一般財団法人東都大学野球連盟(とうとだいがくやきゅうれんめい、英語表記はTOHTO UNIVERSITY BASE BALL LEAGUE)とは、東京を所在地とした21校の大学の硬式野球部で構成された4部制の大学野球リーグである。旧制大学によるリーグから継続している数少ないリーグのひとつ。現在は全日本大学野球連盟傘下となっている。2015年の時点で全日本大学野球選手権大会、明治神宮野球大会で最多優勝をしているリーグであり、「人気の六大学」に対して「実力の東都」と評され、プロ野球界にも数多くの選手を送り出している。出身選手についてはを参照。1925年、國學院大學、専修大学、日本大学、東京商科大学(後の一橋大学)、東洋大学、宗教大学(後の大正大)によって東京新大学野球連盟(後年の同名の連盟とは無関係)が結成され、同年春に第1回リーグ戦を実施。これは六大学野球の最初のリーグ戦である1925年秋より早いものであった。しかし翌年には改編され、今度は國學院大學、日本大学、東洋大学、東京農業大学、上智大学、東京帝国大学農学部に青山学院、高千穂高等商業学校、早稲田大学高等師範部、東京高等工芸学校などの専門学校(旧制)も加えて東京新十大学野球連盟と改称したが、歩調が合わず結局は永続しなかった。また、こうした大学の中には六大学リーグへの加盟を目指す動きもあり、1920年代から技量を整えつつあった日本大学、國學院大學は、六大学リーグへの加盟を度々申請した。1929年には、リーグ戦の枠外で六大学各校が日大、國學院と各1試合の対抗戦を行うこととなったが、その結果、現時点では実力不足と判断され、将来的な技量の向上次第で加盟を歓迎するとしながらも加盟は見送られた。1931年、六大学リーグ加盟を断念した日本大学、國學院大學は、歴史学者で雑誌『野球界』の主幹でもあった横井春野の周旋により、専修大学、中央大学、東京農業大学とともに東都野球連盟の前身となる五大学野球連盟(当時は通称で新五大学野球リーグと呼ばれた)を結成した。同年春に開始したリーグ戦の開会式は、東京市長永田秀次郎を招き盛大に執り行われた。初年は田園調布球場などを使用したが、翌1932年より神宮球場の使用を開始。1936年、東京商科大学(現・一橋大学)が加盟する際に名称を現在の東都大学野球連盟と改称した。六大学野球連盟とは対照的に、戦後は新規加盟校を積極的に受け入れて規模を拡大、その後いくつかの大学の脱退を経て現在に至っている。なお東都大学連盟の設立経緯にまつわる説には諸説が存在している。(後述連盟創設時の経緯に詳細を紹介。)創設当時は全国的な統括組織が存在しなかったこともあり、東京六大学野球連盟や関西六大学野球連盟と共に独立した連盟であったが、前述2連盟と共に第二次世界大戦後に結成した全国大学野球連盟を経て、現在は全日本大学野球連盟傘下となっている。2015年の時点で全日本大学野球選手権大会では設立以来永らく単独トップだった東京六大学野球連盟の優勝回数と並んでおり(準優勝まで含めると大差でトップ)、特に近年(1990年~2015年)の実績では六大学の優勝4回に対し東都12回と大差をつけている。「人気の六大学、実力の東都」などとも評され、他リーグに比して東都大学野球連盟出身のプロ野球選手の圧倒的な活躍を評する報道もなされている。東都大学野球連盟は創設にいたる経緯や時期の関係で、関東で2番目に結成された大学野球リーグとして早い時期から東京六大学野球連盟に次ぐ存在と認知されてきたことから、明治神宮野球場および神宮第二球場の使用割り当て優先の配慮を東京六大学野球連盟に次いで受けている。そのため、1部は東京六大学野球連盟が使用しない場合の火曜日と水曜日(東京六大学野球連盟が雨天等で延期になった場合はその分日程が後日にずれる)を中心に神宮球場を使用して試合を開催している。なお、1994年以降は、秋季に限り開会式と1部リーグ戦開幕を土日の神宮球場で週末開催している(球場が六大学野球の未使用日に当たるため)。また以前は2部のほとんどの試合は神宮第二球場の平日を優先利用していた。その当時から2部の予備日と3部以下は各大学が所有する球場を使用して試合を実施している。また、1部リーグ戦の他に、各部入れ替え戦も基本的には神宮球場を使用して行われている。過去には、1部リーグ戦で後楽園球場や駒沢球場が併用されていた時期もあった。