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マイアミ・マーリンズ

マイアミ・マーリンズ(、略称:"MIA")は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)ナショナルリーグ東地区所属のプロ野球チームで、フロリダ州マイアミにあるマーリンズ・パークを本拠地としている。MLBの球団拡張政策により、1993年にコロラド・ロッキーズと共に誕生。浅い歴史ながら、これまでワールドシリーズに1997年、2003年に進出しいずれも世界一に輝いている。しかし、いずれも世界一に輝いた直後に主力選手をトレードやFAで放出させ、その放出振りの「酷さ」が「ファイヤーセール」と形容される程である。ファイヤーセール後は若手主体のチーム編成になり、1998年には前年度世界一から最下位にまで転落。その後は若手が育ち、2003年に再びワールドシリーズ制覇を成し遂げるが、またしても2005年にファイヤーセールを断行。これがファンがチームに対して愛着が持てず、地元の人気を得られない原因と指摘される。マーリンズの経常利益はMLB30球団のうち1位である。これは市場は小さいが、選手へ払う年俸も安い、更に総年俸が安いためにMLBから支給されるレベニュー・シェアリングや贅沢税の分配金を多く獲得出来るからである。「マーメイズ」というチアリーディング・チームがある。これはMLB球団では唯一の存在である。また新たに「マナティーズ」という太った男達による応援団も結成された。また、北海道を拠点にしている社会人野球のクラブチーム、トランシスと業務提携をしている。NFLマイアミ・ドルフィンズのオーナーを務めるウェイン・ハイゼンガー(レンタカー・ビデオショップチェーン経営)が「マイアミは野球のキャンプ地にはなるが、ホーム・チームがないのはいかがなものか」として1993年にフロリダ・マーリンズの球団名で誕生した。1年目は観客動員数300万人を達成。西武ライオンズで5番を打っていたオレステス・デストラーデが加入している。しかし、翌年以降早くも客足が遠のく。このため1995年よりFA市場にも積極的に乗り出して選手の補強に努める。その結果、総年俸が膨れ上がり球団経営を圧迫。このため、ハイゼンガーはマーリンズ専用の新球場の建設を地元自治体に求め、要求が聞き入れられない場合は身売りすることも公言していた。監督にジム・リーランドを迎えた創設5年目の1997年、ワイルドカードでプレーオフに進出。クリーブランド・インディアンスを破りワールドシリーズを制覇して世界一を達成する。しかし、ハイゼンガーは1997年シーズン途中で身売りを決定していた。チームはワールドシリーズ制覇後、チームの主力選手であるボビー・ボニーヤや、ゲイリー・シェフィールド、ロブ・ネンなどを軒並み放出する「ファイヤーセール」を行う。このため総年俸は97年の5300万ドルから1300万ドルにまで激減させた。若手中心のチーム作りを目論んだが、1998年には54勝108敗で最下位に転落した。1999年より、投資家として成功していたジョン・W・ヘンリーがチームを買収し、マーリンズのオーナーとなる。ヘンリーは旧来的な考えが根強いアメリカ球界で、セイバーメトリクスに基づいた合理的な球団運営を行えば成功できると考えていたが、球団の実情はヘンリーが想像していた以上に深刻だった。そのため早くも身売りを目論む。2002年、オーナーのヘンリーはボストン・レッドソックスに乗り換えるべくモントリオール・エクスポズのオーナーだったジェフリー・ローリア(現オーナー、ニューヨークで画商を営む)が買うという球団の三角売買が行われた。その結果、球団創設時からGMを務めたデーブ・ドンブロウスキー(現:レッドソックス)も放出され、GM以下、スタッフはエクスポズのメンバーで占められることになった。選手もティム・レインズ親子が入団、2007年9月からはエクスポズから移籍したラリー・ベインフェストが球団共同代表に就任し、エクスポズ色の強いチームになった。2003年はシーズン途中から監督に就任したジャック・マキーオンの下、ワイルドカードでプレーオフへ進出してリーグ優勝を達成。ワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースを4勝2敗で破り、2度目の世界一に輝く。しかしこの時も、直後のオフシーズンでデレク・リーをトレードへ放出するなど主力選出の放出、FA移籍が相次いだ。2005年シーズン終了後に監督のマッキオンが退任、ミゲル・カブレラ、ドントレル・ウィリス以外の主力をほとんど放出する2度目の「ファイヤーセール」を敢行。MLBでは破格の1500万ドル程度という安さのチーム年俸総額となる(これは当時デレク・ジーター一人の年俸にも及ばなかった)。これについては主に球界からは年俸削減と多数の若手有望株の獲得を同時成功させたラリー・ベインフェストGMを評価する声が上がっている。しかし、メジャーでの実績がほとんど無い選手が大半を占めるメンバー構成、そして、「どうせ近々移転してしまう」という諦めムードもあり、残っていたファンも大半が愛想を尽かし、観客動員はより一層減少してしまった。2006年、監督に元ニューヨーク・ヤンキースの捕手ジョー・ジラルディが就任。5月末時点では11勝31敗と借金20を抱えていたが9月3日には勝率を5割に戻し、最終的には地区4位に終わったものの一時はワイルドカード争いに顔を出すまでの追い上げを見せた。