羽越本線(うえつほんせん)は、新潟県新潟市秋葉区の新津駅から日本海沿岸を経て秋田県秋田市の秋田駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、酒田駅から酒田港駅までの日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物支線を持つ。 新潟県下越地方と秋田県沿岸部を結ぶ、東北地方の日本海沿岸の大動脈路線。JR東日本の奥羽本線・信越本線および第三セクター鉄道のえちごトキめき鉄道日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線・IRいしかわ鉄道線、西日本旅客鉄道(JR西日本)の北陸本線・湖西線とともに日本海縦貫線の一部を形成し、「いなほ」などの長距離特急列車や、JR貨物による貨物列車が走る。村上駅以北で線路は日本海に沿って進むが、日本海沿岸に特有の自然災害に弱く、長期に亘る運休を強いられる事故がしばしば起きている。新発田駅以北の列車は白新線と一体の運転系統として運行され、特急列車を始めとして多くの列車が新潟駅に乗り入れる。新津駅 - 新発田駅間は主に区間列車が運行されている(詳細は運行形態を参照)。また、新津駅 - 村上駅間は旅客営業規則が定める大都市近郊区間の「新潟近郊区間」に含まれ、新津駅 - 新発田駅間の全駅および中条駅・坂町駅・村上駅はIC乗車カード「Suica」の新潟エリアに含まれている。新津駅 - 酒田駅間は新潟支社が、本楯駅 - 秋田駅間は秋田支社が管轄している。上越新幹線に接続する特急「いなほ」が新潟駅 - 酒田駅・秋田駅間に運転されている。夜行列車は運転を終了している。2001年3月2日までは大阪駅と青森駅を直通で結ぶ特急「白鳥」も運転されており、当該列車の廃止以降は特急「いなほ」の一部が新潟駅 - 青森駅間で運転されていた。しかし、短・中距離利用者が主体となり長距離を乗り通す利用者が激減し、また2010年12月4日に東北新幹線が新青森駅まで延長された際、「いなほ」と「つがる」に系統が分けられた。また夜行列車については、2012年3月17日のダイヤ改正で大阪駅 - 青森駅間に毎日運転されていた寝台特急「日本海」が、2014年3月15日のダイヤ改正で上野駅 - 青森駅間に毎日運転されていた寝台特急「あけぼの」が、それぞれ多客期のみに運転される臨時列車に変更された。関西と東北の日本海側を結んでいた「日本海」については2013年3月に、さらに北海道とを結んでいた大阪駅 - 札幌駅間の臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」(ただし羽越線内の停車駅は新津駅のみ)は2015年3月を最後に運転を終了している。全線を通し運転される列車はなく、酒田駅を境に新潟支社・秋田支社が担当する区間におおむね区分される。さらに新潟・山形、山形・秋田の両県境区間の輸送量の段差や、他線区との直通運転の関係でさらに運転区間は細分化されている。新津駅 - 新発田駅間は、朝に115系電車1往復、夕方にE129系電車1往復が使用される以外はすべて気動車での運用となっている。1 - 2時間に1本程度の運行で一部の列車が1991年10月1日から新津運輸区のキハ110系気動車によりワンマン運転されている。また、村上駅以北で使用する車両の出入庫を兼ねた、気動車による新津駅 - 酒田駅間の列車が1日2往復設定されている。以前は新津発坂町行きで米坂線への車両送り込みを兼ねた下り1本が設定されていたが、2015年3月14日の改正では夕方に新津発米坂線直通米沢行きが設定されている。2004年10月16日に大都市近郊区間として新潟近郊区間に設定され、2008年3月15日からはSuicaのサービスも開始されたが、この区間のダイヤは主に沿線在住の高校生の通学需要に特化しているという側面もあって運行本数は少なく、さながらローカル線といった感がある。新発田駅 - 村上駅間は、新潟駅からの白新線と一体の運転系統として運行されている。通勤・通学と都市間輸送以外に上越新幹線との乗継需要も多いことなどから、普通列車の大半が新潟方面発着となっており、1時間あたり1本程度が運行されている。新潟駅直通列車の車両は、米坂線直通の快速「べにばな」を除きすべて電車で、新潟車両センターの115系・E129系電車が使用される。E129系(2015年3月まではE127系)を使用する新潟駅 - 村上駅間の日中の1往復では1995年5月8日から、米坂線直通の快速「べにばな」では車両がキハE120形やキハ110系気動車に置き換えられた2009年3月14日からそれぞれワンマン運転が行われている。新発田駅を跨いで水原駅経由で新津方面と村上方面を直通する電車列車は設定されていない。村上駅 - 酒田駅間は、村上駅 - 間島駅間に直流と交流のデッドセクションが存在し、新潟支社が通勤・近郊形の交直流電車を保有していないなどの事情から、秋田車両センターの701系電車で運転される鶴岡駅 - 酒田駅間の午前の1往復を除き普通列車はすべて気動車によって運行されており、3時間ほど間隔が開く時間帯がある。