高岡市(たかおかし)は、富山県北西部の市である。富山県第2の都市で、県西部(呉西)の中心都市である。加賀藩主前田利長が築いた高岡城の城下町として発展し、高岡城の廃城後は商工業都市として発展した。伝統工芸の高岡銅器に代表される鋳物の生産が盛んで、豊かな水と電力を背景にアルミニウム工業も発達している。「高岡」の地名は『詩経』の一節「鳳凰鳴矣于彼高岡(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」に由来し、前田利長が築城と開町に際して名づけた瑞祥地名である。面積km²、人口人(、)。面積は209.38 km²(20,938ha)、富山県の面積の約5%を占めている。面積の内訳は、36.22 km²が宅地、56.92 km²が農地、22.7 km²が山林、2.21 km²が原野、85.44 km²が公有地(公園など)、5.89 km²が荒地となっている。また、高岡市の市域は南北に19.2 km、東西に24.5kmに亘る。市の周囲は125.9kmであり、海岸線の総距離が日本で3番目に短い富山県(147 km)で考えると、同じぐらいの長さに匹敵する。富山県の4の市(氷見市、小矢部市、砺波市、射水市)、石川県の2の町(津幡町、宝達志水町)、合わせて6の市町と隣接する。隣接する氷見市との境から市の南西部(福岡地区)にかけて、150m - 300mぐらいの山々が連なり、特に氷見市近くの二上山を中心とする二上山丘陵には高い山が集まっている。また、庄川と小矢部川が流れ、支流が市内を縫っている。小さな河川も含めると、10数本の河川が市内を流れている。日本の渚百選にも選ばれる雨晴海岸が市の北部にある。海水浴場がひしめき、夏場は海水浴で賑わう。また、海岸の沖に高岡市唯一の島である男岩がある。近くには女岩という岩もあり、こちらは立山連峰と重なる風景で有名。市の中心部および北部から東部は射水平野の一部で、一方で砺波平野の一部である西部から南部では、一部で散居村の風景もみられる。気候は日本海側気候に含まれる。富山県の全域が豪雪地帯であることもあり、冬は雪が多い。年によっては豪雪になることもあり、平成18年豪雪では、最深積雪104cm、2011年には最深積雪127cmを記録した。2005年の気象記録では、平均気温は13.8℃、平均湿度は74%、年間総降水量は約2,698.0mm、日照時間は1,544.7時間だった。人口3,720人。高岡市中心部の一角をなす地域。高岡市役所がある。人口9,595人。高岡市中心部の一角をなす地域。JR高岡駅がある。人口8,651人。1925年8月1日に高岡市に編入された旧射水郡下関村だった地域。人口7,090人。JR高岡駅北西の地域。人口6,286人。1928年6月1日に高岡市に編入された旧射水郡横田村だった地域。人口7,197人。1928年6月1日に高岡市に編入された旧射水郡西条村だった地域。人口3,243人。高岡市中心部北縁の地域。人口8,748人。高岡市中心部北縁の地域。人口2,656人。1933年8月1日に高岡市に編入された旧射水郡二上村だった地域。人口11,596人。1942年4月1日に高岡市に編入された旧射水郡能町村だった地域。人口8,761人。1951年4月4日に高岡市に編入された旧射水郡牧野村だった地域。人口16,681人。1942年4月1日に高岡市に編入された旧射水郡野村だった地域。住宅地が広がり、市内最大の人口を抱える。人口3,736人。1942年4月1日に高岡市に編入された旧射水郡二塚村だった地域。人口5,665人。1942年4月1日に高岡市に編入された旧射水郡佐野村だった地域。人口2,882人。1949年1月1日に高岡市に編入された旧西礪波郡福田村だった地域。人口5,414人。JR高岡駅南西の地域。人口1,049人。1954年4月1日に高岡市に編入された旧西礪波郡小勢村だった地域。人口3,370人。1955年4月1日に高岡市に編入された旧西礪波郡立野村だった地域。人口4,743人。1953年10月5日に高岡市に編入された旧西礪波郡東五位村だった地域。人口1,322人。1953年10月5日に高岡市に編入された旧西礪波郡石堤村だった地域。人口3,797人。1951年3月17日に高岡市に編入された旧西礪波郡国吉村だった地域。人口2,845人。1942年4月1日に高岡市に編入された旧射水郡守山村だった地域。人口12,208人。1942年4月1日に高岡市に編入された旧射水郡伏木町だった地域。市北部の中心部。富山県内で最も早く開けた地で、古代は越中国の国府が置かれた。伏木港ができてからは高岡の外港として栄え、現在は化学工業や製紙工業が盛ん。人口2,850人。1953年10月5日に高岡市に編入された旧氷見郡太田村だった地域。高岡市の北端にある。市内唯一の旧氷見郡だった地域であり、旧氷見郡唯一の現在氷見市でない地域である。人口13,734人。