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テレビ神奈川

株式会社テレビ神奈川(テレビかながわ、"Television KANAGAWA, Inc.")は、神奈川県を放送対象地域としてテレビジョン放送をする特定地上基幹放送事業者である。略称はtvk(ティーブイケー)。コールサインはJOKM-DTV。視聴エリアは、神奈川県内と東京都の大部分、埼玉県や千葉県および静岡県の一部、2006年7月からケーブルテレビを通じて山梨県中西部および静岡県東部などの一部地域も加わる(放送のエリア図)2004年4月、横浜市中区太田町に横浜メディア・ビジネスセンター(神奈川新聞社と同居)が完成。5月10日、開局以来32年使われてきた中区山下町の社屋から移転した。社屋移転を契機として、局の愛称が長年使われた「TVKテレビ」から「tvk」に変更され、またコーポレート・スローガンとして「ヨコハマ開放区」が導入された。なお、旧社屋跡地には記念碑が建立されている。2004年12月1日12:01に地上デジタル放送(18ch・リモコンキーID3)を開始した。開始時の放送エリア (10W) は横浜市、川崎市の大部分(両市の北部を除く)および横須賀市、東京都の一部となっていた。2005年12月1日には平塚送信所(100W)が開局し、鶴見送信所の出力もフルパワー(1kW)となったため神奈川県東部の全域と千葉県の一部と湘南地区の大部分(三浦半島の一部を除く)でも視聴できるようになった。なお、2007年3月には小田原デジタル中継局が本放送を開始(エリアは南西部と静岡県伊豆半島東部)した。また、データ放送は2005年4月より自治体情報を中心に開始、ワンセグも2006年6月1日に開始している。なお、過去には一部のCATV局及び、CS放送のディレクTV向けに「TVKスーパーステーション」→「Ch-Yokohama」→「YOKOHAMAベイサイドTV」として全国に神奈川県向けと同じ内容を放送したことがあった。企業・団体は当時の名称。出典:※テレビ神奈川・2010年3月25日付公式発表による音楽番組に力をいれており、現在では『saku saku』が人気。前身の『saku saku morning call』時代にはユースケ・サンタマリアやPUFFYが司会をしていたことでも知られる。現在はパペット人形であるポンモップ(声はかつてガヤとして出演経験のあるカンカンが担当)とNANAE(7!!)(2015年3月まではトミタ栞、2012年3月までは三原勇希、2008年度末までは中村優、2005年度末までは木村カエラ、2002年度末まではあかぎあい)の2人をメインパーソナリティーとしている。このような番組スタイルは、増田ジゴロウとあかぎの時期に番組スタッフ一同との掛け合いトーク中心という独自スタイルを確立。この形が受け、各地でネット放送も開始。番組グッズも各地で販売されている。メジャーな歌手・声優もゲストとして登場し、tvkの看板番組に成長した。また、1983年10月4日(火)にスタートした長寿番組『billboard TOP40』も未だ健在である。2012年6月26日付で同一司会者及び同一形態による最も長寿な音楽番組(放送開始から28年8ヶ月9日)としてギネス世界記録に認定された。tvkの“遺伝子”を引き継ぐ音楽番組としては、2004年5月の現社屋移転と同時に開始した『オンガクのDNA』(2011年3月28日終了)を経て、現在は『オンガク開放区』(2011年4月2日放送開始)へと受け継がれている。一方、他の独立放送局で多く放送される演歌・歌謡曲関連の番組はtvkでは殆どといっていいほど放送されず、その点では千葉テレビ・テレビ埼玉とは正反対である。例として、『モトちゃんの歌は魂だ!』(千葉テレビ制作)は5いっしょ3ちゃんねる参加局で、tvkのみ放送実績がない。また、鎌倉市を活動拠点とするよかにせどん(本田修一)・アンジェリカの演歌番組も地元tvkではなく、千葉テレビ・テレビ埼玉で放送している。