アルフレッド・エルトン・ヴァン・ヴォークト(Alfred Elton van Vogt, 1912年4月26日 - 2000年1月26日)は、カナダ・マニトバ州グレトナ出身の小説家で、20世紀中頃のSF黄金期を代表するSF作家の一人。「Vogt」の「g」は発音しない(よって本来は「ヴォート」が正しい)が、日本ではヴォークトやヴォクトと表記されることが多い。また「ヴァン」も苗字の一部であり、「ヴォークト」や「ヴォクト」の単独表記は、その意味で誤りである。最初の配偶者は作家のE・メイン・ハル(Edona Mayne Hull)。日本、フランスといった諸外国でも人気を博し、フランスでは作家ボリス・ヴィアンらに愛読された。その作品は、SFの古典として、様々な作品に多大な影響を及ぼした。「ワイドスクリーン・バロック」と呼ばれる作風を確立した。カナダマニトバ州グレトナの東にあるロシア系メノナイトのコミュニティで生まれた。実話風の告白ものを低俗雑誌に書いていたが、後にSF作家に転向。1939年『アスタウンディング』誌7月号の、凶暴な宇宙生物クァールと人類との遭遇を描いた「黒い破壊者」(Black Destroyer)(『宇宙船ビーグル号の冒険』に収録)でSF界にデビュー。デビュー作がその号の巻頭を飾り、この号からSF黄金時代が始まったと言われることがある。この小説は即座に一種の古典となり、いくつかのSF映画に着想を与えた。この作品に「神経の戦い」(1950)、「緋色の不協和音」(1939)、「M-33星雲」(1943) を組み合わせて長編『宇宙船ビーグル号の冒険』(1950) に仕立てている。1941年、専業作家となることを決めカナダ国防省を退職した。その後数年間、大量の短編小説を書いた。1950年代になると、それらを後から繋ぎ合わせて長編に仕立て上げた(これを自身では "fixup" と呼んでいた)。この時期の有名な作品として『スラン』があり、アスタウンディング誌に連載された(1940年9月号から12月号)。スランと呼ばれる超人類が人類に殺されている世界を描いたもので、類似のテーマはその後もよくヴァン・ヴォークト作品に登場する。続編 "Slan Hunter" がヴァン・ヴォークトの死後、未亡人のリディアとケヴィン・J・アンダースンにより書かれた(概要はヴォークトが晩年に残した草稿による)。これが2007年に出版された (ISBN 978-0765316752)。1944年、ヴァン・ヴォークトはハリウッドに移り、第二次世界大戦が終わると彼の作風は新たな次元へと進化した。ヴァン・ヴォークトは常々、知識の網羅的体系という考え方に興味を持っていた。初期の作品(ビーグル号)にも 'Nexialism' と名付けた総合的学問によって異星人の行動を分析するという話が出てくる。そして彼はアルフレッド・コージブスキーの一般意味論に興味を持った。一般意味論をテーマとして彼は3冊の長編『非Aの世界』、『非Aの傀儡』(以上は1940年代後半)、"Null-A Three"(1980年代初め)を書いた。「非A(Null-A)」の「A」は「アリストテレス」の略であり「非アリストテレス的論理」を意味し、再帰的かつ条件付きの演繹的推論よりも、直観的な帰納的推論を重視し、それを実践するための能力の開発を唱えたものである。ヴァン・ヴォークトはまた、戦後明らかになった全体主義警察国家の内情に大きな衝撃を受けた。彼は大陸の中国を舞台にした主流小説 "The Violent Man" (1962) を書いた。この執筆のために中国に関する本を100冊ほど読んだという。同時に、彼は専制君主制を擁護するような小説も書いている。具体例として、《武器店》シリーズや『宇宙嵐のかなた』がある。ヴァン・ヴォークトは、原語で800語前後に分けられた一場面ごとに冒頭と末尾で状況の簡潔な描写を行い、その中に起承転結の山場を盛り込む独特の構成方法を特徴としている。時間軸を錯綜させることもよくある。その創作技法を考案した原点として、Thomas Uzzell の "Narrative Technique" と の "The Only Two Ways to Write a Story" と "Twenty Problems of the Short-Story Writer" を挙げている。アイデアは夢から生じたものが多いという。彼は睡眠中に90分ごとに起き、夢で見たことを書き残していた。マーチン・ガードナーの『奇妙な論理』(原題"in the Name of Science
出典:wikipedia
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