屋島(やしま)は、香川県高松市の東北に位置する、南北に長い台地の地形(メサ)の独立峰。屋島の名称は屋根のような形状に由来し、その独特の山容は、高松市のシンボルになっている。また、いにしえは、瀬戸内海の海路のランドマークであり、海外交流交易海路に面した要衝であった。山上に多島海が眺められる展望景観を有し、1934年(昭和9年)3月16日に国立公園として初の、瀬戸内海国立公園に指定された。当初の指定範囲は屋島を含む備讃瀬戸の一帯である。島内に重層の遺跡を有し、まれな台地であることから、1934年(昭和9年)11月10日に「屋島」の名称で、国の史跡および天然記念物に指定された。指定範囲は両者とも相引川以北の全域と、その地先の100メートルの海面区域である。白村江の戦いの後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。また、南嶺山上には唐僧の鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。さらに、東岸の入江の一帯は源平合戦(治承・寿永の乱)の屋島古戦場である。その他、長崎ノ鼻(ながさきのはな)古墳・北嶺山上に千間堂(せんげんどう)跡・屋島経塚・長崎ノ鼻砲台跡などがある。屋島の山頂は平坦で、四周は急崖で囲まれたメサの標式的なものである。また、山頂近くの登山道沿いの通称「畳石」は、板状節理の露頭である。その他、屋島礫層と通称「雪の庭」と呼ばれる白色凝灰岩が南嶺山上に分布する。ドライブウェイの通じた南嶺山上は、香川県を代表する観光地の一つとして開発されているが、北嶺山上は良好な自然公園である。両者は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と、南北嶺を縦走できる登山道が整備されている。屋島は字義どおり島であるが、塩田開発と後の埋め立てにともない、陸続きのようになる。東岸と西岸の埋立地は住宅地・市街地に改変され、国の史跡および天然記念物の指定地内に多くの人が集住している。現在の法定区分では、高松市を形成する四国本島の扱いである。島々への拠点港を有する新市街地、サンポート高松のウォータフロントからの屋島の遠望は、ハワイのダイヤモンドヘッドに似た、シンボル性のあるランドマークである。荒俣宏は、世界のパワースポット、エアーズロックやモニュメントバレーに日本で一番近い代表的な地形は、屋島です。「自然が作った神のテラスのような形をしている」と評す。屋島は南北5キロメートル・東西3キロメートルの島である。南嶺の標高は292.0m・北嶺の標高は282m、山頂は平坦で、端部は急崖で囲まれたメサである。両者は細い尾根で接続されている。屋島の基盤岩は花崗岩で、火山活動の溶岩などが湖を埋めた後に土地が隆起したとされている。その後、長期にわたる浸食・削剥作用に対して、硬質の讃岐岩質安山岩(サヌキトイド)がキャップロックとなり残った台地の地形である。塩田跡は埋め立てられ、短い多くの橋が架かり、探索だけでは島を認識することは困難である。四国本島と屋島は、相引川(幅10メートルほどの河川)で分離されている。山麓では、浦生の鵜羽神社境内遺跡で弥生時代後期に土器製塩が開始され、古墳時代中期に築かれた長崎ノ鼻古墳に至る。山上では、弥生時代中期の高地性集落の痕跡があり、飛鳥時代の屋嶋城の築城に至る。663年の白村江の戦いの大敗の後、中大兄皇子(天智天皇)が、唐・新羅の侵攻に備え、対馬~九州の北部~瀬戸内海~畿内に至る要衝に、様々な防御施設を築いたことが『日本書紀』に記載されている。天智天皇6年(667年)の条に、「築 倭國高安城 讃吉國山田郡屋嶋城 対馬國金田城」と記載され、古代山城の屋嶋城が築かれた。しかし、山上に遺構が見あたらず、実体のない幻の城であった。1998年、南嶺山上の石塁の発見を契機に城門跡が発掘され、山上の城の存在が明確になった。古刹の屋島寺は、南面山千光院と号する仏教寺院で、前身は北嶺の山岳寺院、千間堂跡にあったとされる。寺伝では、空海が南嶺に伽藍を移したという。鎌倉時代は盛衰を繰り返し、江戸時代初期の勧進により再興する。その後、藩主の生駒氏・松平氏の庇護を受け整備された。また、屋島寺本堂・木造千手観音坐像・梵鐘は、国指定の重要文化財である。屋島は源平合戦の摂津一ノ谷の戦いに破れた平氏が、安徳天皇を奉じて根拠としており、翌年の1185年(元暦2年2月)に起こった、讃岐屋島の戦いの古戦場である。