狩人(かりゅうど)は日本の歌手グループ。兄・加藤久仁彦(デビュー時を含む一時期、本名の邦彦名義で活動。1956年9月19日 - )と弟・加藤高道(1960年1月21日 - )の二人による兄弟デュオ。名前の由来は、二人の恩師である作曲家・都倉俊一から、「いつまでも大ヒットという獲物を狙い続けるハンター(狩人)であれ」といわれて名付けられたもの。なお、グループ名の有力候補として“みつばち君”なるものがあったといわれる。1977年3月25日発売の『あずさ2号』でデビュー。同曲はいきなり大ヒットを飛ばし、また同年暮れの第19回日本レコード大賞など数々の新人賞を受賞、人気を得る。同曲でサンレモ音楽祭などにも出場。以降も『コスモス街道』『若き旅人』『アメリカ橋』などのヒットで、スター歌手の地位を築いた。年末恒例のNHK紅白歌合戦には1977年・第28回(あずさ2号)、1978年・第29回(国道ささめ雪)に2年連続で通算2回の出場を果たす。当時の所属事務所の意向もあって、若手の歌手としては珍しく、物静かなトーンで売り出していた。なお同期デビューには、当時「フレッシュ三人娘」と呼ばれた高田みづえ・榊原郁恵・清水由貴子のほか、清水健太郎、太川陽介などがいる。NHK総合テレビ・レッツゴーヤングでは、デビュー時の1977年4月~翌1978年3月迄サンデーズの一員として、1978年4月~翌1979年3月迄司会者として、ほぼ毎回出演していた。以降は大きなヒットには恵まれなかったが、ドラマやCMに楽曲が採用され特に1994年歌謡バラエティー番組THE夜もヒッパレ出演で再ブレイク。翌年、『あずさ2号(ニュー・ヴァージョン)』をリリース。その後二人は歌手以外に自らの才能のテリトリーを広げようという意図から、それぞれ歌手・舞台俳優としてのソロ活動も行うようになる。煙草のポイ捨て撲滅運動に参加し、キャンペーンソング『どんポイ!(Don't Poi!)をリリースし、ヒットした。また初のレギュラーラジオ番組として『狩人 ときめきの扉』などにも出演。2006年3月19日には、デビュー30周年コンサートと、プロ野球OBチームマスターズリーグとの野球試合を東京ドームで開催し、主催者側発表で2万人の観客を集めた。岡崎友紀、伊藤咲子、三善英史らと“青春コンサート”と名打った懐メロコンサートで全国を回る。しかし2007年4月26日、同年12月31日をもって狩人を解散することを発表。一旦解散の後、兄の久仁彦は(アマチュア)ボクシングとソロ歌手として活動を行い、弟の高道はソロ歌手活動を行っていた。2010年11月、久仁彦が森田公一の抜けたトップギャランにリードボーカルとして加入し、「加藤久仁彦&トップギャラン」としての活動を開始。同年12月25日には、狩人として愛知県のホテルトヨタキャッスルにて「クリスマスディナーショー」を開催。翌2011年1月、久仁彦が所属事務所「夢グループ」を移籍。同年5月25日には加藤久仁彦&トップギャランがシングル青春紙風船(カップリング曲として『青春時代』を収録)を発売した。2012年7月18日、5年ぶりに再結成する事を発表。同年8月18日放送のNHK「思い出のメロディー」に出演して『あずさ2号』を歌唱し、同年11月6日の「NHK歌謡コンサート」では『コスモス街道』を歌唱。現在兄弟二人は個別の歌手活動をこなしながら、狩人としても並行して再活動中である。デビュー前、久仁彦と高道は同じ音楽学校に通っていたが、その時は二人ともソロ歌手を目指していた。しかし、経済上の事情から継続することが出来なくなり、久仁彦が、「自分は音楽の道を諦めるので、高道をよろしく頼む」と、親しい講師に申し入れたところ、その講師が、「兄弟デュオでやるのならば一人分の授業料で構わない」と慰留させた。これが兄弟デュオ「狩人」の誕生のきっかけになったのである。一方で兄弟同士の仲は必ずしも円満なものではなく、デビュー時より兄弟の性格や考え方の相違から、かつては本番直前まで喧嘩することもあったという。高道自身が『さんまのからくりテレビ』の企画「からくり 芸能人替え歌王」に出演した際、「あずさ2号」に乗せて兄弟仲の悪さを自虐した替え歌「兄と疎遠」を披露している(「『ザ・ベストテン』で出番が来るまで取っ組み合いの喧嘩をしていた」旨など)。2011年2月、東京・代官山でリアム・ギャラガーのバンドビーディ・アイのアルバム試聴イベントが行われた際、高道がゲストとして登場し、ノエルとリアムの兄弟不仲に照らしながら自らの経験談を語った。また吉田豪が2人をインタビューした際、2人まとめてインタビューするつもりが事務所からNGが出て別々にインタビューすることとなる。まず弟から行い、後日に兄にインタビューしたが、弟のインタビュー原稿を見た兄は吉田に抗議したという。2007年末に一旦解散した狩人だったが、解散前のラスト・シングルとして2006年に発売した「磐越西線」が、2011年3月11日に発生した東日本大震災をきっかけに、地元の福島県では同曲の人気が再燃していた。この事にもどかしさを感じていた兄弟二人は、「被災された福島県の人々をこの曲で勇気付けられるのなら」と考え直し、翌2012年の再結成へとつながった。 ※ベスト盤がLP、CD含めて10枚近く現在発売されている。加藤久仁彦と加藤高道が、個別に発表した曲はそれぞれの項を参照のこと。
出典:wikipedia
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