また、その当時は、駒沢球場や神宮第二球場などが、雨天順延などによるスケジュール消化上の都合で同じく1部リーグ戦でも度々使用された。また、2011年には東日本大震災の影響でプロ野球興行が日中開催となった影響もあり、東洋大学グラウンドと府中市民球場が使用された。平日(祝日を除く)の第二球場を使用していた2部リーグ戦においては、順延などによりかつては土日に球場を使用する場合も少なくなかったが、その後の第二球場は高校野球の公式戦以外ではゴルフ練習場営業が優先されたため、土日祝日の試合開催は行われていない。なお、2部リーグの神宮第二球場での開催は、球場が非常に狭く、ファールボールが場外に飛び出すなどといった問題や施設の老朽化などもあるため2013年秋季リーグ戦をもって打ち切りとなり、その後は原則として参加校のグラウンドを使用することになった。ただし、1・2回戦は組み合わせ表左の大学のグラウンド、3回戦以後にもつれ込んだ場合(および、土曜・日曜に雨天などの中止が生じ、月曜日以後に延期分が繰り越された場合)は原則として町田市小野路球場を使用するが、東京六大学野球連盟が日曜日までにその週の試合を終えていれば神宮球場で開催する場合もある。しかし、大学グラウンドの所在地によっては移動が長距離となり、観戦にも訪れにくいことから2016年は首都圏の公営球場及び西武プリンスドームや神宮球場(1部リーグとの同時開催)を使用することとなった。加盟校数の関係から前シーズンの成績を基にした各部6校構成を基本に1部から4部まで分けたブロック運営を行なっている。最上位リーグを1部リーグ、順次下位リーグを2部以下と称する。なお、2部リーグ以下の試合記録は表彰選手も含めてあくまで参考記録扱いであり、リーグ記録としては扱われない。各部共に春季と秋季にそれぞれリーグ戦を実施。2戦先勝方式の総当たりによる勝ち点制。(引き分けは再試合)なお、4部のみはチーム数の関係で勝ち点制の総当りを2巡り行なう。また各シーズン終了後に各部の間で入れ替え戦を実施する。同一対戦校に勝ち越した場合に勝ち点1を獲得し、勝ち点が多い方が上位。勝ち点が同じ場合は全体の勝率比較によって順位を決定。勝ち点も勝率も同じ場合は、優劣の決定が必要な場合に限り決定戦(プレイオフ)を行なう。それ以外の場合は同順位とする。(かつては、前シーズンの順位が上だった方を上位とする方法を採った時期もあった。)決定戦での記録・成績はリーグ戦のチーム・個人の成績には含まれない。各部のリーグ戦の終了後に上位リーグの最下位校と下位リーグの優勝校との間で対戦を組み、勝者チームを次シーズンの上位リーグの所属とする。(敗者チームは次シーズンは下位リーグ所属となる。)対戦方法は2戦先勝方式。また、入れ替え戦の試合記録・成績は決定戦と同様に個人やチームのリーグ公式戦記録・成績には含まれない(入れ替え戦もあくまでプレイオフの一種)。各部入れ替え戦ともに基本的には神宮球場を使用して行われる。通常は、1部2部入れ替え戦を先に開催して、1部2部入れ替え戦終了翌日から3部4部入れ替え戦と2部3部入れ替え戦の同時開催として実施される(過去には3試合同日開催が行われていた時期もあった)。なお、球場使用スケジュールの都合で、3部4部・2部3部入れ替え戦開催日が、全日本大学野球選手権大会及び明治神宮野球大会の開催日と被る場合が多く、その場合は神宮第二球場での開催に回ることが多くなっていた。また近年、秋季1部2部入替戦は秋季東京都高等学校野球大会の準決勝、決勝戦と同日開催として高校野球終了後に試合を行っている。開会式は1部リーグ戦の開幕日の第一試合前に加盟全21校の参加で執り行われる。1部〜4部別に前季の順位に従った順番で一塁側ダグアウト入り口からの入場行進となる。なお、入退場の行進に際しては、場内放送により一般的な行進曲が流される。優勝旗・優勝杯の返還と連盟役員挨拶後に退場となる。なお、退場は一斉に関係者入場口からの退場になる。閉会式は、1部リーグ戦の最終戦終了後にそのまま球場で執り行われる。閉会式も基本的には開会式に準じる。1部〜4部の加盟全校による選手入場に続き、各部の選手表彰と優勝旗・優勝杯の授与(4部は優勝杯のみ)と連盟役員の挨拶後に退場、終了となる。開会式・閉会式の最中には、東都大学野球連盟の所属校応援団の中で、全日本学生応援団連盟に加盟している応援団のうち、さらに任意の数校が1塁側スタンドに陣取り団旗を掲げる(ただし、例年、多くても4校程度で、全くないシーズンもある)。