蒲郡線(がまごおりせん)は、愛知県西尾市の吉良吉田駅から同県蒲郡市の蒲郡駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線である。三河湾に沿って走る風光明媚な路線で、沿線には形原温泉、西浦温泉、吉良温泉、愛知こどもの国など温泉地やレジャー施設があり、潮干狩りや海水浴など季節のレジャーも楽しむことができる。そのため、かつては犬山線や知多新線と並ぶ観光路線として脚光を浴び、多数の本線直通特急が運転されていたが、レジャーの多様化や意識の変化による三河湾観光の衰退に伴い、通勤路線へと変貌していった。2008年6月29日のダイヤ改正で西尾線との直通列車が消滅し、現在は線内折り返しのワンマン運転のみとなっている。このように利用者数の激減や国道247号など並行道路の整備状態が良好なこともあり、存続問題が浮上している(後述の存続問題の節を参照)。運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。『鉄道要覧』による起点は吉良吉田駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、蒲郡駅から吉良吉田駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。また、キロポストは三河線からの数字を受け継いでおり、知立駅からの距離の表示となっている(三河線碧南 - 吉良吉田間廃止後もそのまま)。全線が東海地震の防災対策強化地域に含まれており、東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、列車の運行が休止されることになっている。元々は三河鉄道(三河線の前身会社)の蒲郡方面延長線として建設された路線で、同社が名古屋鉄道に合併された直後はこの区間も三河線として扱われていた。また、三河鉄道は三河鳥羽駅までを1500V電化で開業させていたものの、残る三河鳥羽駅 - 蒲郡駅間は資金不足により非電化で延伸したため、同区間が電化されるまでは三河鳥羽駅で乗り換えを余儀なくされた。西尾線の吉良吉田駅(初代)と三河線の三河吉田駅(現、吉良吉田駅)とが1943年2月に統合されると、三河吉田駅 - 三河鳥羽駅間の電圧が600Vに降圧され、同じく600V電化の西尾線と直通運転を行うようになった。1946年10月に三河鳥羽駅 - 東幡豆駅間、1947年4月に東幡豆駅 - 蒲郡駅間が600V電化され、1948年5月16日のダイヤ改正で三河吉田駅 - 蒲郡駅間は「蒲郡線」として三河線から分離した。その後、1500Vへの昇圧の過程で一時的に三河線直通運転に戻った時期があるものの、西尾線が1500Vに昇圧されてからは再び同線直通運転に戻った。以後、2004年の三河線末端部廃止、2008年の直通運転全廃に至るまで、列車は西尾線への直通が主体であった。1958年には三河湾が国定公園に指定されるなど、1950年代後半から三河湾沿岸の観光開発が盛んになり、名鉄は蒲郡線を三河湾観光路線と位置付けるようになった。1965年9月15日のダイヤ改正で蒲郡線にも本線直通の定期特急が設定され、最盛期には日中毎時2本の特急が乗り入れていた。そのため、名鉄はさらなる増発に備えて蒲郡線の複線化を計画し、1970年には認可も受けていた。しかし、日本国内各地にできた新しいテーマパークなどとの競合で三河湾観光の衰退が顕著になると、名鉄もうさぎ島などを閉園するなど蒲郡線沿線の観光事業から撤退した。同線は通勤路線へ転じたものの、周辺道路網の整備によって元々高かった沿線地域の自動車普及率がさらに高まり、鉄道利用率は低かった。また鉄道においても蒲郡線経由よりルートが短く、複線で線形が良い東海道線が1980年代後半の国鉄末期から始まる名古屋近郊区間のダイヤ拡充で優勢となっていた。