ダムナティオ・メモリアエ()とは、古代ローマで元老院がその支配体制へ反逆した人物に対して行った措置を指す。その対象は古代ローマ人全般に及び、少なくとも2名の皇帝がダムナティオ・メモリアエを受けたことが判っている。なお、日本語の訳は「記憶の破壊」または「記録抹殺刑」など。ダムナティオ・メモリアエを受けた人物は、その一切の存在が無かったとして、自らが遺したあらゆる痕跡を抹消された。社会的な体面や名誉を重んじた古代ローマ人にとって、ダムナティオ・メモリアエは最も厳しい措置と見做された。左にある硬貨には、元々はティベリウス帝時代にプラエフェクトゥス・プラエトリオを務めたルキウス・アエリウス・セイヤヌスの名前が刻まれていたが、ティベリウスへの謀反が発覚しセイヤヌスが処刑された後に、硬貨から「セイヤヌス」の名前が抹消された。古代ローマで、ダムナティオ・メモリアエは元老院議員や皇帝を死後に批判する根拠であった。但し、元老院がダムナティオ・メモリアエを課した場合でも、後の時代の皇帝によって、名前や彫像が再び制作されることもあった。カリグラ帝の死後、カリグラに対して元老院はダムナティオ・メモリアエを下そうとしたが、後継皇帝のクラウディウス帝はカリグラにダムナティオ・メモリアエが下されることを防いだ。68年に自殺したネロ帝は元老院によってダムナティオ・メモリアエを課されたが、69年に皇帝となったアウルス・ウィテッリウスはネロの立派な葬儀を行った。ネロを含む幾人かの皇帝の像は死後に破壊されたが、後に作り直された。公式にダムナティオ・メモリアエを受けたことが判っているのは、ドミティアヌス帝とプブリウス・セプティミウス・ゲタ帝(カラカラ帝の共同皇帝)の2人である。ダムナティオ・メモリアエと同様な制度は、古代ローマ以外でも行われている。古代エジプトではアメンホテプ4世(アクエンアテン)の像の顔の部分が後継者らによって削り取られ、トトメス3世はハトシェプストの名前や肖像を軒並み削り取った。近現代でも失脚した政治家の肖像や彫像が破壊される例は枚挙に暇が無いが、公式の写真から当人の姿のみがそれと分らないように抹消された例としてはソビエト連邦でスターリンと対立したレフ・トロツキー、スターリン時代に内務人民委員部長官を務めたニコライ・エジョフ、中国共産党副主席であった林彪のケースなどが有名である。
出典:wikipedia
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