与野駅(よのえき)は、埼玉県さいたま市浦和区上木崎一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。乗り入れている路線は、線路名称上は東北本線および武蔵野線(大宮支線)であり(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)、書類上の分岐駅となっている。旅客列車に関しては東北本線の電車線を走る京浜東北線電車のみが停車し、旅客案内では「東北(本)線」とは案内されていない。武蔵野線大宮支線は、物理的には当駅北方にある大宮操車場構内で東北貨物線から分岐しており、主に日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物列車が経由するが、当駅には貨物線上に旅客の乗降設備がないため、同支線を経由する「むさしの号」「しもうさ号」などの旅客列車は停車できない。島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)。みどりの窓口は2013年4月23日もって営業を終了した。自動改札機、指定席券売機が設置されている。埼玉県内の京浜東北線の各駅では、駅長室が東口側にあるため、番線番号が少ない方が南行、番線番号が多い方が北行となっているが、当駅のみが逆になっている。2007年10月1日から、1番線の発車メロディにさいたま市歌『希望(ゆめ)のまち』が使用されている。当駅の2015年度の1日平均乗車人員は26,063人で、これはJR東日本エリア全体では157位である。2000年に、当駅から約1.1km大宮寄りにさいたま新都心駅が開業したため利用者が分散し、一時的に多少の減少があった。近年の1日平均乗車人員とその順位(JR東日本管内の駅)の推移は以下の通り。付近は、古くから郊外へ放射状に広がる住宅地である。かつては西口側に複数の商店街が構成されていたが、1980年代以降、後述の再開発事業と2000年代のさいたま新都心街開きにより、以前からあったものも含め大型商業施設が5km圏内の大宮駅・さいたま新都心駅・浦和駅周辺に集中するようになった。また、埼京線の開業により、与野駅を利用する旧与野市民は減少した。この環境の変化により、大正時代から与野市街との往来で栄えていた「与野駅前(与野停車場)通り」沿いを中心に空洞化が進み、祭事以外は人の流れは少ない。なお、与野駅開業80周年を迎えた1991年(大正80年にあたる)より、与野駅西口商店街主催(旧与野市側が後援)で、大正時代の賑わいや風俗を再現する「大正時代まつり」(当初は「大正時代浪漫まつり」)が、例年10月に与野駅前通りを中心に催されている。東口は駅前広場が無く狭いため、駅前広場を整備する都市計画が決定している。しかし、2009年より地権者に立ち退きを要望しているが理解を得られておらず、未だ整備されていない。東口は放射状に一戸建て・中小規模の集合住宅と商店が建ち並んでいる。なお、浦和区内の東口においても最寄駅が当駅であるため、コンビニエンスストアなどで店名を「与野店」としている店舗もある。西口は1960年代より埼玉県による土地区画整理事業が策定されていたが、当初は地権者の反対が強く停滞していた。1980年代にさいたま新都心の計画が決定すると、1998年より再開発組合による本格的な開発が進み、2003年に一段落をみた(2010年まで事業中とされている)。北浦和方面への線路沿いは、中層の集合住宅が所狭しと並んでいる。以前は西口からもバスが発着していたが、当駅周辺での商業の空洞化が進み、2010年4月1日をもって平日朝1本のみ運行されていた志03系統(与野本町駅・埼玉大学経由志木駅東口行)が廃止、東口もロータリーに発着するバスが2013年9月20日よりさいたま新都心駅東口に延伸したため、「与野駅東口」停留所が旧中山道上に移設され、当駅のロータリーを発着するバスはなくなった。東口側の「西高通り」の始点に当たる旧中山道との交差点(浦和区上木崎)の車道中央部に、「大原(与野駅)の大ケヤキ」と地元民に称される、推定樹齢300年で高さ13メートルの巨大なケヤキの木が樹立していたが、2008年に樹木医の診断で根本部分に回復不能の腐食が見つかり、2010年5月19日深夜に管理者のさいたま市によって伐採された。
出典:wikipedia
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