701系電車・キハ110系気動車については、鶴岡駅 - 酒田駅間の一部の区間列車でワンマン運転が実施されている。このほか、余目駅 - 酒田駅間に陸羽西線との直通列車が設定されている。1993年から秋田車両センターの701系電車を使用しており、一部列車ではワンマン運転が実施されている。全区間を直通する列車のほか、酒田駅 - 吹浦駅間と羽後本荘駅・道川駅・新屋駅 - 秋田駅間の区間列車の設定があり、1 - 2時間に1本運行されている。酒田駅を境に管轄支社が変わるため、同駅での村上方面と羽後本荘・秋田方面相互の列車接続(「いなほ」との接続を含む)はよくない。また、この区間に存在する女鹿駅、折渡駅、桂根駅については、通過する普通列車が一部設定されている。1988年3月13日 - 2002年11月30日まで酒田駅・羽後本荘駅 - 秋田駅間を運行する快速列車に「こよし」の名称が与えられていた。現在、朝1本のみ設定されている羽後本荘発秋田行き快速列車は、かつて「こよし1号」として運転されていた列車のダイヤを引き継いだものである。日本海縦貫線の一部である本路線は、貨物輸送が盛んである。県境区間等では旅客列車の本数の少なさゆえ、貨物列車の本数の多さが目立つ。その全てがEF510形及びEF81形電気機関車牽引のコンテナ列車である。沿線のコンテナ取り扱い駅は新潟貨物ターミナル駅(白新線東新潟駅)、中条オフレールステーション (ORS)、羽前水沢ORS、酒田港駅、羽後本荘ORS、秋田貨物駅(奥羽本線)。また臨時車扱貨物の取扱駅として新津駅・新発田駅がある。また、秋田貨物駅 - 酒田駅間に臨時貨物列車として8880・8881列車の設定があり、ED75形電気機関車が牽引にあたっていた。羽越線内でED75が運用されるほぼ唯一の列車であったが、2007年3月18日のダイヤ改正で運転を終了した。秋田新幹線の車両E3系やE6系を秋田車両センターに納入する際に、羽越本線を利用して甲種輸送した編成がある。JR東日本では沿線活性化を図るために、485系を改造した「きらきらうえつ」が2001年11月から白新線新潟駅 - 新発田駅間を経由して、酒田駅まで運転を始めている。また、2003年からは要望により時折、象潟や羽後本荘まで延長運転が行われている。2002年3月上旬に、村上市で開催された「村上町屋の人形様巡り」のオープニングイベントとして、高崎車両センターより借り受けた蒸気機関車D51 498および「ばんえつ物語」用の12系客車を使用して、「SL村上ひな街道号」を新潟駅から白新線経由で、村上駅まで運転した。当初、坂町の転車台の整備が整っていなかったことから、下り列車のみの運転であったが、好評のため翌年以降にも運転。以後、ばんえつ物語用12系の本来の牽引機であるC57 180とともに毎年運転されている(ただし、2006年は団体臨時列車として運転、2007年はC57 180が全般検査中かつばんえつ物語用12系もリニューアル工事中だったため、D51 498と12系一般車6両編成で運転された)。また、2003年7月6日も同じく「村上大祭」に合わせて、「SL村上大祭号」をC57 180牽引で運転。2004年も団体臨時列車として運転されたが、これ以降の運転は無かった。2004年9月には、「おいしい山形デスティネーションキャンペーン」の締めを飾るため、村上駅 - 酒田駅間を2日1往復で「SL出羽街道号」を運転。これは同区間で蒸気機関車の運転が終了してから34年ぶりのことになる。羽越本線の建設は、おおむね県ごとの3区間に分かれて行われた。新潟県内は、信越線の新津 - 新発田間を村上線に編入して北へ延長する形で、山形県内は、新庄から酒田に向かって延長されてきた酒田線(1917年に陸羽西線(りくうさいせん)に改称)を南北にそれぞれ延長する形で、秋田県内は秋田から羽越北線(うえつほくせん)を南に延長する形で建設が進められ、1924年に各県境区間が接続して全通、羽越線と改称し、1925年に支線(赤谷線)の開業に伴って羽越本線と改称された。羽後岩谷・折渡間には石油層という軟弱な地盤を掘削するため1917年に日本初のシールド工法を利用して建設された折渡トンネルがある(現在の下り線に採用されたが思うような結果が出ず、工事の途中で従来の工法に戻されたようである)。太平洋戦争中は、日本海岸を縦貫する幹線ルートの一部として輸送力増強の要請から信号場が数多く追設され、戦後も部分的にではあるが複線化が行われている(当初は新発田 - 秋田を複線化する予定であったが、財務状況の悪化と輸送量の減少により中断された結果である)。海岸線を走るという特徴のため、従来線(単線)に増設して複線にしただけでなく、内陸に複線の新線を建設し従来線を廃止するといった手段も取られた。このため村上・三瀬間には旧線の遺構が数多く見られる。また、一部には建設途中で中止されたと思われる未成線もある。1972年には全線が電化されている。
出典:wikipedia
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