つがるとは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が秋田駅 - 青森駅間を奥羽本線経由で運行している特急列車である。本項では、秋田県と青森県を結ぶ優等列車のほか、上野駅 - 青森駅間で運転されていた急行列車「津軽」についても記述する。特急「つがる」は秋田駅 - 青森駅間を運行する特急列車である。2002年12月1日に東北新幹線盛岡駅 - 八戸駅間が延伸開業したことによるダイヤ改正により八戸駅 - 青森駅・弘前駅間を結ぶ特急列車として運転開始したが、2010年12月4日のダイヤ改正で東北新幹線が新青森駅まで延伸したことにより、従来の「つがる」は八戸-青森間を廃止、青森-弘前間を普通列車で代替した。一方、同改正では秋田~青森間を走行する特急「かもしか」と「いなほ」の秋田~青森間計4往復が統合されることとなり、新愛称として「つがる」が秋田駅 - 青森駅間の奥羽本線を走行する特急列車の名称へ転用され、現在に至っている。列車名は青森市を含めた青森県西部の郡名および地域名に由来している。2002年に行われた八戸駅 - 函館駅間の特急列車名称の一般公募では2位にランクされており、「新幹線と青森・弘前等の都市を結ぶ列車にふさわしい」として、別途八戸~弘前間特急を設定するにあたって起用された。2016年3月26日現在、1日3往復が運行されている。2016年3月25日までは5往復が設定されていたが、利用実態を踏まえ、2往復が普通・快速列車へ格下げとなった。うち1往復は同区間を座席利用可能であった寝台特急「あけぼの」の代替として2014年3月15日から毎日運転の臨時列車扱いとして設定されていたが、号数は通し番号であった。このほか2010年12月4日の設定から2015年3月14日までは、臨時列車が大館駅 - 青森駅間で2往復(51 - 54号)設定されていた。このうち大館行きの52号は、2010年12月4日から2013年3月15日まで青い森鉄道線浅虫温泉発で運転され、青い森鉄道線内は快速列車として運転されていたが、翌16日のダイヤ改正で青い森鉄道線内からの乗り入れが廃止された。さらに、2014年3月15日のダイヤ改正で、52・53号が快速、51・54号は普通列車(運転区間はいずれも弘前駅 - 青森駅間)にそれぞれ置き換えられて廃止された。なお、新青森駅 - 青森駅の両駅相互間を普通車自由席に乗車する場合に限り、特急券は不要である。なお、2012年春季まで、「青春18きっぷ」と「北海道&東日本パス」にはこの特例は適用されなかった。詳しくは特別急行券#特急料金不要の特例区間を参照のこと。2002年12月1日の東北新幹線八戸駅開業にあたって、「はつかり」・「スーパーはつかり」の青森発着列車を引き継ぎ、一部列車を弘前へ延長する形で設定された。2010年12月3日の東北新幹線新青森駅開業前日までは、八戸駅 - 弘前駅間で下り6本と上り5本が、八戸駅 - 青森駅間で3往復が運転されていた。また、八戸駅では東北新幹線の「はやて」に接続するダイヤを組んでいた。「つがる」6号は土曜日を中心に弘前駅 → 青森駅間で延長運転していた。運転開始当初は毎日運転であったが、利用者が低調であったことから、のちにこの形態に変更された。また、青森ねぶた・弘前ねぷた期間中には、「つがる」29号(2003年 - 2005年は25号)が観光客輸送のために弘前駅 → 秋田駅間は臨時列車として延長運転していた。なお、2011年からは、「つがる」としてではなく、臨時特急「ねぶたまつり」として運転されている。八戸駅 - (三沢駅) - (野辺地駅) - (浅虫温泉駅) - 青森駅 - (浪岡駅) - 弘前駅1960年12月に秋田駅 - 青森駅 - 鮫駅間で準急列車として「白鳥」が運転を開始し、ビジネス列車として秋田駅以北の都市間輸送を使命としていた。キハ55系などによる4両編成で運転されていたが、このうち2両は地元の利用債によって完成したものであった。こののち、日本海縦貫線で特急列車の運転の計画が持ち上がって列車名が「白鳥」に転用されることが決まると、秋田駅 - 鮫駅間の「白鳥」は、1961年9月に「岩木」に改称された。