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泣塔

泣塔(なきとう)は神奈川県鎌倉市寺分、旧東日本旅客鉄道大船工場敷地脇に建つ宝篋印塔の通称。伊豆石と呼ばれる安山岩で作られており、高さは203cm。塔身や基礎の部分は典型的な「関東形式」の特徴を持つ。塔の背後にやぐらがあり、中には朽ちて一部しか残っていないものも含め14基の五輪塔が建つ。泣塔は非常に形が整っていること、傘や基壇部の四隅にある凸部の形状が珍しいこと、基壇部に刻まれた銘が明瞭にのこっていることなどの特徴があるため、1933年8月23日付けで「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」に基づき重要美術品に認定された。1971年9月11日、鎌倉市指定の有形文化財に指定された。泣塔という名前の由来について詳しいことはわかっていないが、塔の後ろのやぐらが風に反響し、泣き声のような音を出すことから泣き塔と名づけられたという説や、「無き人(無縁仏の意)の塔」が訛ったとする説がある。また、一時石塔を近隣の青蓮寺に移したところ、夜な夜なすすり泣く声が聞こえた事から「泣塔」と名付けられたという伝承もある。ただし移設されたとする青蓮寺に記録が残っていないため、移設の事実なども含めて詳細は不明である。昭和8年(1933年)に調査を行った際、基壇部に「文和五年丙申二月廿日供養了」という銘文が発見された事から、1356年(文和5年)2月20日に建立された物と推測される。塔の正式な由緒は不明だが、鎌倉時代末期に新田義貞が鎌倉を攻めた際の古戦場(洲崎古戦場)が付近にあること、塔の背後にやぐらがある事から、やぐらに葬られた戦死者を周辺の住民が弔う為にたてた塔と見られている。塔が建立された後どのような経緯をたどったかは不明だが、いつの頃からか泣塔に関する不吉な伝承が流布されるようになる。泣塔が建つ土地を所有した者は貧乏になる、泣塔を見た者が後日幽霊と遭遇したり、祟りに遭う等というものだが、これらの言い伝えは泣塔周辺を開発から取り残すほどの影響を与えた。昭和18年(1943年)、周辺の土地が軍に買い上げられ横須賀海軍工廠深沢分工場が造営されることになり泣塔周辺も取り壊される予定であったが、周辺住民は古くからの言い伝えを元に破壊に反対した。実際に塔の撤去作業中たびたび怪我人が発生したことや、付近の工事現場で5名が死亡する事故が発生したこと、夜中に異様な音が発生するなどの異変が起きたことから取り壊しは中止となり、塔も保存・供養されることになった。終戦後、敷地が国鉄に払い下げられ、車両整備工場となった後も塔は保存され、毎年創立記念日には供養が行われた。昭和41年(1966年)12月1日には時の工場長の発案で、泣塔の周辺に杉の苗400本が植えられた。かつてはJR大船工場の敷地内だったため、この塔を拝観するにはJRの許可が必要であったが、2001年に鎌倉市が周囲の敷地と合わせて取得したため、JRに許可をとる必要はなくなった。

出典:wikipedia

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