tvk以外の5いっしょ3ちゃんねる各局には、自社制作の視聴者参加型カラオケコンテスト番組が存在する。各局のカラオケコンテスト番組は一様に1980年代(とちぎテレビは1999年の開局当初)から続く長寿番組となっているが、現在tvk自社制作では存在しない。スポーツ中継にも特に力を入れており、プロ野球・横浜DeNAベイスターズの主催試合(巨人戦は除く)、関東大学ラグビーや社会人ラグビー(トップリーグ)、日本ハンドボールリーグ、さらにはプロレスを積極的に放送している。かつては、プロサッカー・横浜F・マリノス主催試合(Jリーグ発足時は横浜フリューゲルス、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)、鹿島アントラーズ主催試合も放送された)も多く放送されていた。以前(1980年代後半)はバレーボール日本リーグ(現在のVリーグ)ダイエーオレンジアタッカーズの昼の試合中継をサンテレビの番組購入により当日夜に放送していた。自前で東都大学野球の中継をしていたこともある。また地域に根付いたやまゆり杯小田急旗争奪神奈川県家庭婦人バレーボール(ママさんバレー)大会中継もある。横浜DeNAベイスターズ戦の中継は大洋(後に横浜大洋)時代は「YOKOHAMAベイサイドナイター」、1993年に横浜ベイスターズとなってからは「ベイスターズナイター」として巨人戦を除く横浜スタジアムや平塚球場での試合を中継している(草薙球場といった地方でのホームゲームの中継は近年なくなった)。当初は18時のニュースの後18時15分からの中継開始であったが、一時、18時45分 - 19時からとなり、2010年4月以降は18時から21時30分の放送となっている。また以前は横浜のビジターゲーム(阪神、ヤクルト戦、まれに三重テレビナイター中継時に中日戦も)もU局ネットで(ヤクルト戦はtvk)中継していたが、近年はサンテレビや朝日放送で阪神vsDeNA戦を中継している場合にネットする程度で、それ以外はほぼなくなった。全国高等学校野球選手権大会神奈川県予選大会は、横浜スタジアムにおける開会式、同閉会式と保土ヶ谷球場における全試合を基本的に試合開始から終了まで中継する(例外は、中止、再試合などによる日程変更や中断、延長などによる放送時間終了)。横浜F・マリノス中継は、前身である旧日本サッカーリーグ日産自動車サッカー部時代から続いているが、現在では中央競馬の中継やプロ野球(横浜DeNAベイスターズ)の中継に押され、現在では数年に1試合程度しか中継されていない。日産時代は、日曜昼間のゲームを当日夜に「日産サッカーダイジェスト」と銘打った番組でダイジェストでオンエア。ときには当時の監督だった加茂周自らが解説者として番組に出演し、当日の試合を事細かく解説することもあった。2009年にスカパー!のJリーグ中継で川崎フロンターレホームゲーム中継の制作に携わった(ただし実況は自社のアナウンサーではなくフリーのアナウンサーが担当している)。プロレスは日本テレビの「全日本プロレス中継」をネットしていた時期もあり、番組終了後は「プロレスリング・ノア中継」に移行。2005年7月から半年間、「大日大戦」を地上波初放送。その他、旗揚げ間もなかったジャパン女子プロレスを放送していたこともある。現在は千葉テレビの「全日本プロレス マザー」をネットしている他、WWEのダイジェスト番組「This Week in WWE」を日本で最初に放送開始。この縁で近年、WWEの選手が日本公演等のプロモーションで来日した際は、昼番組「ありがとッ!」に出演することが恒例になっている。現在まで続く平日昼の帯ワイドは『TVグラフィックおしゃべりトマト』が端緒である。『おしゃトマ』と略されたこの番組は、開始当初から予算をかけない手作り感覚のワイド番組となり、司会者を幾度も変更しながら長きにわたり続いた。