照。標識は名鉄タイプのものが使用されている。こちらも名鉄タイプのものが採用されている。色も「名鉄ブルー」で同じである。
出典:wikipedia
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