孀婦岩(そうふがん、-いわ)は伊豆諸島の岩。同諸島の最南端にある無人島で、所属市町村未定のため東京都の直轄となっており、東京都総務局の出先機関である八丈支庁が管理事務を行っている。日本の気象庁により活火山(ランク未分類)とされている。東京の南約650km、鳥島の南約76kmに位置する標高99m、東西84m、南北56mの顕著な黒色孤立突岩。火道内のマグマが硬化してできた典型的な岩頸であり、したがって岩質は玄武岩である。頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。面積は0.01平方km。カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6km、水深240mには火口がある。その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に早稲田大学の学生が上陸、登頂に成功。ほか2003年にもロッククライミングで登頂した例などが存在する(ただし転落事故も記録されている)。周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。また、高い透明度と豊富な魚影からスキューバダイビングの聖地とする人も多い。孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス人で元海軍大尉のであった。彼は交易のため二艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃した。ミアーズの記録によると1788年4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し「その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた」と書き記した。ミアーズは、この岩をその不思議な形から旧約聖書の創世記(19章26節)において神の指示に背いたために塩の柱に変えられてしまった女性に見立てて「Lot's wife(ロトの妻)」と名づけた。ミアーズの報告と実際の岩の位置は緯度が大きく異なっており、実際よりも17度も東にされている。日本語文献では1885年の『寰瀛水路誌』に初めて「孀婦岩(ロッツワイフ)」の名が現れるが、これは「Lot's wife」を「やもめいわ」と意訳したもので、やがて音読して「そうふがん」と読まれるようになったと考えられる。今日では「そうふいわ」と呼ばれることも多い。聖書に由来することが確定している日本の地名は珍しい。周辺では海底火山が活動中であり、1975年に孀婦岩の北約500 メートルの海域に緑色の変色水の発生が観測された。戦後、小笠原諸島と沖縄がアメリカ統治下に置かれていた時代では事実上日本最南端の地になっていた。海鳥の生息地となっているため、島は鳥の糞で白くなっている。また、頂部にイネ科の植物が生息している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。