この番組には、(当時)現役大学生もMC陣の一人として参加することもあり、現在フジテレビアナウンサーの福原直英も一時金曜などの曜日担当MCをしていた時期がある。『おしゃトマ』終了後は『たてながHAMA大国』→『HAMA大国』と続き、社屋移転後は『とっておき自遊食感ハマランチョ』→『1230アッと!!ハマランチョ』→『ありがとッ!』→『猫のひたいほどワイド』と、タイトルや内容は変わりつつも、この「枠」自体は現在まで維持されているが、2016年3月で『ありがとッ!』の終了と同時に『おしゃトマ』から続いていた金曜の放送が廃止になり、『猫のひたいほどワイド』では月曜から木曜のみの放送になった。なお、2016年4月から金曜が廃止になる代わりに、生ワイド番組枠としては同年4月9日から土曜20時枠へ移動し、『サタミン8』として再出発することになった。他には長年、土曜22時から日本広報センター協力の政府広報番組枠を制作していた。過去には「明日への選択」→「コンパスU」、「アクセスNOW」やクイズを織り交ぜた「クイズハッピーチャンス」「クイズバトンタッチ」などがこの枠で流れた。この枠は全ての独立放送局にネットされているほか、CS放送の朝日ニュースターでも放送されていた(「Just Japan」ではBS日テレおよび静岡朝日テレビにもネットされていた)。テレビ神奈川(これ以降、山下町時代は「TVK」、現社屋移転後は「tvk」と表記)は開局時から「音楽に強い局」という評価がある。これは、後に音楽番組を強化したテレビ東京に先駆け「シングル・ジャンルの番組なら小さな局でも営業面で有利」と読んでいたこと、プロモーションビデオを放送するための経費が当時安かった(あくまでプロモーション目的であったことから、レコード会社などから無償提供もしくは極めて安価で提供されるケースがほとんどであった)こと、それに「横浜らしいカッコよさ」の反映などが挙げられる。黎明期はCMや番組がなかなか埋まらず、プロモーションフィルムが格好の時間潰しとなり、昼間から夕方の時間帯を中心に歌謡曲なども含む邦楽や洋楽など(ジャンルは様々)のプロモーションフィルムが大量に放映された(当時はビデオではなくフィルム撮影で(レコード会社などが持っているプロモーションフィルムや芸能ニュースフィルムなど(映画館等での上映系のもの)そのフィルムを元にビデオテープに変換されているもの))、主に洋楽系のプロモーションフィルムなどでは、ライブでの収録映像に曲を合わせている作品や、レコーディング風景やツアー中などのドキュメント的映像等がメインで楽曲を合わせている作品も多く、現在のPV等とは多少異なる)。その後、プロモーションフィルム(ビデオ)をメインに放送する番組も放送された。それがTVKを「音楽局」へ傾倒させる要因となった(日本で音楽専門チャンネルが登場するのは1989年)。この流れから生まれた番組としては、まず1970年代に制作・放送された「ヤング・インパルス」、そしてその流れをくんで1980年代に制作・放送された「ファイティング80's」(金曜日21時台)があげられる。これらの番組については、キー局には出演しないようなアーティストが多数出演し、公開収録によって演奏を行った。一例としては、基本的にテレビ出演をしない浜田省吾、松任谷由実(当時は、荒井由実)、またミュージシャンの山下達郎が、音楽グループシュガー・ベイブの一員として「ヤング・インパルス」にゲスト出演したこともある。「ファイティング80's」の番組開始当初は、司会を宇崎竜童が担当した。他に、佐野元春、子供ばんどのうじきつよしや、ザ・モッズ等もレギュラー出演した(番組の終盤に、司会の宇崎竜童のダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドや、レギュラー出演者のバンドのライブ演奏が1曲放送されたり、数ヶ月に1回位、それぞれのバンド自体が番組出演していた時期もある)。