天皇杯全日本サッカー選手権大会(てんのうはい ぜんにほんサッカーせんしゅけんたいかい)は、日本のサッカーのカップ戦の1つである。1921年に開始されたサッカーの日本選手権大会であり、日本サッカー協会チーム登録種別の第1種登録があれば基本的に予選に参加可能なオープントーナメントある。Jリーグ(J1リーグ戦)、JリーグYBCルヴァンカップ(旧・ヤマザキナビスコカップ)と並ぶ、日本の国内3大タイトルの1つとされる。2013年度(第93回)まで元日に国立霞ヶ丘陸上競技場にて決勝戦が開催され、サンケイスポーツなどは「正月の風物詩」と称していた。第1回大会は、大日本蹴球協會創設と同じ1921年に「ア式蹴球全國優勝競技會」の大会名で開催された。 全日本選手権の開催とJFA創設の直接のきっかけとなったのは、1919年にイングランドのフットボール・アソシエーション(FA)から日本に贈られた銀杯(FAカップ)であった。この銀製トロフィーは全日本選手権の毎大会ごとのチャンピオンに与えられていたが、太平洋戦争(第二次世界大戦)の末期である1945年に金属の不足により強制供出されたため、現存していない。 2011年に日本サッカー協会が創設90周年を記念してFA銀杯復刻を計画し、FAに復元の許諾を求めたところ、FA側から自ら制作し再度寄贈したいとの申し出があり、これによって66年ぶりにFA銀杯が復活し、天皇杯優勝チームに授与されることとなった。1921年9月10日に今村次吉の私邸で行われた大日本蹴球協會の第1回理事会において全国優勝競技会の概要が決められ、16日に発表された。 第1回(1921年度)の予選は1921年9月から11月にかけて開催され、関東、中部、関西、西部の4地域から20チームが参加した。11月後半に日比谷公園の芝生運動場で行われた全国決勝大会には、棄権した1チームを除いた3チームが参加し、東京蹴球団が初代チャンピオンとなった。第4回(1924年度)からの全日本選手権は、内務省の主催によりこの年から始まった総合スポーツ大会、明治神宮競技大会(明治神宮大会)のア式蹴球の部を兼ねるようになった。大会の運営はJFAが担当した。第6回(1926年度)は、内務省主催による明治神宮大会への学生の参加は認められないという横槍が文部省方面から入ったため、全日本選手権と明治神宮大会は切り離され、それぞれ別個の大会として開催される運びとなったが、結局第6回全日本選手権は大正天皇の崩御のため中止された。。第7回(1927年度)は再び学生の参加が許されたので明治神宮大会を兼ねる形に戻った。 この年から明治神宮大会の開催ペースが毎年から隔年へ変更されたため、明治神宮大会のない年には独立して全日本選手権を行うようになった。この時代の全日本選手権の覇権を争ったチームはその多くが大学チームだった。大学のリーグ戦や東西対抗王座決定戦といった大会が始まり活況を呈するにつれ、大学チームは全国からチームが集まる全日本選手権よりも、レベルの高いチームが集まる大学リーグ戦に価値を置く姿勢へと変わっていった。 たとえば第11回(1931年度)に優勝した東大LBは2軍チームであり、1軍はリーグ戦の開幕に向けた準備に専念していた。 この第11回大会からは明治神宮大会のほか、全国地方対抗選手権も兼ねるようになった。1935年からは明治神宮大会とは別の新たな大会として、全日本総合選手権大会が始まった。この年以降は全日本総合選手権の優勝チームが全日本選手権の公式な歴代優勝チームとされている。 FAカップ自体は依然として明治神宮大会の優勝チームに授与されており(1937年第9回大会まで)、 全日本総合選手権の優勝チームには日本蹴球協会杯が与えられていた。戦後最初の全日本選手権となった第26回(1946年度)は「復興第1回全日本選手権大会」として行われ、関東と関西の予選を勝ち進んだ2チームだけが5月5日の決勝大会に参加した。1947年4月3日の「東西対抗試合」(関東と関西の選抜チームによる当時の一大試合)は昭和天皇が観覧し、翌1948年7月にはJFAが宮内庁から天皇杯を拝受した。当初こそ天皇杯は東西対抗試合の勝者に贈呈されていたが、第31回(1951年度)から全日本選手権の優勝チームに贈呈されるようになり、大会名も現在の「天皇杯全日本サッカー選手権大会」へと変わった。