武山 真吾(たけやま しんご、1984年6月22日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(捕手)。中学時代は、名古屋市内では強豪の緑クラブへ入団する。中学2年生の頃から正捕手の座を勝ち取り、卓越した強肩・強打で打順5番・6番を務める。明かりのない夜にキャッチャーフライをしても、音と感覚で場所がわかり見事にキャッチする事がこのころからできていた。2002年度ドラフト会議にて、横浜ベイスターズから10巡目指名を受け、入団。にフレッシュオールスターゲームに出場し、優秀選手賞を受賞した。は序盤から一軍に控え捕手として待機していたが出場機会はなかった。イースタン・リーグにおいて、出場機会増加を目的に三塁手へ準コンバートされ、この年は捕手・三塁手・一塁手・左翼手で起用された。二軍では規定打席不足ながら打率.300を越え、チームトップの9本塁打を記録した。は5月31日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で一軍初出場を果たし、相川亮二の故障離脱を補った。チームが最下位と低迷する中、武山の活躍によってチームの起用法を若手中心に転換させた。後半は相川の再離脱も重なったことで斉藤俊雄と併用され、シーズン33試合に出場した。は5月に田代富雄が監督代行に就任すると即一軍に昇格し、新沼慎二・細山田武史との併用でスタメンに抜擢されるようになった。途中加入したスティーブン・ランドルフとのバッテリーで好成績を残し、最終的には細山田に次いでマスクをかぶり自己最多の49試合に出場した。新沼や細山田の盗塁阻止率が1割台と低迷し、球団ワーストとなる阻止率.181をマークする中、自身は.273と守りでアピールした。、開幕前に移籍してきた橋本将に次ぐ2番手捕手だったが、橋本の離脱以降は前年同様に阻止率の低迷に苦しむチームに肩でアピールし、レギュラーを獲得した。チーム捕手最多の95試合に出場したが、打撃面においては打率.187と結果を残せなかった。は4月12日に「8番・捕手」として初の開幕スタメン入りを果たす。一時はセントラル・リーグトップの盗塁阻止率を誇ったが、打撃面は不調だった。その後は自身の不調や投手陣が崩壊した影響で、7月26日に降格して以降は一軍出場がなかった。同年11月22日、後藤武敏との交換トレードで埼玉西武ライオンズへ移籍。背番号は52。は5月にバセドー病に罹り、治療の末に回復はしたものの一軍昇格はならなかった。5月2日、中日ドラゴンズへの金銭トレードが発表された。背番号は49。2014年は打撃は低迷したが、山井大介やダニエル・カブレラなどを中心にマスクをかぶるなど谷繁元信、松井雅人に次ぐ出場機会を得た。また、盗塁阻止率はチームトップの.412をマークした。2015年は開幕から松井雅と併用で使われていたが、4月18日の広島戦に代走として出場した際に本塁クロスプレーで広島の捕手會澤翼と激突して脚を負傷し、担架で運ばれて試合から退いた。同月20日に右前距腓靱帯の損傷と診断され、以降のシーズンを棒に振った。9月には負傷箇所の手術を受けた。横浜時代の応援歌は2010年5月から若菜嘉晴、秋元宏作、中村武志に使用されていたものが使われている。これは中村を慕う武山が自ら希望したことによる。
出典:wikipedia
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