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八戸線

八戸線(はちのへせん)は、青森県八戸市の八戸駅から岩手県久慈市の久慈駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。八戸駅 - 鮫駅間には、「うみねこレール八戸市内線」という愛称が付けられている。気仙沼線・大船渡線・山田線・三陸鉄道とともに三陸海岸沿岸を走行する。沿線の眺望は田園・高架・都市・工場・海岸・丘陵と様々に変遷する。近年は安全だけでなく景観についても配慮されている。2010年12月4日の東北新幹線の八戸駅 - 新青森駅間開業に伴い、東北本線の八戸駅 - 青森駅間が青い森鉄道に移管され、大湊線とともに、他のJR在来線と接続のない孤立路線となった(なお、大湊線は新幹線とも接続しないため、八戸線とは若干状況が異なる)。2007年11月、JR東日本が新幹線延伸後も八戸線を運営していく方針であることを正式に発表している。なお、青春18きっぷは青森または野辺地から八戸まで青い森鉄道線の駅で途中下車しないことを条件に使用が認められる特例が新たに設けられた。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で全線が不通となっていたが、2012年3月17日までに全面復旧した。全線東日本旅客鉄道盛岡支社の管轄である。在来線の八戸駅は青い森鉄道管轄であるが、共同使用駅のため、盛岡支社管内のJR駅としても扱われる(なお、東北新幹線の八戸駅は盛岡支社が直轄)。各年度の平均通過人員(人/日)は以下の通り八戸線は現在普通列車のみの地域輸送に特化された運行形態となっている。2014年3月15日改正時点で、八戸駅 - 久慈駅間全線通し列車1日9往復に加え、八戸駅 - 鮫駅間には1日10往復の区間列車が設定されており、この区間については昼間の閑散時間帯でも1時間あたり1本程度の運転間隔となっている。朝の下り便にはいわて銀河鉄道線小鳥谷駅および青い森鉄道線三戸駅を始発駅とする直通列車がそれぞれ1本ずつ設定されている。当線と東北本線(現在のいわて銀河鉄道線・青い森鉄道線)を直通する列車としては、1970 - 1980年代前半には優等列車として急行「深浦」や急行「なつどまり」などが、また1990年代前後には東北本線一戸・二戸・三戸・三沢・野辺地方面直通の普通列車が多数設定されていたが、1996年の東北本線盛岡以北区間への701系電車投入に伴い当線のディーゼル気動車列車の東北本線乗り入れは限定的となり、朝下り便の東北本線(当時)盛岡方面から当線に直通する前述の2本を除き解消されている。また、久慈駅から南方に延びる国鉄久慈線が1984年に三陸鉄道へ転換され北リアス線となる以前は1日3本程度が久慈線直通で普代駅まで運転されていた。1999年以降は、毎年夏に三陸鉄道北リアス線・南リアス線などからなる三陸縦貫鉄道を経由して八戸駅から仙台駅まで直通する臨時快速列車「リアス・シーライナー」が運転されていたが、東日本大震災で三陸縦貫鉄道の各線が不通となったため2011年以降は運転されていない。八戸駅 - 久慈駅間の定期普通列車のうち1日1往復は、土曜・休日などには「リゾートうみねこ」を使用して運転される。「リゾートうみねこ」は2011年4月29日から八戸駅 - 階上駅間で運転を開始した(「リゾートうみねこ」運転開始前にはキハ48形改造のジョイフルトレイン「うみねこ」を使用した定期普通列車「うみねこ」が1往復設定されていた)。当初、同年4月23日より、八戸駅 - 久慈駅 - (三陸鉄道北リアス線経由) - 宮古駅間で運転される予定だったが、3月11日に発生した東日本大震災による大津波によって甚大な被害(沿線駅舎の冠水・浸水や線路流出など)を出したことによって運転できなくなったため、計画が変更されたことによるものである。2012年3月17日に八戸線が全線復旧し、運行区間が八戸駅 - 久慈駅間に延長された。