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厚木駅

厚木駅(あつぎえき)は、神奈川県海老名市河原口一丁目にある、小田急電鉄・東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・相模鉄道(相鉄)の駅である。小田急電鉄の駅番号はOH 33。駅名は「厚木」であるが、厚木市ではなく「海老名市」に所在する。理由は、はじめに神中鐵道(現・相模鉄道)が対岸の厚木までの路線を計画していたものの資金不足を理由に川の手前側に設置した駅を「厚木」と命名したという説がある。また、駅を作ったときには海老名は寒村であったため、海老名村の村長であった望月珪治と厚木町の助役で神中鐵道の重役であった中野再五郎と相談し、相模川対岸のよく知られた厚木町の名前をもらって駅名にしたという説もある。現在の駅は1927年に開業した「河原口駅」が1944年に改称されたもので、旧厚木駅は1941年に旅客営業を廃止している。厚木市の中心駅は一駅隣にある小田急本厚木駅で、こちらは河原口駅の改称に伴い旧称の相模厚木駅から「本来の厚木」という意味で新しく命名された駅である。旅客駅としては、小田急とJR東日本が構内を共用する共同使用駅となっており、小田急が駅を管轄している。海老名市のホームページでは2009年に市民からの「本厚木ではなく偽厚木と説明しなければならないため駅名変更してほしい」という意見への回答として、2008年度にJR東日本に改名の提案をしたが、厚木の駅名が定着していることと、駅名変更に多額の費用がかかるため駅名変更の予定がないと回答されたこと、小田急からも変更の予定はないと回答されたことを示している。神奈川県鉄道輸送力増強促進会議は、2012年度の小田急電鉄向け要望書にて、海老名市にあるにもかかわらず当駅が「厚木駅」と名乗っていることから駅名の改称を要望している(JRに対しては未確認)。これに対し、小田急電鉄は「駅名変更計画は、現在のところない」としている。なお、小田急電鉄はこの要望を受けて駅名標に「神奈川県海老名市」と2012年2月から併記している。旅客線は小田急の小田原線と、JR東日本の相模線が乗り入れ、接続駅となっている。駅構内から茅ヶ崎方へ向かい、相模川の川岸にある相模興業の敷地内まで砂利輸送用の専用線があり、その先にはトロリー線もあった。現在の静岡中央銀行厚木支店の東側から分岐し、坂本祭典厚木斎場の建物の場所・マンションと駐車場の間の道・県道を横切り、相模興業の敷地に至っていた。開業時は相模鉄道が砂利採取を行っていたが、1931年以降は相模興業に委託していた。戦時体制において東海道本線が攻撃された場合に相模湾方面と東京都心をつなぐ路線を確保するために小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)小田原線と相模鉄道(現在のJR)相模線を結ぶことを国から要請されていた。それに応えて建設されたのがこの短絡線である。現在のURえびな団地とえびな幼稚園の間より若干新宿寄り(付近)で小田原急行鉄道小田原線から分岐し、URえびな団地の北西側・フェルキー厚木(マンション)・小田急電鉄厚木変電所の南東の道・桜接骨院・ごみ集積所を通り、坂本祭典厚木斎場の東側で相模鉄道相模線に合流していた。小田原急行鉄道小田原線の河原口駅構内扱いであったが、この短絡線は小田原急行鉄道小田原線の河原口駅のホーム・相模鉄道相模線の厚木駅のホーム・前記の砂利採取線へ直通する路線ではない。短絡線使用後も小田急線の側線として残され、変電所車が留置されて仮設変電所とされていた時期がある。厚木操車場の東側には、1964年(昭和39年)に小野田セメント(現在は厚木レミコン、2012年3月に閉鎖)の生コンクリート工場が開設され、相模鉄道の駅に専用線で接続し、原料のセメントが鉄道輸送により搬入されるようになった。この輸送は、1979年(昭和54年)以前は相鉄本線の西横浜 - 保土ヶ谷間貨物支線を介し、相鉄本線・厚木線経由で行われていたが、同年の西横浜 - 保土ヶ谷間貨物支線の廃止に伴い経路変更され、茅ヶ崎から相模線経由で輸送されるよう改められている。この経緯から、輸送経路変更後も工場への専用線は相模鉄道の厚木駅に接続しており、相模線の貨物列車で到着したセメントホッパ車の工場への入線及び空車の送り出しは相模鉄道の機関車で行われ、小野田セメントから相模鉄道に対し構内輸送運賃が支払われていた。1986年(昭和61年)にこの輸送は終了した。小田急とJR東日本が改札口を共用しており、自動改札機はすべて小田急仕様のものが設置されている。2014年2月に設置された相模線乗換改札も、小田急仕様の自動改札機である。