ちなみに公開収録であったこの番組は、番組スポンサーでもあった日本工学院専門学校の3号館ホールで毎回収録を行っていた。公開収録時のエピソードとしては、サザンオールスターズが番組収録の日に、「ザ・ベストテン」(TBS)にランクインしており、収録場所である日本工学院専門学校のホールから生中継を行ったことがある。さらに、80年代から90年代初頭にかけて放送された洋楽電話リクエスト番組「ファンキートマト」(当初金曜日放送→のちに月曜日のほぼ同時間帯へ移動)(電話リクエストにより、主に、当時流行の洋楽のプロモーションフィルム(ビデオ)を放送する音楽番組。他にも、「流行もの」や、「サーフィン」の情報の紹介等)は、植田芳暁や南佳孝、シャーリー富岡のVJで知られ、中村真理(出演初期には、最新の映画情報コーナー担当など、後に、アメリカの「ビルボード」誌の最新ヒットチャートの紹介なども行った)らも出演。時折、ゲストとしてプロモーションで来日した海外の映画や音楽関連のアーティスト等の出演もあり(映画の場合は、予告編などを放送。音楽系等などの場合は、PVなどを放送)インタビューの他にも、音楽系のゲストの場合は演奏や、歌を唄う事もあった(ほとんどの場合、口パクではあったが)。他にもプロモーションでの邦楽系のゲスト出演者もあり(主にデビューしたての歌謡曲系以外での歌手やグループ)、デビュー当時の米米CLUB等も出演。レギュラー出演者としては、元東京JAPのドラマーでFMのDJとして人気が出た赤坂泰彦も番組末期には登場した。姉妹番組でもある邦楽情報番組「ミュージックトマトJAPAN」はシャーリーの弟のマイケル富岡の出世番組となった。全国区になり得るタレント、アーティストの青田買いを行い、いち早く世に送り出す役割を果たし、音楽業界や芸能プロダクションから高い評価を得た。現在においては、洋楽のビデオクリップ(PV)は、CS放送などのMTV等では容易に視聴できるが、1970年代後半から1980年代初め頃には、国内のテレビ放送では洋楽を扱う番組が少なく、なかなか洋楽のビデオクリップ全編は観る事ができなかった。そんな中、MTVのテイストを取り入れ200分間(ベータ方式のビデオテープ L-830 1本分)、途中に入るCMを除きノンストップで洋楽の新着ビデオクリップや視聴者からのリクエストによるビデオクリップをただひたすら放送するという、しがらみのない独立放送局ならではの番組として存在していたのが「SONY MUSIC TV」(金曜23:30 - 26:50)であった。ソニーの1社提供で、番組中途中に入るCMも少なめにまとめてあり、さらには放送するビデオクリップのすべてにおいて、頭と終わりにアーチスト・曲名・アルバム名・レーベル名を入れる親切さが、洋楽ファンを中心に長く支持され、TVKローカルではなく、東阪の独立放送局を中心に、途中からはテレビ東京系であるテレビ愛知でもネットされるなどした。しかし、放送時間が段階的に短縮されていった。120分時代が長く続いた後、末期には90分まで短縮された。MUSIC TV終了後、この番組のテイストを受け継ぐ番組はTVKローカルで火曜夕方に「シャッフル55」(ミュートマworld→16ers TV枠)として移り、MUSIC TVが放送されていた時間帯には引き続きソニー提供で、演出や選曲コンセプトを明確にした「SONY MUSIC DISC」「SONY MUSIC ACCESS」と続いた(番組枠は60分と更に縮小し、TVKローカルとなる)。しかしその後、ソニーがTOKYO MXに出資した影響もあり、これらも既に終了している。1989年の昭和天皇崩御の際、崩御当日および翌日に限り、テレビ神奈川を含む関東地区の独立放送局は、オブザーバー加盟しているNNS(日本テレビ系列)の放送を同時ネットした。なおその後も日本テレビとの関係は続いており、2008年度北京オリンピックの一部中継においてはtvk、千葉テレビ、テレビ埼玉の3社は日本テレビ制作の番組をネット受けした。