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都営バス千住営業所

都営バス千住自動車営業所(とえいバスせんじゅじどうしゃえいぎょうしょ)は、東京都足立区梅田に位置する都営バスの営業所で、日光街道沿いに位置し、主に足立区から北区・台東区内へ伸びる路線を担当している。最寄り停留所は千住車庫前で、東京都交通局の職員住宅である千住寮が隣接している。営業所記号はHを用いる。運用エリアの西側が北営業所および巣鴨営業所、南側が南千住営業所となるが、その営業所と共管している路線はなく、所有路線は全て千住の単独管轄である。なお、その周辺の3営業所が管轄する路線に、里48系統(日暮里駅 - 見沼代親水公園・加賀団地循環。江北陸橋下で王49系統と交差、赤土小学校前 - 熊野前間で端44系統が並走)が存在する。終戦時には既に西新井橋(現・千住桜木) - 道灌山下間が開通していた歴史の古い路線。その後、西新井橋 - 浅草寿町間の延伸から「浅草寿町 - 蛎殻町」「足立梅田町 - 西新井橋」「蛎殻町 - 東京駅」と徐々に路線を延長し、1958年に足立梅田町 - 浅草寿町 - 東京駅八重洲口間の運行となる。しかし、1966年に現在の草41系統の前身である11系統(足立梅田町 - 浅草寿町)と65系統(日暮里駅 - 東京駅八重洲口)に分割、1972年の系統番号変更により、旧・11系統を草41系統と改称して現在に至る。1981年の再建計画では足立梅田町 - 日暮里駅間への短縮・区間変更も検討されたが、再編実施対象から外れた。足立梅田町 - 放水路土手下間において大型車同士のすれ違いが困難なことから、中型車による運行が主体のため、混雑時間帯が多いが、多客時(7月第3木曜日の足立花火大会や隅田川花火大会、入谷朝顔市)には輸送力が不足するため、大型車が運用されることがある。中型車が重用されている理由としては、千住車庫 - 足立梅田町の回送経路に狭隘区間があるためで、出庫は千住車庫から日光街道に出た後、東武スカイツリーライン沿いに梅田七丁目を経由して足立梅田町へ向かう。入庫は足立梅田町北側の丁字路を右折し、梅島駅南側の交差点から旧日光街道を通って千住車庫に着く。前身である旧・13系統は終戦時まで遡り、現在の千住営業所が担当する路線では草41系統と並んで歴史の古い路線。1949年には旧・201系統と統合し、千住車庫前 - 新橋駅間を結ぶ長距離路線となったが、1972年に草43系統に変更され、1973年3月に浅草橋 - 新橋駅間が廃止された。その後、東神田への再延長を経て平成に入ってから1990年3月の浅草雷門までの再短縮、2004年の千住車庫前 - 足立区役所間の延伸が次々となされた。2015年4月4日から、土・休日における浅草雷門バス停周辺の混雑に伴う定時運行困難を理由に、土・休日に限り浅草寿町発着へと変更され、現在に至る。この区間短縮に伴い、浅草周辺での祭事による短縮運行がなくなる。足立区役所 - 三ノ輪駅間は日光街道、三ノ輪駅 - 浅草寿町間は国際通りを経由し、足立区・荒川区・台東区をほぼ直線的に結ぶ南北縦断路線となっている。千住車庫前始発便は、車庫西側・旧日光街道上の乗り場から発車する。なお、千住車庫前 - 足立区役所間の出入庫の際は王49出入として営業運行される。この千住営業所の所管の表示は、江東・巣鴨・早稲田を除く営業所の内部表示機では「車庫前」と前が付くが、行き先表示器には「前」が付かない。しかし、千住営業所の路線は「千住車庫前」と前の字が表示されている。北千住駅から田端駅を経由して駒込病院へ向かう。開通は1951年(昭和26年)3月1日で、当初は滝野川営業所(現・北営業所)の管轄だった。系統番号の「端」は田端駅のことで、北営業所の東43系統と同様に駒込病院を発着することから、リフト付きバスが導入された当時は本系統に優先的に配車されていた。