能代市(のしろし)は、秋田県北部に位置する日本海に面した市である。能代工業高校のバスケットボールでの活躍が有名。旧能代市時代の1989年度(平成元年度)からバスケットボールの街づくり事業に取り組んでいる。市域のほとんどは能代平野に属する平坦地だが、三種町との境付近や海岸部には丘陵がある。また、東部は米代川流域を除き山地が広がる。能代が初めて文献に登場したのは658年、阿倍比羅夫が蝦夷征伐のために「渟代(ぬしろ)」に上陸したことで、これは日本書紀に記されている。また、771年には「野代湊(現能代港)」に渤海の使節来港、1704年には現在の「能代」に改称という記録がある。ただし、厳密にはこれらの地名は現在の能代周辺を指すのではなく、渟代は八郎潟湖以北の主に海岸部を、野代は米代川流域を指したものであったと考えられている。能代の地名は『日本書紀』において「斉明天皇4年(658年)4月、越国守阿倍比羅夫が軍船180隻を引いて蝦夷を伐つ、齶田(飽田)・渟代二郡の蝦夷望み恐じて降わんと乞う」と「渟代」の名で登場して以後1300年以上続いている。これは現在の秋田である齶田と並んで県内でも有数の歴史ある地名といえるものである。当時の渟代の読みである「ヌシロ」という地名の由来を、当時この地方に居た蝦夷すなわちアイヌの言語で「台地上の草原地」を意味するという「ヌプシル」(nup-sir) からの転語とする説もあるが、正確な語源は定かではない。『続日本紀』では「宝亀2年(771年)渤海使青綬大夫・壱万福等325人、船17隻に駕し出羽国賊地・野代湊に着く」と「野代湊」の名が記され、「渟代」から「野代」へと表記が変わっている。野代から能代への漢字の変遷は、元禄7年(1694年)および宝永元年(1704年)に大震災が起こり、「野代」という地名が「野に代わる」と読めることを忌避し、「よく代わる」と読める能代と改めたためである。なお、渟代という地名は現在も渟城(ていじょう)という字をあて小学校の校名など一部で使われている。現在、本庁舎については、第1庁舎と同じ敷地内に所在した第2庁舎および第3庁舎(および渡り廊下を含む第1庁舎付属屋)を取り壊し、その跡地に新本庁舎を建築中である。なお、第1庁舎と旧議事堂棟は、戦後の能代大火の復興建築として建築された建物であり、歴史的価値が高いとされるため、保存か解体かで論議がされたことがある(2016年時点で、存廃は未定)。元々第2および第3庁舎にあった部局は、廃校となった旧能代市立渟城第二小学校の校舎を仮設庁舎として使用している(第1庁舎の向かいに所在)。能代市では、市内の二ツ井町を中心として『恋文のまち』をテーマにした観光スポットきみまち阪、恋文商店街や、パワースポットといわれる七座山、その他にも多数の神社・寺院や自然の魅力を有している。1881年(明治14年)、東北巡幸中に二ツ井町を訪れた明治天皇のもとへ届いた皇后からの手紙が由来で『恋文のまち』としても知られる二ツ井町では1996年(平成6年)から10年間『きみまち恋文全国コンテスト』を開催し、恋文をテーマにしたまちづくりが進められてきた。2015年(平成27年)には、恋文のまちをテーマにした『きみ恋カフェ』なども期間限定で設置されている。大館能代空港へのアクセスは、秋北タクシーによるデマンド運行となる(リムジンバスが廃止となったため)。
出典:wikipedia
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