そのため、JRの一部の磁気定期券および企画乗車券は自動改札機を通過できない。券売機もすべて小田急仕様のものが設置されている。JR線の乗車券類の販売にも対応しているが、普通乗車券と回数券のみの発売で、定期券や特別企画乗車券の購入はできない。2016年2月15日までは、会社毎に券売機が設置されていた(画像参照)。相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。準急も停車するため、ホーム有効長は10両対応となっている。改札口は新宿側の先端の1か所。改札口と中2階・ホームとの間にはエレベーターが設置されている。トイレは長らく中2階にあったが、下りホームに移転した。従来トイレがあった位置には多目的トイレが設置された。また、JR側にはトイレがないため、JR利用者も小田急側のトイレを利用することになる。海老名駅の管理下にある。2013年1月11日に、行先案内表示器が新設された。毎年8月に開催される「あつぎ鮎まつり」開催日は臨時に急行も停車することがあり、2016年8月27日と8月28日だと海老名運動公園にていきものがかりのライブが開催された際には遅い時間に一部の急行と快速急行が臨時停車した。小田急厚木駅の1番線(下り線)プラットホームの小田原寄りから線路と反対側の下を見た所と、小田急の線路とJRの線路が立体交差する地点の南東側(海西交番から相模線を挟んだ反対側)に、相模川橋梁架け替え前の旧線の橋脚が残っている。相模川橋梁架け替え前の小田急厚木駅跡地には、小田急マルシェ厚木が建てられている。単式ホーム1面1線を有する地上駅である。駅設備は海老名駅によって管理されている。2007年3月10日までは改札口から線路を越えたところにホームがあり、構内踏切を有していた。この構内踏切は手動式で、列車が来る時は駅員が接近放送を行った後に遮断機を下ろしていた。その後同年3月11日に横断踏切が撤去され、側線の跡地(線路は撤去されていない)にスロープを配した新しいホームの使用を開始したので、小田急との乗り換えの利便性が向上し、バリアフリーに配慮された構造となり、駅員の接近放送や遮断機下ろしもなくなった。2014年2月14日までは改札内にSuica・PASMOのJR東日本線用簡易改札機(読み取り機)が設置されており、乗換やJRのみの利用いずれもICカードをタッチすることになっていたが、新たに乗換改札口が設置され、2月15日よりICカード、磁気券ともに改札を通ることとなった。かつて一般貨物扱いがあった時期は独立した駅舎が設置されていたため、駅の中心となる本屋(停車場中心)は北側に広がる操車場部分であり、ホームのある地点は「厚木乗降場」と称されている。2010年現在、旧駅舎はJR東日本厚木提携販売センターとして使用されている。海老名駅の開業以前は本屋で列車交換や列車の夜間留置が行われ、当駅から橋本・茅ヶ崎へ向かう区間列車も存在していた。国有化前の相模鉄道時代は相対式ホーム2面2線の交換可能な駅だったが、国有化と同時に小田急との乗り換えの利便性を高めるためホームのみを南に移設した。このため、列車交換が行われなくなったのにもかかわらず、現在もかつてホームがあった部分では、列車は左側通行で通過している。相模鉄道の厚木駅は、旅客扱いを行わない貨物駅である。定期貨物列車の発着はなく、JR線経由で甲種輸送された車両の授受のみ行われる。当駅に乗り入れる相鉄厚木線は、本線の相模国分信号所から分岐し、JR線海老名駅の南側線路を並行して当駅のJR線のりばの北側で接続しており、同ホームの裏側まで厚木操車場と呼ばれている。かつては在日米軍厚木基地への貨物列車の連絡や旧・小野田セメントへの貨物輸送が行われていたが、その後は新車の搬入や夜間の車両留置に使われるのみである。近隣住民の申し入れで早朝と夜間の列車の出・入庫は制限されている。また、この留置線は廃車・休車となった車両の留置にも使用されている。各年度の1日平均乗降人員は下表のとおり(JRを除く)。各年度の1日平均乗車人員は下表のとおり。当駅では臨時車扱貨物のみを取り扱っており、定期貨物列車の発着はない。まれに発着する臨時貨物列車は、相鉄の新車を搬入する車両輸送列車である。近年の年間発着トン数は下記の通り。各年度の年間発着トン数は下表のとおり。厚木と名乗るが厚木市外にあり、市街地からは相模川を隔てて2kmほど離れている上、海老名市の中心市街にもないため駅前の商業的な広がりは薄く、飲食店が多少ある程度。駅舎の北側にある歩道橋は駅の東西を行き来するために設けられたものである(当駅は改札が1カ所しかないため通り抜けが不可能)。

出典:wikipedia

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