第40回大会(1960年度)には古河電工が実業団チームとして初めて優勝した。この後、大学チームの優勝は第46回(1966年度)の早稲田大学が最後となり、以降は実業団およびプロクラブが占めている。第44回(1964年度)は、AリーグとBリーグ(それぞれ5チーム)の1位同士により決勝戦を行うという試みが実施された。八幡製鉄と古河電工の試合は延長を経てもなお決着が付かず、両チーム優勝扱いとなった。大会の歴史上、リーグ戦が導入されたことも、優勝チームが複数出たことも、この回が唯一になっている。第47回(1967年度)までは開催時期・決勝会場地ともばらつきがあった。藤枝市・藤枝東高や広島市・国泰寺高と高校のグラウンドで行われた年もある。元日の明治神宮に250万人の参拝客(当時)が来るので、初詣帰りの1%でも来てもらえないか、と当時の長沼健らサッカー協会の幹部が思案して、第48回(1968年度)から年末開催とし、決勝戦を元日(1月1日)・国立霞ヶ丘陸上競技場に変更。以降、決勝戦の元日国立競技場開催が定着した(国立での決勝戦開催はその第47回(1967年度)から 。なお天皇杯元日決勝実施(1969年1月1日)の前年・1968年にはNHK杯サッカーが開催された。当該項参照)。1965年の日本サッカーリーグ(JSL)の発足以降、天皇杯はJSLと全日本大学選手権のそれぞれ上位4チームが出場資格を得る方式になっていたが、大会のモデルとなったイングランドのFAカップのようなオープンカップを求める声の高まりもあり、第52回(1972年度)からオープン化された。オープン化を実現できた要因としては、第48回(1968年度)から実施している元日決勝の興行的成功による財政面の安定があったという。参加チーム数は第52回は75チーム、第53回(1973年度)は807チーム、第54回(1974年度)は1105チームと爆発的に増えていった。Jリーグ発足以後はプロチームとアマチュアチームが戦える大会となった。また、第76回から第94回までは第2種登録チーム(高校生年代)も出場資格があった。第83回(2003年度)までは主に12月から元日に開催されていたが、翌第84回(2004年度)から大会日程を9月下旬からに大幅拡大し寒冷地で開催しづらかった北海道、東北、北信越(北陸・長野県・新潟県)地域でもより多くの試合がこなせるようになった。またこれまでJ1のチームは3回戦からのシード(かつホームゲーム主催権獲得)もあったが4回戦からに変更され、それに併せて第84回(2004年度)は原則3回戦勝ち抜けチームのホーム開催となる関係からJ1のチームはアウェーで天皇杯開幕を迎える形となった。スポーツ振興くじ(toto)を実施するため、第85回(2005年度)からJリーグも主催団体に加わった。第84回(2004年度)から第91回(2011年度)までは、元日の天皇杯決勝の前座(アンダーカード)として、全日本女子サッカー選手権大会決勝戦を開催していた。以下の回は開催前に大会自体が中止となっている。ただし、各種資料ではこれらの中止大会も含めて通算回数に含めている。元日決勝となった第48回(1968年度)以降、12月(または11月下旬)に開幕し元日に決勝を迎えるというスケジュールが定着していたが、北海道・東北・北陸といった寒冷地での開催を考慮して第84回(2004年度)以降は9月開幕が定着し、第93回(2013年度)以降は8月末の開幕となった。第94回(2014年度)は後述のように決勝戦が12月13日に繰り上げられたため7月開幕となった。第84回(2004年度)から第89回(2009年度)までの大会の基本的な日程は、以下のとおりでほぼ固定されていた。第90回大会(2010年度)以降は、他の試合(Jリーグ・Jリーグカップ・JFLなど)の日程を勘案しながら、流動的に日程が組まれるようになり、1回戦から4回戦までの日程は毎年異なっている(準々決勝以降の日程はこれまでの日程をほぼ踏襲)。詳細は各大会の記事を参照のこと。なお、Jリーグ・Jリーグカップ・JFLやAFCチャンピオンズリーグ・FIFAクラブワールドカップと日程が重複または近接する場合には、当該試合に関わるチームの天皇杯の試合は予備日(基本的に当該試合日の翌水曜日または翌土曜日)に開催される。