東海旅客鉄道(JR東海)発足後は特別快速や新快速などの投入で所要時間の差がさらに広がった他、それまで蒲郡競艇場への主要な交通アクセスを担っていた蒲郡競艇場前駅の真横に三河塩津駅が開業したことにより、競艇場利用客も東海道線に流出した。名鉄は2008年3月、西尾線・蒲郡線の西尾 - 吉良吉田 - 蒲郡間の利用活性化策を同年末までに、沿線の西尾市、吉良町、幡豆町、蒲郡市(当時)に対して示すように求めた。「大量輸送機関として鉄道の特性が発揮できないほどに利用者が少ない」との認識が示され、名鉄側の企業努力はすでに限界を超えているという。1997年12月19日に名鉄の箕浦宗吉社長(当時)が定例記者会見の席で「不採算路線の整理・統廃合を関係自治体と協議したい」と発言し、谷汲線や八百津線などとともに廃止検討路線として挙げられ、ワンマン運転導入や途中駅の無人駅化などの合理化が行われた。しかし、利用客の減少と運行本数、直通優等列車の削減の悪循環が続いているため、2005年12月20日に名鉄の要請で西尾 - 吉良吉田 - 蒲郡間の利用促進と経費節減を図る目的とする、沿線の2市2町と名鉄で構成された名鉄西尾・蒲郡線対策協議会を設立した。この会で名鉄は、ワンマン運転で蒲郡線と一体的に運用されている西尾線内2駅が、新システム用の自動改札機導入に伴い、設置費用面から維持困難のため廃止の方向であるとし、その後に根拠として「1日の乗降客数が300人に満たない市街地以外の駅」という条件を公表した。この具体的数値を示す手法は蒲郡線に対しても行われ、「バスへの転換等を検討する指標である輸送密度の目安が4000人/日であるのに対し、蒲郡線は2857人/日(2005年度)である」と廃線を強く匂わせたが、これに対し沿線自治体側は「名鉄の公共交通機関としての責任」などを訴え、存続を要望した。この中で、蒲郡線の均一制運賃やサイクルトレインの導入も検討され、実際に2007年3月1日から5月31日までの間、西尾線福地駅 - 蒲郡線蒲郡競艇場前駅の各駅(こどもの国駅をのぞく)でサイクルトレインの試験運用が実施された。2007年度の乗車人員は過去最低の292万7000人となったが、蒲郡市民による支援団体「市民まるごと赤い電車応援団」の活動の成果もあり、2008年度は増加に転じた。2009年9月に開催された第6回対策協議会からは愛知県も参加するようになった。また、2010年11月開催の第8回対策協議会では以下の取り決めがなされた。この決定により西尾市と蒲郡市は年間で2億5,000万円の支援金を捻出し、愛知県は両市に対し年間計8,300万円の補助を行った。2013年度以降の対策については第12回対策協議会(2012年10月)で検討され、2013年度以降も引き続き沿線の2市が経費を補填した上で運行を継続していくことになった。現在はその後の協議により2020年度までの自治体支援による路線存続が決定している。また、そのことを広めるため、市民まるごと赤い電車応援団は蒲郡市内の学校に感謝状を配布した。なお、2008年度の名鉄の設備投資計画において、トランパスは吉良吉田駅をのぞき蒲郡線全線では導入しないことが発表され、2011年2月11日にスタートしたmanacaも導入されていない。2008年6月29日改正以降は終日ワンマン運転で、毎時2本運転されている。ワンマン改造された6000系2両編成3本で運用され、昼間は三河鳥羽駅と西浦駅で上下列車がすれ違う。線内の所要時分は28 - 30分である。1998年4月6日改正から2008年6月29日改正までは西尾駅 - 吉良吉田駅 - 蒲郡駅間のワンマン運転で、朝と夜の一部に新安城駅発着列車や名古屋本線直通列車が設定されていた。2005年1月29日改正までは蒲郡線内にも「特急」と「急行」が存在していた。昭和の頃には昼間にも名古屋本線直通の特急が運転されており、主に7000系「パノラマカー」が使用されていた。