野球における三冠(さんかん、英語:Triple Crown)とは、日本プロ野球(NPB)においては1シーズンに1人の選手が首位打者・最多本塁打・最多打点の3つのタイトルを取得することであり、メジャーリーグベースボール(MLB)においては1シーズンに1人の選手が首位打者・最多本塁打・最多打点の3つのタイトルを取得すること、もしくは、1シーズンに1人の選手が最多勝・最優秀防御率・最多奪三振の3つのタイトルを取得することである。三冠を達成した選手を三冠王(さんかんおう)と呼ぶ。NPBおよびMLBにおける公式の定義は上記のものであるが、メディアなどでは野球におけるその他のタイトルやリーグトップの複数の記録の獲得、あるいは野球以外の競技における複数の最高記録の獲得を「○冠」と呼ぶ場合がある。パンチョ伊東のエッセイによると、打点がリーグの記録として公表されるようになったのは1907年からであり、当時は打点の定義がリーグによって微妙に違いがあったため、それを統一して公式記録となったのは1920年からであるという。さらに当時の本塁打の多くは「ランニング・ホームラン」であったので、ほとんど注目されておらず、本塁打は三塁打の延長程度に考えられていた。従って、1910年代までの打撃の「三冠王」とは、打率・安打数・得点数の部門を制した選手を指していた。打撃6部門制覇は1909年にタイ・カッブが記録している。監督兼任での達成は1925年のロジャース・ホーンスビーが記録している。投手5部門制覇は1884年にチャールズ・ラドボーン、1930年にレフティ・グローブが記録している。また、1995年にイチローが首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率の打者五冠王に輝いている(本塁打はトップに3本差でありこの年の本塁打王は小久保裕紀)。三冠王獲得者のうち、三部門の数字が全て、他方のリーグのタイトル獲得者と比してもなおかつ1位であるのは、1973年の王貞治と1984年のブーマー・ウェルズのみである。投手○冠という場合の項目はマスコミ等でも統一されていないため、連盟表彰になっている勝率タイトルを含めて四冠と呼ぶことがある。さらに、スポーツライターで「記録の神様」と呼ばれる宇佐美徹也は、この四冠に最多完封を加えて投手五冠王とすることで、「打者の三冠王に匹敵する」と述べている。この五冠王を達成したのは、1937年春の沢村栄治、1938年秋のヴィクトル・スタルヒン、1943年の藤本英雄、1954年の杉下茂、1959年の杉浦忠、1981年の江川卓、2006年の斉藤和巳の7人のみである。日本プロ野球においては、中島治康が打撃三冠を達成した当時は「打撃三部門を獲得した」ことへの認識は薄かった。戦後、1953年から1958年にかけて西鉄ライオンズの強打者中西太は4度にわたって僅差で三部門獲得を逃したが、それをめぐる報道の中で「トリプルクラウン」として取り上げられるようになり、「トリプル冠」「三重勝」といった表現の試行を経て、1958年頃から「三冠王」という訳語がマスコミで定着した。この事実を紹介した日本経済新聞の記事では、先に存在していた競馬の「三冠馬」という言葉の影響を受けた可能性が強いと指摘している。
出典:wikipedia
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