日程配分に関しては、日本サッカー協会の天皇杯開催規程第9条 において「本大会の開催期日については、原則として開催前年度の実施委員会にて決定する。ただし決勝は1月1日とする」と規定されていたが、第94回大会(2014年度)は、サッカー日本代表が出場を予定しているAFCアジアカップ2015(オーストラリア)が2015年1月に開催され、その代表チーム強化期間の観点から、2014年12月13日に決勝を繰り上げることが決まった。ただし、開催日の前倒し処置はこの第94回限定のもので、2015年(第95回)以後は再び翌年元日に決勝戦を行うことにしている。これにより天皇杯開催規程第9条の「決勝は1月1日とする」の箇所は削除されている。スポーツ振興くじ(toto)の発売は、2回戦から準決勝までのJリーグ同士の対戦があった場合に限り発売される(試合により発売されない券種や発売方式が変更になる券種もある)。それぞれの試合は都道府県サッカー協会が主管することもあり、都道府県サッカー協会の意向を踏まえて決定される。Jリーグクラブがホーム側となる試合では各Jリーグクラブのホームスタジアム(または準ホームスタジアム)で開催されることが多いが、広島県協会のように初戦はホームスタジアムでの開催を避けるケース もある。決勝戦は、第48回大会から第93回大会までは国立霞ヶ丘陸上競技場での開催が固定されてきたが、新国立競技場への施設建て替え工事に伴い使用できなくなり(旧競技場本体は2015年に解体された)、以降は希望する都道府県協会の立候補を受け付け、日本サッカー協会が理事会で審議する形となっている(詳細な経緯については第94回大会の記事を参照)。第94回大会決勝戦は日産スタジアム、第95回決勝戦は味の素スタジアムで開催される。本大会に出場できるのはシード出場チームと各都道府県代表47チームが出場する。第95回(2014年度)は全88チームが出場する。シード枠の選考基準はJリーグが2部制となった第79回大会(1999年度)以降基本的に同じであるが、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟クラブ数の増に伴ってチーム数ならびに登場試合の異動が発生している。また、Jリーグ(J1・J2)チームが40チームとなった第92回以降はほぼ毎年シード枠対象に異動が生じている原則として地区予選を兼ねる各都道府県大会(社会人、大学を対象とする)の優勝チームまたは代表決定戦の勝利チームが本大会への出場権を得る。ただし、優勝チームが上記のシード枠での本大会出場となる場合は準優勝チームが繰り上がる(例:第81回の長崎大学)。第94回(2014年)までは高校・ユース世代(第2種登録チーム)の参加も認められていたが、規約の改正に伴い第2種登録チームの参加が第95回大会から認められなくなった。各都道府県予選を兼ねる地方大会は次の通り。なお、「チーム数」欄は2013年時点のJFA登録チーム数 であり、上述の理由からこの全チームが各都道府県予選の参加資格を有するわけではないことに留意のこと。試合は45分ハーフの計90分で行い決着がつかない場合は当初抽選によって勝ち上がりチームを決定していたが、その後PK戦を導入。第75回(1995年)までは延長戦を行わずにPK戦で勝ち上がりチームを決定する方式(決勝戦のみ15分ハーフの延長戦を行い、その後PK戦)となる。第76回(1996年)からは全ての試合においてVゴール方式の延長戦を行い、その後PK戦を行う方式に変更された。そして第85回(2005年)からはVゴール方式を廃止し延長戦の前後半15分ずつを必ず最後まで行う方式に変更され、現在に至っている。現在の試合球はアディダス製「ジャブラニ」をベースにした、ロゴマークと同様に白地に赤い桜の花びらを散らした専用デザインのもの。これは第90回(2010年)の決勝以降で使われている。優勝チームには賞状、優勝メダル、チーム強化費として1億円(税別、2016年大会)、天皇杯(第31回以降)の他にNHK杯(第48回以降)、共同通信杯、JOC杯、ドイツ杯(第85回以降)、FAシルバーカップ(第91回以降)、JFA杯(第95回以降) が試合終了後、メインスタンドの貴賓席付近で行う表彰式で贈られる。