「岩木」に改称されると同時に運転区間は秋田駅 - 青森駅間に変更されたが、青函連絡船との接続もなく、1965年10月に「むつ」に統合されて廃止された。列車名の由来は、「白鳥」は国の天然記念物で青森県東津軽郡平内町の浅所海岸に飛来するハクチョウ、「岩木」は青森県弘前市および鰺ヶ沢町にある岩木山である。「むつ」は1963年10月に仙台駅 - 青森駅間で運転を開始した急行列車であるが、1965年10月に準急「岩木」を統合して仙台駅 - 青森駅 - 秋田駅間の運転に変更された。しかし、大半の利用客は青森駅で入れ替わり、奥羽本線での運転距離は200kmに満たないことから、青森駅 - 秋田駅間は準急列車として運転され、1966年3月に全区間急行列車になった。その後、1968年10月には仙台駅 - 青森駅間は「くりこま」に系統分割され、「むつ」は青森駅 - 秋田駅間の運転に改められた。1970年10月と1982年11月にそれぞれ1往復が増発されて最大3往復が運転されていたが、1985年3月に奥羽本線の特急網の整備によりほかの列車に統合されて1往復に削減されたまま特急列車化され、1986年11月まで運転された。列車名の由来は青森県・岩手県・宮城県・福島県と秋田県の一部の旧国名である陸奥国で、特急「むつ」のヘッドマークは岩木山と名産のリンゴがアレンジされたものであった。急行「津軽」は、1922年(大正11年)3月に上野駅 - 青森駅間を東北本線・奥羽本線経由で結ぶ夜行急行701・702列車が夜行普通703・704・705・706列車とともに新設されたのが起源である。その後、列車番号を401・402列車にあらため二等寝台車(現在のB寝台車に相当)の連結を開始、太平洋戦争に伴って運行区間を上野駅 - 秋田駅間に短縮し、普通列車へ格下げとなるが、戦後間もなく夜行準急405・406列車として優等列車に復帰し、1947年(昭和22年)6月には急行列車に格上げとなった。列車番号も401・402に変更された後の1950年(昭和25年)12月には急行「鳥海」(ちょうかい)の愛称が付されている。一方で、上野駅 - 秋田駅間を高崎線・上越線・羽越本線経由で結ぶ優等列車は、上越線が開通した1931年(昭和6年)9月より二等寝台列車連結で設定され、寝台夜行急行「天の川」の起源となった。この列車は戦争中に廃止となったが、戦後、1948年(昭和23年)7月のダイヤ改正で、上野駅 - 新潟駅間毎日運転の夜行急行701・702列車の運行区間を延長する形で不定期急行2701・2702列車として運転を再開する。「津軽」という列車名は、1954年(昭和29年)10月に開設された上野駅 - 青森駅間を上越線・羽越本線経由で結ぶ臨時の夜行急行列車にはじめて付されたものだが、2年後の1956年(昭和31年)11月には、東北本線・奥羽本線の定期夜行急行「鳥海」の運行区間を、戦前の運行体系どおりに青森駅まで延長復旧させた401・402列車の愛称として命名され、その後4半世紀にわたり東北本線・奥羽本線を経由して上野駅 - 青森駅間を結ぶ夜行急行列車として運行されることとなる。この頃、1950年代から1960年代にかけては、東北地方から東京方面への出稼ぎや集団就職が盛んに行われていた時代であり、これら出稼ぎ者や集団就職者のうち、奥羽本線沿線(山形県・秋田県・青森県西部の地域)の人々にとっては、急行「津軽」は沿線唯一の優等列車であり、集団就職列車や長距離普通列車によって上京した人々にとっては、急行「津軽」の、特に一等寝台車(のちのA寝台車)を使用して帰郷することがいつしか成功の象徴ともなり、急行「津軽」はマスコミなどからは「出世列車」と呼ばれることとなった。急行「津軽」は1965年(昭和40年)10月に2往復体制となったが、1982年(昭和57年)11月の東北新幹線本格開業に伴い1往復を特急「あけぼの」に格上げされ1往復となり、1993年(平成5年)12月には臨時列車化され1998年(平成10年)12月の年末運転をもって廃止となった。
出典:wikipedia
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