1980年代の後半から90年代前半にかけて、国際都市横浜や米軍関連が多い神奈川を象徴するかの様な全編英語放送の30分間の国内ニュース「the world today」がウィークデーの23時台に放映された。この番組はJCTVとの共同制作で、JCTVでは19時からの38分間の番組であった(ちなみに提供の五洋建設のCMも英語放送。スポンサーや商品によっては日本語や日本語バージョン)。横浜そごうとのタイアップが行われていた1980年代中期 - 1990年代中期にかけては、横浜そごうが入居する「新都市センタービル」内に「キャプテンロコスタジオ」「みなとみらい21スタジオ」という2つのサテライトスタジオを持ち、ここから正午の帯枠「カフェシティ・ヨコハマ」や夕方の音楽情報番組「ミュージックトマト」が生放送されていたほか、現在ベイブリッジ横にある情報カメラも、最初は横浜そごう屋上に設置されていた。現在は再放送番組や購入番組が幅を効かせる夜8時台だが、1980年代後半 - 1990年代中期にかけては生放送の情報番組が編成されていた。ナイター中継終了後にOAされていた「YOKOHAMAベイサイドスタジオ」(後に木曜夜にOAになった「ヒューマンTV・ベイサイドスタジオ」)、金曜夜に放送の「TVグラフィック42番街」(後の「たてながHAMA大国ナイト」「HAMA大国ナイト」「北原照久のTin Toy Box」)の2番組がそれである。1980年頃 - 1990年まで毎週金曜22時から山谷親平と細川隆一郎、飯島清らによる政治討論番組「直言苦言」が放送されていた(京都放送、群馬テレビ、びわ湖放送にもネット)。2002年にはTVK開局30周年記念番組として、「ライブ帝国」を放送し、過去のtvkでの音楽番組からのライブ映像の放送もあり、同時期に、「ライブ帝国」のビデオ化をし販売もされた。2010年から2013年にかけて、戦国時代にスポットを当てた「戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜」や「戦国★男士」「TV・局中法度!」といった“戦国バラエティ三部作”と称する教養バラエティ番組をtvkが幹事となってテレビ埼玉・千葉テレビ放送・サンテレビジョンの4局共同で制作して同局の深夜番組では記録的大ヒットとなり、日本各地の地方局にも番組販売を行うなどのシリーズに発展した。もともとは神奈川県を筆頭に、横浜市、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、中日新聞(5紙が同じ持株数を堅持)、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)などが主要株主で、TVK自体が報道というものを半ば放棄していた時期もあり(1983年 - 2002年)、神奈川新聞の陰は薄かった。神奈川県が経営権を握っていた頃は、平日9:35 - 11:00、金曜夕方に神奈川県教育委員会制作の教育放送(学校放送)が組まれていた(「のびる子きょうしつ」はその生き残りで長寿番組だったが、2008年3月で終了)。津田文吾元県知事が同局の社長・会長を務めた事がある。経営は80年代前半まで実に苦しいものだったが、まだBSアナログ放送がなく番組表がキー局の横に大きく載るなどしていたので、倒産寸前までいった千葉テレビやテレビ埼玉よりまだ恵まれていた。経営不振で80年初頭にリストラなどで壊滅状態になっていた制作体制だが、90年代初頭の自社制作率は約70%にまでなり、東のTVK、西のKBS京都(当時は近畿放送、現・京都放送)であった。むろんキー局を除けばダントツの数字である(キー局系列局では朝日放送[ABC]の約45%が最高であった)。TVKは1980年代から1990年代初頭にかけ、好景気と横浜そごうなど大スポンサーの存在が後ろ盾となり、経営状態は好調を持続していたが、バブル景気の崩壊とともに、大スポンサー中の大スポンサーであったそごうの経営不振が経営の屋台骨を大きく揺さぶった。