Jリーグ発足後の第72回から全日本選手権チーム(チャンピオンチーム)の証として天皇杯優勝チームマーク(天皇杯チャンピオンマーク)が授与され、翌シーズンのユニフォームに付けることができる。このマークは第88回大会までは日本サッカー協会のシンボルマークであるヤタガラスをモチーフに、上部に天皇杯の英名である「Emperor's Cup」の頭文字である「E」の文字をあしらったオリジナルデザインのエンブレムが使用されていたが、第89回大会より桜の花弁をあしらった天皇杯シンボルマークの下部に「Emperor's Cup WINNERS」の文字をくわえたデザインに改められた。2008年まではJリーグのリーグ戦ユニフォームに天皇杯優勝チームマークをつける規定があった が、2009年以降はこの規定がなくなっている。2012年の第92回大会では、前年度優勝のFC東京が天皇杯用ユニフォームのみ天皇杯優勝チームマークをつけた。優勝チームは全日本選手権チームとして、翌シーズンのゼロックス杯とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場資格を得る。なお、AFCチャンピオンズリーグ創設前の第69回(1989年度)から第80回(2000年度)までは、優勝チームはアジアカップウィナーズカップの出場権を得るものとされていた(アジアの大会における日本のサッカークラブも参照)。なお、優勝チームが同シーズンのJ1リーグも優勝している場合には、ゼロックス杯には同シーズンJ1リーグ2位チームが繰り上がり、出場権が与えられる。また、同シーズンJ1リーグ3位までのチームが優勝チームだった場合はACLには同シーズンJ1リーグ4位チームが繰り上がり出場権が与えられる。第87回(2007年度)までは、ゼロックス杯は天皇杯の準優勝チームが繰り上がっていた。またACLは第86回(2006年度)までの優勝チームが翌々シーズンの出場権を得ることになっており、優勝チームが翌シーズンのJ1リーグで優勝した場合には同シーズンJ1リーグ2位チームが繰り上がっていた(2008年までの日本からのACL出場枠は2チーム)。なお、この以前の方式では優勝チームが翌年にJ2へ降格した場合はACL出場権が剥奪されることになっていたが、この規定が適用されたことはなかった。第82回(2002年度)の天皇杯を制した京都パープルサンガ(2003年にJ2降格)は当時のACLの日程変更上の過渡期でもあったため元々出場権がなく、第84回(2004年度)優勝の東京ヴェルディ1969(2005年にJ2降格)は、クラブ側の「J2に降格した場合でも出場したい」という意向により出場が認められた。また、第87回(2007年度)の優勝チームである鹿島アントラーズは、当大会からの出場権授与の変更により、天皇杯優勝によるACL出場資格を得られなかった(前年までのレギュレーションであれば2009年のACL出場資格を得ていたはずだった。ただし2008年のJ1リーグ優勝で同大会への出場資格を得ている)。現在はAFCクラブライセンス制度により、Jリーグクラブライセンス制度によるJ1ライセンスを持つクラブにはACL出場権が与えられる。なお、同ライセンスを持たないチームが優勝した場合はAFC臨時クラブライセンスの発給を申請するか、ACL出場を辞退する ことになる。1980年代前半にはジャパンカップへの出場権が与えられていた。1968年元日に社会人と学生それぞれのチャンピオンチームを招待した「NHK杯元日サッカー」が開催され、前年の日本リーグ優勝の東洋工業とインカレ優勝の関西大学が東京の国立霞ヶ丘陸上競技場で対戦した。わずか10日後に両チームとも第47回の初戦を控えておりその前哨戦としての意味合いが強かったが、本大会が滞りなく運営されたこともあり翌年度の第48回より天皇杯決勝を元日開催とし、NHK杯サッカーはこの1回で廃止された。なおこの試合は東洋工業が1-0で関大を降し、その勢いのまま天皇杯も制した。また試合直前には関大サッカー部の選手が交通事故で亡くなるということがあり喪章をつけて練習が行われた。