平家物語他、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられた、扇の的を射落としたエピソードなどが知られる。四季を通して観光客・四国霊場巡礼者・登山客が訪れる屋島は、県下の小・中学生の学習場所として活用され、県民も散策や登山などを楽しむ。山上は南嶺と北嶺ゾーンに区分できる。南嶺には、四国八十八ケ所霊場第84番札所の屋島寺、蓑山大明神、屋島寺宝物館、新屋島水族館がある。また、屋嶋城の城門遺構の復元と見学路などが整備され、2016年3月19日より、一般公開されている。南嶺の獅子ノ霊巌(ししのれいがん)からは、高松市街・五色台・瀬戸大橋・琴平山(象頭山)、談古嶺(だんこれい)からは、源平合戦の屋島古戦場・五剣山、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)からは、多島海が眺望でき、三大展望所とされている。また、夕夜景の展望景観は、「日本の夕陽百選」・「日本夜景遺産」・「夜景100選」に選定されている。南北嶺の山上は歩行者専用の探勝遊歩道が周回し、北嶺北端の遊鶴亭に加え、南嶺南端の冠ケ嶽で讃岐平野と阿讃の山並を楽しむ散策者もいる。また、岡山県の鷲羽山などの山並みと、兵庫県の南西部の山並みに加え、淡路島も遠望できる。さらに、晩秋から冬季は、剣山や明石海峡大橋も視野に入る。そして、 談古嶺では、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で、四国本島最北端の庵治町は眼下に、映画「二十四の瞳・八日目の蝉」のロケ地の小豆島も一望できる。日本三名狸の屋島ノ太三郎(やしまのたさぶろう)狸は、蓑山大明神として屋島寺の境内に祀られている。一夫一婦の契も固く、家庭円満・縁結びの神とされている。井上ひさし著の小説『腹鼓記』の屋島ノ禿狸や、アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』の太三郎禿狸として知られる。名物は、「いいだこのおでん・かわらけ投げ」などがある。屋島ドライブウエイは、南嶺東斜面を縦走する。山上に近いヘアピンカーブのトンネルを貫け、西斜面に出て駐車場に至る。東斜面には二か所の展望所があり、中腹には下っているように見える不思議な上り坂がある。また、このドライブウェイは「日本風景街道」の「源平ロマン街道」に指定され、屋島山上~海沿いの庵治半島~道の駅「源平の里むれ」を結ぶ風景街道である。屋島ドライブウエイの料金所の手前の山側には、祭神が徳川家康と松平頼重の屋島神社(讃岐東照宮)と、四国民家博物館(四国村)が隣接して存在する。東岸の入江(屋島湾)と、入江を囲む屋島東町・牟礼町・庵治町・屋島の南に隣接した高松町が、源平合戦の屋島古戦場である。歴史と数々のエピソードを有する平家物語他が織り成す史跡が点在する。香川県は、屋島を筆頭とするメサと、飯野山(讃岐富士)を筆頭とするビュート状の小山が混在し、特異な景観を有する。この様子は、屋島山上からも展望できる。屋島は、瀬戸大橋の開通時の賑わいを最後に観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖された後、廃屋が林立する状況に至った。2011年、大西秀人市長は屋島の活性化を宣言し、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画を策定した。その後、廃屋撤去跡の整備他、種々の活性化策が展開されている。山上へは、屋島山上行きシャトルバス・タクシーの利用、または自動車で有料道路の屋島ドライブウエイを利用、あるいは徒歩の方法がある。シャトルバス・タクシーの利用は、JR高徳線の屋島駅または高松琴平電気鉄道(琴電)志度線の琴電屋島駅が最寄駅となる。山上は南嶺の駐車場を除いて歩行者天国、自転車・自動車の走行は許可申請を要する。徒歩の場合は、琴電潟元駅・琴電屋島駅またはJR屋島駅で下車、屋島小学校の前を通り、歩行者専用の屋島登山道(参道・遍路道・四国の道・県道)を登る。かつては屋島ケーブルがあったが、2004年に廃止された。
出典:wikipedia
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