因みに、これは、東都所属校のなか全日本学生応援団連盟に加盟している応援団の慣習によるもので、野球連盟としてはいっさい関知していない行為に当たる。1部リーグ戦の審判員は、全員が連盟登録の公式審判員が務める。所属校OBをメインに構成されているが、外部招聘の審判員も少数ながら含まれている。2部リーグ戦は主審と2塁塁審に関しては1部リーグ戦と同様であるが、1塁塁審と3塁塁審に関しては1部所属校の野球部員が当番制で務める。3・4部のリーグ戦では、主審に関しては1・2部リーグ戦と同様で、塁審は2部所属校の野球部員が当番制で務める。オドール杯と読売新聞社杯がある。各部(1部〜4部)の優勝校、最高殊勲選手、最優秀投手、首位打者と、1部のベストナインがそれぞれ選ばれる(記録としては昭和33年春季リーグより残っている)。選出には、首位打者を除き、公式記録の成績を基にして主に登録の報道記者クラブの投票結果で行なわれる。各リーグ所属校の当該試合出場校以外の登録された野球部員が務める。現在は、各リーグ所属校の女子マネージャーが試合毎に代わる代わる務めている。在籍校の紹介も行なわれている。神宮球場で行われる1部及び2部リーグ戦、神宮第二球場で行う場合の2部リーグ戦、入れ替え戦(1部2部、2部3部、3部4部)、1部新人戦、交流試合は、それぞれ一般券が¥1,300、シニア券が¥1,000、学生券が¥600(2015年秋季現在)にて入場可能。その他の試合は無料試合で行われている。なお、前記のように秋季1部2部入替戦が秋季高校野球東京都大会と同日開催の場合は先に試合開始となる高校野球の入場料一般¥800円(2015年現在)が適用される。例年、8月下旬にその年度の1部秋季リーグ所属予定の6校により神宮球場にてトーナメント戦で行われる。試合規定等は1部リーグ戦とほぼ同様。ただし、後述の各部交流戦がある年度は、神宮球場以外にて開催される。なお、2016年は秋季1、2部リーグの12校で実施された。例年4年に一度に1部から4部の21校を基本的には同部同士の対戦がないような配慮にてランダムな組み合わせで各校1試合ずつ(校数の関係で抽選にて1校のみは2試合)の対戦を神宮球場にて行う。ただし、試合時間の制限があり9回完了するとは限らない。また時間制限内や9回完了時に引き分けの場合はそのまま終了となる。連盟創設60周年を記念して行われたの加盟全21校による交流トーナメント戦がきっかけ。以後4年に一度に現在のような形で行われるようになった。連盟や学生野球協会により出場停止の処分を受けた場合、停止期間中はリーグ戦・入れ替え戦ともに不戦敗と同等扱い(ただし記録上は不戦敗という記録にはならない)になる。出場停止期間中のリーグ戦と入れ替え戦は全て不戦敗となることで、それに応じて、「リーグ戦全敗→最下位→入れ替え戦出場→不戦敗→降格」という手順を踏んでいく。東都のように入れ替え戦システムを採っている連盟では実質的には降格処分と同等になるが、それは入れ替え制のシステムには必然的に伴うもので降格そのものは処分内容ではない。(仮にトーナメント戦しか行っていない連盟の場合は、単にその期間中に出場停止となるだけになる。)平成以降の成績2016年春季リーグ終了時点1部リーグ2部リーグ(判明分の記録のみ)3部リーグ(判明分の記録のみ)4部リーグ(判明分の記録のみ)※大学選手権=全日本大学野球選手権大会出場回数、神宮大会=明治神宮大会出場回数。東都大学野球連盟では、同じ神宮球場を専有使用している東京六大学野球における東京六大学応援団連盟のように、野球連盟と密接な関係をもつ学生応援団連盟は存在せず、応援団・応援部については当該校野球部の直轄管理責任となっている。なお、全日本学生応援団連盟を参照。神宮球場・神宮第二球場は、自然環境保護(主に騒音の観点から)の都合から、楽器使用応援の規制を行なっており、東都大学野球連盟としてもこの通達に沿った応援規制を敷いている。スタンドでの応援活動で、規制制限外の応援への注意・指導は、球場内においては球場職員が直接これに当たっている。(詳細は明治神宮野球場の当該項を参照)使用している応援リーダー台は、東京六大学応援団連盟の所有物であるため、特別な事情がない限りは応援団同士の個別借用ではなく、借主は東都大学野球連盟として貸料を一括納入している。