北47系統は北千住駅を起点として、足立区の中央部を東武スカイツリーラインに交わる形で並行しながら、日光街道経由で縦貫する路線で、1975年10月1日に開通した。日光街道 - 竹の塚駅間は往復する形で立ち寄るが、竹の塚駅以遠の運行は東武バスと一部経路が重複するため、毎時1本弱の運行にとどまっている。北千住駅前と足立区役所を結ぶ役割があるため、平日開庁時間帯の北千住駅方面ならびに竹の塚駅方面の平日の一部のバスは区役所構内に乗り入れる。当初は足立清掃工場発着の北47系統と竹の塚駅発着の北48系統に分かれ、北47系統は竹の塚駅に寄らずに日光街道を直進していたが、1982年12月26日に統合のうえ北47系統に一本化、足立清掃工場発着便も竹の塚駅に立ち寄るようになった。北48系統は千住車庫前 - 上野駅 - 秋葉原駅 - 新橋駅間の路線をルーツとする。1970年3月21日に運行を開始した。開通以来駒込駅南口までの運行だったが、1991年の南北線開業に伴い王子駅までに短縮された。平日朝夕ラッシュ時は王子駅・王子五丁目 - 上沼田団地間の需要が非常に高く、特に朝の王子方面は常に満員に近い利用状況である。また、足立区の東西方向は鉄道がないため、公共交通機関としては東武スカイツリーラインを東西に横切る数少ない存在であり、足立区内地域間の相互連絡の役割も併せ持っている。本線と折返の並行する王子駅 - 島根三丁目間のデータイムの運行頻度は毎時5 - 6回程度、以遠は2 - 3回程度である。王子-西新井間は王40甲系統と競合するが、王49系統が環七・鹿浜橋経由であるのに対して王40甲系統は都道307号・江北橋経由である。2010年4月1日、王49折返系統にハートアイランド経由便を新設し、同地区から足立区役所へのアクセスが改善された。2016年4月1日、上沼田団地発着便をすべて江北駅まで延長した。足立区役所発着便のうちハートアイランド東経由のLEDは王55系統と同様に「ハートアイランドSHINDEN」のロゴを表示し、方向幕は北区神谷町経由がオレンジ色、ハートアイランド東経由が黄色となり、千住車庫前発着便と区別されている。1989年4月10日に開通した。当初は巣鴨・千住・江東営業所の3営業所体制での運行だった。同年12月15日には土休日のみ運行の東22丙系統が設定されるも1993年3月に廃止、同時に江東営業所が撤退する。後に千住営業所も1996年に撤退、巣鴨営業所の単独となった後、2000年12月に江東営業所へ再移管、2001年7月には平日朝夕のみ、後に朝のみの運行となっていた。その後、はとバス委託路線化に伴う臨海支所への移管と東20乙系統への変更を経て2012年(平成24年)3月31日限りで廃止。王30、王31系統ともに1970年(昭和45年)に運行を開始、当初はそれぞれ143甲、143乙系統を名乗った。その後王31系統は1990年(平成2年)12月に廃止され、王30系統も2003年(平成15年)4月に足立区役所を境に分割、亀有側が有30系統となった(同時に東武との相互乗り入れを解消)。有30系統は2006年(平成18年)4月に青戸支所に移管、はとバス委託となった後に2013年(平成25年)4月をもって廃止。なお王子側は王49折返系統として現在も運行されているほか、王30系統も1日2便ながら東武が引き続き運行している。1991年(平成3年)7月に墨田区の要望を受けて開設された。当初は千住営業所と青戸支所の共管だったが、2003年(平成15年)4月に全便南千住営業所へ移管。その後はとバス委託の上青戸支所へ再移管される。墨田区コミュニティバス『すみだ百景』北西部ルートと競合になったため、2015年(平成27年)3月31日限りで廃止。1969年(昭和44年)10月の都電第4次撤去で廃止された31系統の代替。