廃止直前の特急は8800系「パノラマDX」による3両編成で1往復のみ運転されていた。また、1998年4月6日改正までは昼間に蒲郡駅 - 津島線方面間に毎時1往復の直通列車(蒲郡駅 - 西尾駅間は普通で、それ以外の区間は急行)が運転されていた。2005年1月29日改正直前の停車駅は特急・急行とも同じで、吉良吉田駅、西幡豆駅(朝の下り特急は特別通過)、東幡豆駅、西浦駅、形原駅、蒲郡駅に停車していた。晩年の直通列車は蒲郡線内はすべて普通列車として運行しており、新安城駅や西尾駅などで種別変更していた。また、朝や夜には4両編成の列車も見られた。特に、始発の蒲郡行は吉良吉田駅2番線(旧三河線ホーム)から発車する唯一の列車であった(ホームが3両分しかないため1両は扉が開かない)。形原駅と三河鹿島駅は2両分しかホームがないため、4両編成の場合は後ろ2両をドアカットしていた。6000系を除く現有車両で当線での定期運用の実績があるのは5300系・5700系と6500系・6800系で、これらの車両は2008年6月29日改正まで主に朝と夜に乗り入れていた。なお、現用の特急車や3500系・3300系などのインバータ制御車、2代目5000系などは当線で定期運用されたことはないが、2000系「ミュースカイ」は団体列車として当線に入線した実績がある。蒲郡線は全列車ワンマン運転である。広見線の一部区間(新可児駅 - 御嵩駅間)を除いた他の名鉄線のワンマン運転(三河線、小牧線、豊川線、尾西線、築港線)とは利用方法が異なり、車内に料金箱を設置するなど、専用に改造された2両組成の6000系が使用される。運転区間内の無人駅では乗車ドアと降車ドアは決められており、乗車は先頭車両の後ろドア、降車は先頭車両の前ドアで、先頭車両の中ドアと後方車両のドアは開かないが、有人駅の蒲郡駅・吉良吉田駅と駅員配置時間帯の蒲郡競艇場前駅はホーム側の全部のドアが開く。各駅に設置されている自動券売機であらかじめ乗車券を購入し、降車時に運転台近くの運賃箱に乗車券を入れて(乗り越しの場合は不足運賃も入れる)降車する。すべての駅に自動券売機が設置されているため、路線バスや他社のワンマン対応車両に設置されている乗車整理券発行機やデジタル式運賃表示器はない(三角表式運賃表はある)。ただし、名鉄線内でこの方式で降車するのは、蒲郡線内は蒲郡と吉良吉田を除き無人駅となっている駅(駅員配置時間帯の蒲郡競艇場前駅をのぞく)だけで、それ以外の場合は降車駅の改札口で駅員に手渡しするか、自動改札機に投入するか、降車時に車掌に手渡しする。蒲郡線では従来(2008年6月28日改正まで)、ワンマン改造された6000系 (6009F - 6013F) の5編成で西尾駅 - 吉良吉田駅 - 蒲郡駅間のワンマン運転(西蒲ワンマン)を行ってきたが、ワンマン運転区間が吉良吉田駅 - 蒲郡駅間に短縮されたことで余剰となり、新たにワンマン運転区間となった広見線に1編成が回された(蒲郡線用には3編成が残り、もう1編成は一方から他方への送り込み用)。6000系ワンマン対応車には予備車がないため、検査で1編成でも運用を離脱すると別編成が代走する。代走編成はワンマン対応機器を装備していないため車掌が乗務し、全駅でホーム側のすべてのドアが開き、車掌が乗車券の発券や回収を行う。manaca(10種の相互利用IC)については線内での利用はできない。また、蒲郡線内の自動券売機は吉良吉田駅を除いて対応していないが、同駅の中間改札で処理をすることによって他線との直通利用は可能である。具体的には以下の手順を踏む。途中駅は蒲郡駅と吉良吉田駅をのぞきすべて駅集中管理システム未対応の無人駅である。蒲郡駅は高架化されている。
出典:wikipedia
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