当線は大半の区間で海沿いを走るが、陸中中野駅(標高約41m) - 陸中夏井駅(標高約9m)間の約13kmは内陸部を走行し、この区間は侍浜駅付近(標高約155m)を頂点とする勾配区間で30km/h程度で走行する。ほか長苗代駅 - 本八戸駅間の馬淵川橋梁においては機関車牽引列車は30km/h、気動車列車は 40km/hの速度制限を受けていたり、もともと当線で運用されている八戸運輸区所属車(キハ40形・キハ48形)はJRに残る国鉄型気動車の大半がエンジン換装による性能向上が図られた現在でも原型車がほとんどであり、八戸都市計画都市高速鉄道八戸線として連続立体交差化が行われ高架線が続く八戸市内を含め60 - 70km/h程度で運転されており、列車の運転速度は全体的に低い。近隣非電化線区のキハ100系列気動車への置き換えが完了し速度向上の図られた2011年現在では、「リゾートうみねこ」以外の車両が非冷房のままである上に、ワンマン運転が行われておらず各無人駅での車掌による運賃収受が行われていることと相まって、一昔前の非電化路線の姿を残す貴重な存在となっている。2013年10月19日より団体臨時列車としてレストラン列車「TOHOKU EMOTION(東北エモーション)」の運転が開始された。以下において車種は特記なければ気動車である。2017年(平成29年)以降に、当線向けに18両の新型車両を導入予定であり、その車両は国内外の企業から公募で調達することが発表されている。日本鉄道により1891年に開業した本線(後の東北本線)の駅が海沿いの八戸市街から離れた尻内に設置されたことから、1894年に尻内駅(現・八戸駅)から分岐して八ノ戸(現・本八戸駅)を結ぶ支線を敷設したのが始まりである。同年中に八ノ戸から湊へ延伸され、この状態で日本鉄道は1906年に公布された鉄道国有法により1907年11月1日に買収され官設鉄道に編入後、1909年に八ノ戸線と命名され、1924年に八戸線と改称された。1924年より八戸(現・本八戸)から分岐する種市への路線延伸工事が行なわれ、翌年には陸中八木、1930年に久慈まで延長されて八戸線が全通した。八戸駅 - 久慈駅間の経路設定にあたっては、当時の陸軍より岩手県大野付近が鉄鋼の原材料供給地であること、有事の際の鉄道破壊を懸念し、海岸線より内陸の大野付近を通過することが望ましいと主張していたが、結局海岸線を通過するルートとなった。鮫駅 - 久慈駅間は1968年の赤字83線の議論に上がっている。1975年に当線の実質的延長線である久慈線が普代まで開業したが、こちらは国鉄再建法の施行により特定地方交通線に指定され、1984年に第三セクターの三陸鉄道へ転換されている。陸中八木駅にはJR線における最後の腕木式信号機があったが、2005年6月28日に色灯化され廃止された。タブレット閉塞式を用いて運転していたが、本八戸駅 - 久慈駅間で軌道回路検知式化の工事が進められ、2005年10月には同区間の特殊自動閉塞化が完成し、2005年12月のダイヤ改正時にCTC化された。2011年3月11日の東日本大震災により宿戸駅 - 陸中中野駅の間で大津波による浸水や線路の流出・水没事故が発生。これにより全線で不通となったが、段階を追って復旧工事を行い、2012年3月17日のダイヤ改正で全線での運行が再開された。JR東日本の東北地方被災地域では7つの路線が地震や津波による路線・駅舎崩壊や浸水などの被害を受けて部分的に運休する区間がある中、全線復旧の第1号となった。復旧工事を行うに当たり、津波や浸水が予想される駅では駅舎に避難経路を作り、また、線路から高台に避難ができるルートも設定された。なお、列車運行中に津波警報が発令された場合の対策として、車両の乗降口デッキに避難の仕方や避難口の案内などが書かれた「津波警報が発令された場合のお願い」の案内が掲示されているほか、各車両に緊急避難用はしごが配置された。( ) 内は営業キロ

出典:wikipedia

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