各校応援部・応援団は、野球部経由で東都大学野球連盟に納入するか、或いは学校によっては野球部・大学側が諸経費の一部として納入している。ただし応援組織のあり無しや応援形態の違いなど学校により事情が異なるので、台の使用と貸料の発生は、あくまで事前の申し出による。2015年9月、本大会を主催する東都大学野球連盟事務局長の白鳥正志が、全21チームを、1部12、2部9に再編する案を検討していることを明かした。その理由として、2014年より2部リーグの主会場とされた明治神宮第2球場が老朽化他を理由として使用できなくなったため、3部以下と同じ要領で、2部加盟大学のグラウンドでのホーム・アンド・アウェー、および予備会場として町田市の小野路公園野球場(東京6大学リーグの予備日<基本月・火曜日>に試合が行われないことが確定した場合は明治神宮球場)を利用することから、移動負担が大きくなってしまうということが問題となっていた。ただ、現在の3戦2勝制(引き分け再試合)を維持すると、試合数が多くなるため、1回総当たりによる勝率制なども検討されているとしている。早い時期から入れ替え戦制度を採っていた東都大学野球連盟では、東都と同じ旧制大学野球リーグ以来から続く東京六大学野球での早慶戦や、現在の関西学生野球の関関戦・同立戦のような知名度の高い伝統的な組み合わせでの対戦カードは存在し得なかった。しかし、それでも一部の関係者やファンの間では伝統の一戦と呼ばれる対決が存在する。以下に例を記す(伝統的な定期戦交流をしている場合でも当該校同士でのみのものは対象外)。これら東都の中でも比較的人気の高い対校戦を集め固定した試合をオフシーズンに準公式戦として開催、定期戦化していこうという動きが一部関係者の中で存在していたこともある。古くからの有力校・強化校が多く、その上でリーグ戦が1部から4部まであり、入れ替え戦を通してのチームの浮き沈みの激しさもあいまって、頻繁に「戦国東都」と形容される。また、歴史や過去の全国大会での成績においても関東での大学野球界でしばしば双璧の存在として対比される東京六大学リーグとの関係において「人気の六大学、実力の東都」といわれてきた。80年代には当時のテレビ神奈川や優勝に関わる試合をNHKラジオ第1放送(関東地区)が中継していた時代もある。2000年代初頭にはJSKYスポーツが主に同日神宮球場でヤクルト戦のナイター放送がある日に、また1シーズンのみスカイAが中継したこともある。またマスコミではないが、公式スポンサーのミニミニグループのひとつである株式会社ミニミニ城西の学生支援部が展開するブログ(SHIEN-BLOG.)にて、1部の試合を中心に定期的に試合内容が報じられている。1958年秋季1部リーグ、学習院の健闘により大混戦となった。それまで東都1部リーグは専修・日大・中央の3校しか優勝しかなく、学習院は1950年に連盟に加盟し翌年1部に昇格したが万年下位に低迷し、1・2部入替戦を戦い抜き1部を死守していたチームであった。その学習院がリーグ終了時日大・中央と共に7勝5敗の勝ち点3で首位に並び、巴戦によるプレーオフが行われることとなった。ところがプレーオフは二廻りしても3校1勝1敗で決着がつかず、連盟では三廻り目は行わず優勝預かりとする意見が支配するに至ったが、学習院が強硬に三廻り目開催を要求し、結局2勝した学習院が専修・日大・中央以外で初の優勝校となった。この後学習院は1961年を最後に1部より降格、1982年秋季以降3部に降格した。一部の新聞や雑誌、ネット上のサイト内記述や東都所属校野球部OB、さらには著名な野球解説者でさえも稀に「東都六大学」という用語を使用しているケースがある。さらにはかつては国会答弁の中でもその表現が使われたことがある。ただし、所属校も6校限定ではないことから、東都大学野球連盟では公的にも、また(国内の一部の連盟に見られるような)ローカルな愛称や通称としても「六大学」の呼称は使用しておらず、完全にスラングである。東都大学野球連盟発足の経緯は、参考となる一次資料に乏しいため、いろいろな異説がまことしやかに流れているのが現状となっている。以下の内容はこうした状況を踏まえた上で、比較的信用できる文献の中に記述されている説をあくまで各論として列挙・紹介する。
出典:wikipedia
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