チマチョゴリ切り裂き事件(チマチョゴリきりさきじけん)とは、1994年(平成6年)5月から6月にかけて、登下校中の朝鮮学校女子生徒の制服・チマチョゴリが切り裂かれるという被害が日本各地で発生したとされるもの。警察に出された被害届は22件だが、朝鮮総連は被害件数124件と主張している。22件のうち12件が登下校中に女子生徒が衣服を切り裂かれたとされる事件、8件が暴行および傷害事件、窃盗と強制わいせつ事件が各1件である。検挙された事件のうち、一件は性犯罪、もう一件は中学生同士の喧嘩として、政治的背景はないと警察は判断した。事件が発生した頃は北朝鮮による核開発疑惑をめぐって朝鮮半島情勢が緊迫し、世論の批判が高まっていた時期である。犯行の意図については、(朝鮮総連などが主張するような)政治的・民族的な憎悪を背景に持つ犯行であると判断できる根拠は示されていない。また、根拠になりそうな犯人の犯行声明はなく、検挙実績も少なく、検挙された事件に政治的・民族的憎悪の背景は認められていない。本件に関する新聞報道は、当初は主要な全国紙が報じたが、最後まで報じていたのは朝日新聞のみだった。フリーライターの金武義がおこなった取材によれば、朝日新聞は朝鮮総連の発表の多くをニュースソースとしてそのまま報道しており、独自の調査はほとんどおこなっていなかったという。金が取材した、ある全国紙社会部記者の証言によれば、記者クラブ内でも事件について疑念を呈する向きがあったが、口に出すと「進歩的な」新聞記者から糾弾されるため、沈黙せざるを得なかったという。金が「情報に何らかのバイアスがかかった時に、チェック機能が働かないということになるのではないか。結果的には一種のフレームアップを生み出しているのではないか」と指摘すると、記者は「フレームアップとまでは言えない」としつつも、日本国内の関心が政治問題(北朝鮮の核疑惑)から人権問題(朝鮮学校女子生徒への迫害)に移ったことを指摘し、(被害状況やマスコミ報道を利用した)朝鮮総連側の政治的キャンペーンだったと感じていると述べた。金が取材をおこなった東京朝鮮中高級学校の関係者は、金の「ほとんど犯人が検挙されていない中で、どうして『民族排外主義的な日本人の仕業』と断定できるのか」との疑問に対し、「同民族の犯行であってはならないし、あってほしくないと思います。状況から見て日本の方と断定できます」と回答した。金は、女子生徒がチマチョゴリを切り裂かれる被害は、北朝鮮情勢が緊迫する以前から存在していたことを、朝鮮学校の卒業生からの取材で明らかにした。また、朝鮮学校が女子生徒のみにチマチョゴリの着用を義務付けている(女性教師については任意)ことを指摘し、「女子生徒は在日の広告塔か」と問題提起した。朝鮮総連などは、この事件は核開発や、ミサイル発射など政治的抗議を背景とする在日朝鮮人児童・生徒に対する嫌がらせだと日本政府に抗議した。日本全国の朝鮮学校ではこの事件をきっかけに「第二制服」が作られた。いわゆる普通の制服(ブレザー)である。1999年以降はほとんどの朝鮮学校で「第二制服」が着用されている。日本政府は、人種差別撤廃条約に関連してこの事件に言及した。尹健次は、この種の事件は1994年以前にも起きていたとしている。これが、1993年1月になると以下のように記述が変化する。この「ボクが〜」と答えた総理大臣は、海部俊樹である。そして2003年12月になると以下のように記述が変化する。また内田雅敏によると、1994年時点で「北朝鮮の『核疑惑』を理由として、日本国内において、またぞろ朝鮮人学生らに対する嫌がらせ、チマチョゴリの切り裂きなどの事態が頻発している」とある。同様の記述を田中宏も行っており、「北朝鮮の核疑惑が報道されると、94年4月ごろから、またまた『チマ・チョゴリ事件』が相次いだ。チマ・チョゴリは朝鮮人学校に通う女子生徒が着用しているが、通学途中、それが切られる事件がおきるのである」とある。中宮崇は2003年8月15日放送の『筑紫哲也 NEWS23』終戦スペシャルにおいて、唐突に在日三世の女性が「今年最も緊張した瞬間、成人式の日に初めてチマチョゴリを着用する」「相次いだ朝鮮総連への脅迫事件」といった内容が流されたことに疑問を呈し、どうせならば実際に切り裂き事件の被害に遭った当人に取材に行けばよいのではないかと普通の市民は思うに違いないが、何か不都合でもあるのかと訝っている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。