松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にあった日本の城。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地の松山城と区別するため、伊予松山城とも呼ばれる。現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、大天守(現存12天守の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。そのほか、昭和初期の1933年に大天守を残して焼失した、連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されている。2009年のミシュラン観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定された。松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、連立式で、日本三大連立式平山城の1つにも数えられる。1933年ごろまでは、本丸部分には40棟の建造物が現存していたが、1949年までに19棟が火災により失われ、現存建築は21棟にまで減少した。建造物の現存数は二条城(京都府)の28棟に次ぐものである。幕末に再建された大天守ほか、日本で現存数の少ない望楼型二重櫓である野原櫓(騎馬櫓)や、深さ44メートルにおよぶ本丸の井戸などが保存されている。山頂に本丸、南西麓に二之丸、続いて三之丸。北麓には北曲輪、南東麓に東曲輪がある。三之丸は比高6メートルほどの土塁で囲み、北と東に石垣造の虎口を開く。本丸から二之丸にかけて登り石垣を築いて囲み、丘陵斜面からの大手城道への侵入を防ぐ構造としている。山頂の本丸北部には本壇という天守曲輪を持ち、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓(廊下)で連結し連立式天守をなしている。以下の21棟が国の重要文化財に指定されている。1945年、戦災で以下の11棟の建造物(旧国宝)が焼失した。また、戦後の1949年2月27日、不審火で以下の3棟の建造物(旧国宝)が焼失した。明治維新後においても本丸の城郭建築群はほとんど破却されることはなかったが、昭和に入り放火や戦災により門や櫓などが焼失した。写真や国宝指定作業における正確な図面などが残されていたことから、昭和33年から本格的な木造による復元が行われている。松山城本丸は、市街のほぼ中央に位置する標高132メートルの山頂にある。天守へのルートは、4つあるが、一般・観光客向けのルートは東雲口と呼ばれる東側からの登城道で、こちらはロープウェイやリフトも整備され、東雲神社を通って徒歩で上ることもできる。他のルートは、地元の人が散歩等にもっぱら利用しており、県庁裏登城道以外はあまり整備されていない。松山城ロープウェイ東雲口駅舎の最寄り駅は、徒歩約5分のところにある伊予鉄道市内電車の「大街道停留場」(「坊っちゃん列車」も停車する)。大街道駅の北側に、ロープウエー街の入口があり、また、少し東側には交番や伊予鉄道のタクシー乗り場がある。なお、松山城ロープウェイ東雲口駅舎1階には、財団法人松山観光コンベンション協会運営の年中無休の観光案内所がある。松山城や道後温泉本館などの入場券と、一日乗り放題の市内電車や中心部のバス路線の乗車券がセットされた「松山城下めぐりきっぷ」が伊予鉄道から発売されている。主な松山の玄関口からの公共交通手段は次のとおり。
出典:wikipedia
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