さらに神奈川県の財政危機(広報番組予算が7億円から数千万単位まで縮小された)により売り上げが30億円近くも減少(売上最高期の1/4近く、90億円→60億円)した。この煽りを受け自社制作率は急速(70%→40%)に減り、2002年には売り上げで東京MXテレビに、2003年には自社制作率でもテレビ埼玉に抜かれる「非常事態」となった。TVKの非常事態を見て「県が県域メディアを経営する時代は終わった」という岡崎洋県知事(当時)の意向により、2001年に株式売却が行われ、筆頭株主が神奈川県から神奈川新聞社に移ることとなった。当初は新聞社とテレビ局の違いもあって両社の連携はしっくりいかなかったが、その後、第三者割当増資(県内市町村などが応じる)、新社屋(横浜メディア・ビジネスセンター)建設・移転、「ヨコハマ開放区」のVI導入(電通との本格タッグ開始)、独立放送局初の地上デジタル放送開始(2004年12月1日)、独立放送局には珍しいインデックス社との提携による携帯公式サイトオープン(全キャリア対応)など、積極的な戦略に出ることになる。これにより、2005年度は3期連続増収、新社屋移転後初の黒字決算を達成、売り上げでは東京MXテレビを再び抜いた。2013年度はTOKYO MXが売り上げを120億円として大きく引き離されている。また大幅に減少した自社制作率も40%台に回復した。1972年の開局以来、字幕(テロップ)は長らく写真植字による「紙テロップ」送出(モリサワ製のテレビテロップ専用写植機)であったが、1990年代初頭にはソニー製のデジタルテロッパーといえる「SMC-3000C」がまず導入された(「おしゃトマ」末期ではスーパーがこの機材で作成・送出されていた)。しかし当時の電子テロッパーには、写真植字機ほどの汎用度がなかったうえ、「SMC-3000C」は文字よりは画像デザインの汎用度が高かったことから、あくまで番組で使われるテロップの補助的役割として使用されてきた。1995年にラムダシステムズ製のデジタルテロッパー(テレビ神奈川においては初代機)が導入され、テロップ電子化の先駆けとなったが、当初は生放送情報番組中心の運用となった。その後、スタジオサブのスイッチャーがリニアキー対応となり、透過ベースや透過文字など、綺麗なテロップが出せるように進化した。2002年にはテロッパー自体から多種多様な特殊効果を出せる「後継機」へ更新され、新社屋移転後やほぼ社屋内全てのスタジオがHD対応化した後もSDベースのまま推移したのち、2011年4月の改編を契機としてテロッパー内部の制御ソフトの改修を行い、SDからのアップコンバートによる擬似的なものの、16:9サイズ全面にテロップやCGを作成・画面配置できるように改良が加えられている。地上、ワンセグ共にデータ放送に力を入れており、地上データ放送では大日本印刷と共同開発したQRコードでの携帯端末への地図取り込み機能も備えている。ワンセグ放送では音楽番組、高校野球等で番組連動型データ放送も行っている。データ放送開始は地デジ開始より4か月、ワンセグでは千葉テレビやテレビ埼玉より2か月遅れとなったが、その分内容の充実を図った(参考)。2007年9月1日からは川崎市と共同で緊急防災情報の提供を開始した。避難情報が流れた際は緊急度に応じ画面がポップアップ。ワンセグでも同様の情報提供。また、2007年4月には本格的なネットショップ「tvkショップ」をオープン、saku sakuのオリジナルグッズやライブ帝国のDVDなどはもちろんのこと、地産地消をキーワードに神奈川に根ざした名産品を大々的に扱い、地元に貢献している。独立放送局で唯一、双方向対応番組連動データ放送を実施している。2010年7月5日から総務省の方針により(放送大学は2010年7月24日から)、2011年7月の地上デジタル放送完全移行推進のため、すべての地上アナログ放送は原則として全番組をレターボックスをつけた状態で放送することになったが、2010年9月4日までは、tvkは4:3制作番組のすべて、ハイビジョン制作番組の一部において引き続き4:3全画面表示(ハイビジョン制作番組は4:3へサイドカット)を継続していた。