20もの借金を抱えたチームが一時的であれ勝率5割まで持ち直したのは、1899年のルイビル・カーネルズ(ホーナス・ワグナーで有名)以来107年ぶりの快挙だった。しかし、ジラルディはオーナーと真夏の試合中に口論し、機嫌を損ねたオーナーにシーズン終了後に解雇された(後にヤンキースの監督に就任)。2007年オフには、ついにミゲル・カブレラ、ドントレル・ウィリスをデトロイト・タイガースに放出。チーム年俸総額の半分弱を占めていた両選手の放出により年俸総額は約3000万ドルから約1600万ドルまで減り、タンパベイ・レイズの約2400万ドルを「抜いて」年俸総額はMLB最下位となった。2008年、2009年とMLB最下位の年俸総額ながら2年連続で勝ち越し、2009年はシーズン終盤までワイルドカード争いに加わるなど健闘を見せたが、あまりにも資金を出し渋る球団に対して「(低年俸球団に分配金が与えられる)収益分配制度を悪用している」という批判の声が高まり、2010年1月には遂に、メジャーリーグ選手会と、コミッショナーのバド・セリグに年俸総額の引き上げを約束させられる異例の事態に発展した。2011年、ジャック・マキーオンが監督代行に就任。しかし故障者が続出し、4年ぶりの最下位に終わった。球団発足から2011年まで使用していたサンライフ・スタジアム(旧称ドルフィン・スタジアム)は街外れで不便な上、風雷雨にさらされやすい気候にも拘らず屋根が無いため、2011年シーズンは雨天中止が一番多かった。また、本来アメリカンフットボール用のため、座席の配置(座席が本塁ではなくフィールド中央を向いている)・フィールドの仕様などを見ても、野球に適した競技場ではなかった。移転の噂が囁かれる中、2007年12月18日に新球場を含めた公共施設の建設計画が承認され、2月中にも正式契約を結ぶ運びとなった。新球場マーリンズ・パークは開閉可能な屋根付きで、37,000人収容。建設費用は約5億2500万ドルでマイアミ・オレンジボウル跡地に建てられた。当初は2011年シーズンにオープン予定であったが、着工の遅れから2012年3月5日に開場した。本拠地の完成にともない、球団は2012年よりマイアミ・マーリンズに改称。監督には前年までシカゴ・ホワイトソックス監督であったオジー・ギーエンを迎えた他、2010年の最優秀救援投手ヒース・ベルや2011年の首位打者ホセ・レイエスを獲得するなどの大型補強を行い、新球団名でのシーズンを迎えたが、69勝93敗でナショナルリーグ東地区最下位に終わり、ギーエンは解任された。新監督には球団OBのマイク・レドモンドが就任した。また選手層も、アニバル・サンチェスやハンリー・ラミレス、前年獲得したばかりのベルなどがシーズン中にトレードされたほか、11月にはベルと同様「大型補強組」だったマーク・バーリー、ホセ・レイエスや生え抜きのジョシュ・ジョンソンなど主力5選手を一気にトロント・ブルージェイズにトレードするなど、前オフの大型補強から一転、またもや「ファイヤーセール」が行われる形となった。この放出劇に対しては(単なるファンというだけでなく、新球場の建設費を自分たちの納めた税金で負担した)地元住民から「裏切り」として大きな反発が起こったほか、メディアからも一斉にオーナーのローリアを非難する声が上がった。また、チームの主砲であるジャンカルロ・スタントンも自身のツイッターで球団に対する怒りを爆発させている。新球団名2年目の2013年もファイヤーセールによってチームが瓦解し、62勝100敗とワイルドカード争いはおろか、ナショナルリーグ東地区でも最下位に沈んだ。2014年は、前年度の不振から最下位予想が多かったものの、前年度東北楽天ゴールデンイーグルスに所属し、MLBに復帰したケーシー・マギーが球団史上初となるカムバック賞を受賞、マーセル・オズナ、クリスチャン・イエリッチがレギュラーに定着するなど若手が健闘し、ワイルドカード争いには加われなかったものの、77勝85敗と最下位を免れた。2015年、ロサンゼルス・ドジャースからディー・ゴードン、ダン・ヘイレン、ミゲル・ロハスをアンドリュー・ヒーニー、クリス・ハッチャー、エンリケ・ヘルナンデスとのトレードで獲得。マギーをサンフランシスコ・ジャイアンツにトレードし、ケンドリー・フローレス、ルイス・カスティーヨを獲得。また、ヤンキースからFAのイチローを獲得し、球団史上初の日本人選手が所属。これにより、日本人選手が所属したことのないMLBの球団はシンシナティ・レッズだけになった。2015年5月17日、編成本部長のマイケル・ヒルは、監督のマイク・レドモンドとベンチコーチのロブ・レアリーの解任を発表し、翌18日にGMのダン・ジェニングスの監督就任とマイク・ゴフのベンチコーチ就任を発表した。2015年10月29日、編成本部長のマイケル・ヒルは、ドン・マッティングリーを4年契約で監督に迎え、自らゼネラルマネージャーの職務を兼任することを発表した。マイアミ・マーリンズの歴代監督一覧を参照。Marlinとはマカジキのことで、ヘミングウェイの小説『老人と海』で老人が生死を賭けて戦った勇猛な魚に因む(『老人と海』の舞台はフロリダ半島南部のパイン諸島に位置するキー・ウェスト)。なお、かつて同名のマイナーチームが存在した。

出典:wikipedia

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