現在、優勝チームに天皇杯と共にNHK杯が授与されるのはこの名残りで、日本放送協会会長(出席できない場合はスポーツセンター局長、あるいは放送総局長などが代理出席)が訪れて、直接優勝チームのキャプテンにNHK杯のトロフィーを贈る。特別協賛スポンサーとなっているスルガ銀行の協賛で2009年大会から制定された。大会全試合のゴールの中から、ジャイアント・キリングを起こし、大会を盛り上げた「天皇杯を象徴するゴール」に対する表彰である。発表・表彰式は決勝戦のハーフタイムに行なわれる。第78回(1998年度)より、決勝戦のみならずすべてのスタジアムでの入場曲に「日本サッカーの歌」(坂本龍一作曲)が使われている。決勝戦終了直後の表彰式においても、優勝チーム表彰の際に「日本サッカーの歌」がBGMで流される。試合会場の決定方法は公表されておらず、レギュレーションの発表時点ですべての組み合わせと試合会場が決定する(ただし、発表後に変更になる場合もあり、会場未定にして組み合わせ決定後に決めることもあった。第92回大会では4回戦以降の組み合わせ・会場は3回戦終了後に決定することになった)。なお、Jリーグ加盟クラブのホームスタジアム(または準ホームスタジアム)で試合をする場合、各クラブが主催権を持つJリーグと異なり、天皇杯は各都道府県サッカー協会が主催となるため、試合会場も中立地扱いとなる。本大会は第1回から辞退チームが出るなど、その権威や他の国内外の大会とのスケジュールの兼ね合いによる過密日程などの問題を抱えていた。戦前の明治神宮競技大会との統合や日本サッカーリーグ設立に伴う日本チャンピオンの位置付け(現状では日本リーグ1部・Jリーグ1部優勝をチャンピオンとしているが、全日本選手権=Championshipは天皇杯である) などがある。また1968年(第47回)大会では過密日程や準備不足を理由とした3チームの辞退が出たほか、1986年(第66回)大会ではアジアクラブ選手権出場を優先させるため日本サッカー協会の指示で古河電工が出場を辞退(予定されていた兵庫教員戦は壮行試合となった)させられた。21世紀以降では、サッカー日本代表の活動やAFCチャンピオンズリーグの開催による日程の過密化、Jリーグの春秋制導入議論の中で天皇杯の日程見直しを求める声が上がっており、日本サッカー協会も決勝を元日から11月~12月に前倒しする方針を示している。なお、第89回大会から第93回大会までベストメンバー規定が適用されていた。日本放送協会(NHK)が共催することや過去の経緯もあって、地上波・BSでのテレビ放送はNHKが放送(ごくまれに地元民放局による放送例もある)している。ラジオ放送は準決勝までNHK一局、決勝はNHKに加えてTBSラジオ(ニューイヤー駅伝中継のため飛び乗り)、文化放送、ニッポン放送が中継を行う(第94回大会を除く)。RFラジオ日本も2009年度まで中継を行っていた。NHKによるテレビ放送は、第76回(1996年度)以降はJリーグ勢の登場以降の中継が基本となっている。なお、1回戦は、原則都道府県代表同士の対戦であったことから放送されなかったが、第95回(2015年度)はJ1・J2勢が1回戦から登場することから、1試合をBS1で生放送した。このほか、各県大会の決勝もNHK各局でのローカル中継で放送される他、本大会の2 - 4回戦および準々決勝の試合日には深夜にBS1でダイジェスト番組が放送されている(Jリーグタイムと同様の放送体制)。全試合生中継する準決勝以降はダイジェストが放送されないが、2009年度・2010年度は決勝終了後の夜にもBS1でダイジェスト番組が放送される(BS1の録画中継は決勝翌日の1月2日深夜に行われる)。また、第91回(2011年度)からはCS放送のスカチャンでの中継が行われる(4回戦以降の全試合を録画中継(一部生中継)。2012年は2回戦・3回戦のうちNHKが中継しない試合も数試合セレクトして放送)。過去にはJ SPORTSでも放送されたことがある。第94回(2014年度)の決勝において、民放ラジオでの中継は行われなかった。第95回(2015年度)の決勝は、NHK総合テレビの中継をインターネットによる同時配信の検証実験を行う。
出典:wikipedia
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