2010年9月5日からは、総務省の方針により、2011年7月の地上デジタル放送完全移行推進のため、アナログ放送終了告知テロップを常時スクロールする形に変更し、右上にはアナログロゴのルミナンススーパーを常時表示していた。2015年7月11日より032chを活用したマルチ編成を、高校野球中継の延長時に実施する事をtvk公式ウェブサイトで公表している。2011年(平成23年)7月24日正午をもって通常放送を終了。コールサインはJOKM-TV終了当日は11:00から『第93回全国高等学校野球選手権大会・神奈川県大会』の中継を放送していたが、中継会場のアナウンサーがアナログ放送が終了するお知らせと、12:00(正午)以降はtvkのデジタル放送を視聴するように促して、アナログでの放送を終了した。23:59からは通常のクロージングを放送したが、音声周波数と出力を読み上げたところでブラックアウトし、ブルーバックによるコールサインとアナログ放送完全終了の画面を表示。そのまま停波し、デジタルに完全移行した。地上デジタル放送開始当初は機器の減価償却の関係でHD率は高くなかった。周辺の独立放送局と比べて大幅に後れをとっていたが、2007年4月に小型HD中継車およびワイヤレスENGカメラを導入、5月にデジタルFPUの運用開始、その後2007年7月30日より2サブがHD化されたことで、飛躍的にHD率が向上した。買取番組や過去番組の再放送・再編集版を除けば、SD制作番組は少なくなっている。2008年のHD率は約33%としているが、ニュース素材などは一切HD化されていなかった。その後2010年4月から一斉にニュース素材のHD化が行われ、本社や各支局の取材映像はHDへと移行した。これによりパッケージのHD化が既に完了していたテレ玉やTOKYO MXに遅れをとっていたHD化率も若干の向上がみられる。2008年度末からは順次スポーツ中継のHD化が進行しているものの、YOKOHAMAベイスターズナイターのHD化は会場の設備の都合などから当初予定の2009年度開始が見送られ、ようやく2010年度からHD化された。恒常的にHDによるスポーツ番組制作を自前で行うために不可欠なのは、自社所有大型中継車のHD化である。2014年現在は大型中継車を保有していない。代替としてハイエースを用いた簡易的なHD中継車を保有している。テレビ神奈川も鋭意放送機材のHD化を進められ一部のテロップやCGなど視聴者の目に触れる部分では未だSDベースの機材が幅を効かせている部分もある。2012年(平成24年)開局40周年を記念して、tvk開局40周年記念 40時間特別番組「あすの地球と子どもたち〜PRAY FOR HAPPINESS」と題した延べ40時間にも及ぶ生放送長時間特別番組の放送を正式に発表した。同局としては1976年(昭和51年)6月4日 (金) - 6月5日 (土) 放送のチャリティー番組「ダークダックスの25時間テレソン〜生きる〜花子の車いす募金」以来36年ぶりとなり、1992年(平成4年)12月30日 (水) 18:30 - 1993年(平成5年)1月1日 (金) 9:30まで、TBS・JNN系列で放送された『元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ「ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない」』を抜き、日本の全地上波テレビ放送における歴代史上最大規模の生放送最長時間特別番組として放送された。2007年(平成19年)開局35周年を機に策定した放送ビジョン「あすの地球と子どもたち」を番組テーマに、環境・エネルギー問題・食に纏わる取り組み・新しい町作りの仕組みなど、次世代に豊かな社会をどの様にして残していくのかを考えていく。