東京球場を終点としたのは、三ノ輪橋周辺に当時適当なバスの折り返し所がなかったためで、球場への観客輸送を最初から意識したものではない。東京スタジアムの閉鎖に伴い、1973年(昭和48年)に三ノ輪橋折り返しへ変更。1975年には浅草橋打ち切りとなり系統番号も草40系統に変更された。交通局第2次再建計画により、1977年(昭和52年)12月15日限りで廃止された。都電第4次撤去で31系統と同時に廃止された21系統の代替路線。当初は都電時代と同様に水天宮まで運転したが、営団地下鉄日比谷線と完全並行だったため程なくして秋葉原駅までに短縮される。東京スタジアム閉鎖で存続の意味を失い、1974年(昭和49年)1月31日限りで廃止された。30系統として1950年5月に開通した竹ノ塚駅 - 新橋駅間の路線が最初。都電第4次撤去と同時の1969年(昭和44年)10月26日付で上野広小路 - 新橋駅間を短縮、系統番号再編成で上48系統を名乗る。第2次再建計画に伴う追加の路線再編成により、1978年(昭和53年)11月1日付で千住二丁目 - 上野広小路間を短縮のうえ起点を北千住駅に変更、北48系統となる。さらに第3次再建計画に伴う路線再編成により、1982年(昭和57年)12月26日付で北47系統の一部として統合された。もとは巣鴨営業所の単独所管だったが、1990年(平成2年)7月に参入して共管となっていた時期がある。しかしその後、巣鴨単独に戻った後に2008年(平成20年)3月に南千住営業所、2012年(平成24年)4月に北営業所が参入して現在に至る。交通局と東武鉄道の共同による東京都心直通路線の第1弾として、1947年(昭和22年)6月25日に営業を開始した。1960年代に入ると東武伊勢崎線と営団地下鉄日比谷線の相互乗り入れによって長距離客が鉄道へ流出。日光街道の渋滞が激しくなると次第に利便性が低下し、1971年(昭和46年)1月31日限りで廃止。千住車庫前と保木間の間について、30系統を延長して代替とした。国際興業バスの川口鹿浜線と赤羽鹿浜線をベースに、13系統とつなぐ形で1949年(昭和24年)11月1日に開通。1970年(昭和45年)に浅草雷門までに短縮され、翌1971年(昭和46年)11月20日限りで全線廃止。川口駅と鹿浜の間は国際興業バスの川21系統、千住桜木と浅草の間は草43系統として現存する。1965年(昭和40年)9月25日に開通。千住二丁目では旧・足立区役所周辺をループしていた。千住側の利用客が少なく1969年(昭和44年)8月31日限りで廃止となった。押上、東向島から墨田二丁目にかけては1990年代に入って墨38系統が設定され復活。2015年4月の墨38から錦40系統へのリニューアルにより、錦糸町駅から押上、東向島、白鬚橋を経て墨田二丁目への路線も46年ぶりに復活した。都営バス初の深夜急行バスとして1990年(平成2年)12月10日に東武とともに開通。1994年(平成6年)4月4日限りで都営が撤退、東武の単独運行となる。その後は停留所の新設や始発を東京駅に変更するなどして現在に至る。指定車種:三菱ふそう このほかいすゞ、日野、UDトラックス(旧・日産ディーゼル)の車が在籍している。2005年度以降はいすゞ・エルガの比率が高まり、指定車種である三菱ふそうの比率は下がってきている。1997年度にはノンステップバス最初期群の車両である日産ディーゼル+富士重工ボディのノンステップ車両(UA460KAM。D221・222号車)が配置され、主に草43系統で運行されていた。中型ロングサイズの車両はエアロミディMKが配置されている。かつては日野・レインボーHRも配置されていたが、短期間で品川・杉並・巣鴨へと転出している。なお、大塚支所についでノンステップバス導入率100%を達成している。

出典:wikipedia

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