さらに開局40年の節目の年に新たにスタートさせる『どんぐりドリーム大作戦』〜地元のどんぐりから緑を育てる活動〜を番組を通じて広くアピールしていく。また、番組内で自ら実践している身近な取り組み・活動などもメール・ツイッターなどで募集し、小さいことから社会を変えていく輪を広げていく。番組は全3部構成となりメインパーソナリティーは、第1部・中西哲生(8日7:00 - 23:00)、第2部・山本シュウ(8日23:00 - 9日7:00)、第3部・別所哲也(9日7:00 - 23:00)、番組テーマ曲:光芽吹くとき、番組イメージソング:暁への祈り(歌:saigenji)、スペシャル・ライブゲスト:押尾コータロー、スターダストレビュー。本社1階『ヨコハマNEWSハーバー』をメインスタジオとして、9月8日 (土) 7:00 - 9月9日 (日) 23:00に放送された。なお、全シーズン共通して、「tvk」ないしは「TVKテレビ」と呼称し、局名・呼び出し呼称の「テレビかながわ」を使用しない伝統を踏襲し続けている。テレビ朝日系列の名古屋テレビ放送(NBN,メ〜テレ)、静岡朝日テレビ(SATV)と社業全般にわたり交流を図り協力をする「相互協力に関する友好協力関係協定」を結んだ。これは親会社の神奈川新聞社が朝日新聞社の関連企業であり、またテレビ朝日自体、tvkの大株主に名を連ねていることによるもの。2004年5月10日の新社屋移転時、メ〜テレの「大須ぱっぱ屋」へ向け尾辻舞アナが新社屋を生で紹介をした。tvkの応接室にはメ〜テレのキャラ「ウルフィ」のぬいぐるみが飾られている。2009年、メ〜テレが制作した映画「ハイキック・ガール!」や、イベント「ガンダム生誕30年祭」のCM・PRを首都圏トライアングル枠を含めて精力的に流した。また新社屋移転に伴う営業体制再構築時に設けられたtvk名古屋支局は、当初メ〜テレの旧本社社屋(現・メ〜テレアネックス)に入居していたが、2010年4月に老朽化で解体された為、別の地点に移転したと思われる。また、テレビ東京系列に次ぐネットワークを作るべく2007年に結成された東名阪ネット6の旗振り役を務めている。丸かっこ内の数字はtvkアナウンサーとしての在籍期間。●はアナウンス部長経験者。現在は編成局編成制作室の所属。以前は報道制作局報道部アナウンス班(1972 - 1981)、その後は報道制作局アナウンス部(1981 - 時期不明)だった。入社順。森田・吉井・三崎・、他はすべて契約社員もしくは事務所派遣の専属契約。〇は退社あるいは異動後に「tvkスポットニュース」の担当経験がある元アナウンサー。※印は現在フリーアナウンサーもしくは他社に移籍して活動中。歴代の昼ワイド(「おしゃべりトマト」〜「HAMA大国」)のアシスタント・「みんなが出るテレビ」女子大生特派員はアナウンサーの登竜門だった。太字は現在所属の放送局。リモコンキーIDは3。TOKYO MXを除く関東全独立局も3が使われる。2011年7月24日の停波時点太字の局はパススルー再放送をしている。これら通常のスタジオ及びスタジオに準じる設備で制作・放送されていた番組がある一方で、「LOVE CHR」(終了)、「YOKOHAMA MUSIC EXPLORER」(終了)など、第1会議室で収録している番組もあった。余談だが、現本社(横浜メディア・ビジネスセンター)に移転する前までは放送関連部署以外(営業部など)は旧本社(山下町旧社屋)とは別の場所での業務だった。1995年9月まではシルクセンターなど数ヶ所に分散、1995年10月以降は旧本社から近くの横浜クリードビル。これらは旧本社が手狭だったため。そのため、TVK本社演奏所は「放送センター」と呼び、シルクセンター内の業務室やクリードビルは「業務センター」の呼称だった。

出典:wikipedia

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