1966年2月10日に高岡市に編入された旧西礪波郡戸出町だった地域。市南部の中心部。人口6,644人。1966年2月10日に高岡市に編入された旧東礪波郡中田町だった地域。旧西礪波郡福岡町。人口3,071人。旧福岡町の中心部で、町村制施行当初から福岡町だった地域。JR福岡駅がある。旧西礪波郡福岡町。人口3,961人。1940年2月11日に福岡町と合体した旧西礪波郡山王村だった地域。旧西礪波郡福岡町。人口2,465人。1940年2月11日に福岡町と合体した旧西礪波郡大滝村だった地域。旧西礪波郡福岡町。人口2,073人。1954年8月1日に福岡町と合体した旧西礪波郡西五位村だった地域。旧西礪波郡福岡町。人口488人。1954年8月1日に福岡町と合体した旧西礪波郡五位山村だった地域。高岡市の西端にある。旧西礪波郡福岡町。人口1,310人。1954年9月15日に福岡町に編入された旧西礪波郡赤丸村だった地域。古代、現在の高岡の郊外は、越中国の国府であり、そのため、746年に国司として大伴家持が赴任し、在任した五年間にとても多くの秀歌を残した。これは、高岡市が“万葉の里”と呼ばれる由来であり、現在も行われている高岡万葉まつりのメインイベントである万葉集全20巻朗唱の会にも受け継がれている。近世になると、1609年に加賀藩主の前田利長が高岡城に入り、“高岡”の町が開かれる。この1609年の開町により、近世高岡の文化が始まることとなる。開町の当時は、5,000人にも満たない人々で町が構成され、城の周囲や南の台地に、侍屋敷が配置されていた。だが、1615年の一国一城令により、高岡城は無くなってしまった。当時、「城の無い城下町は衰退していく」と言われていたが、前田利常の「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という政策が功を奏したため、高岡は発展の道を辿り始め、高岡の“商工業の町”としての歴史が始まっていく。高岡銅器や高岡漆器などもこの頃から始まった。近代では、1889年4月1日に青森県の弘前市などの全国30都市と共に市制が施行され、日本初の市の1つとして、“高岡市”が誕生する。この頃から伏木港(現伏木富山港伏木地区)での交易が盛んになってくる。現代では2005年11月1日に隣接する福岡町と共に旧高岡市と旧福岡町を廃止し旧市と旧町をもって新設合併し、新しく“高岡市”が発足し、。高岡市の歴代市長は以下の通り。高岡市議会は定数30人の議員で構成される。定例会と臨時会があり、定例会は3月、6月、9月、12月に行われる。伝統産業としては、梵鐘や仏具などの銅器製造(高岡銅器)が全国的に有名であり、高岡大仏に生かされている。また、高岡漆器や高岡仏壇も有名である。豊富な水を利用した水力発電のために、電力が安いことから、アルミの製品の生産が発展している。現在でも、アルミの建材の出荷は多額で、三協立山アルミの本社やリクシル(旧新日軽)の工場がある。事業所を置く会社としては、隣の砺波市で創業された、大手運輸会社の一つ、トナミ運輸の本社がある。また、創業者のゆかりの地という経緯から、読売新聞の北陸支社が設けられている。他に、ショウワノートの本社、チューリップテレビの本社、北陸コカ・コーラボトリングの本社もある。また、国勢調査(2000年)による産業就業人口は、第一次産業が2,036人、第二次産業が35,760人、第三次産業が53,594人だった。高岡市は、高岡の“ものづくり”の産業を知ってもらうため、独自の科目「ものづくり・デザイン科」を取り入れている。現在、高岡市内の小学5年生と小学6年生と中学1年生が、「ものづくり・デザイン科」を学んでいる。高岡市内の国、県、市が指定した文化財は以下の通り。富山県と高岡市は「近世高岡の文化遺産群」として、高岡市の文化財の世界遺産への登録を目指している。文化庁の選定する国内暫定候補入りは一時継続審議となっていたが結局見送られている。現状では世界遺産登録への道はまだまだ遠いが、県や市、市民などが一体となって世界遺産登録に向けて活動している。西日本旅客鉄道(JR西日本)3路線9駅、日本貨物鉄道(JR貨物)1路線2駅、あいの風とやま鉄道1路線3駅、万葉線2路線17駅が所在する。市内の鉄道路線と駅は以下の通り。現在の高岡市の市章は、福岡町との合併後に制定されたものである。公募されたものの中から4つに絞られたのち、市民へのアンケートを経て決定した。デザインは「高」の字を図案化したもので、緑と青が豊かな自然と水を表している。また、合併前の旧市章は、1916年9月1日に制定されたもので、デザインは「高」の字を丸く図案化したものだった。高岡市は、市の木につまま(タブノキ)、市の花にかたかご(カタクリ)、市の花木にさくらを制定している。旧高岡市は、市の花にカタカゴ、市の花木にコシノヒガンザクラを制定していた。また、市のマスコットキャラクターに、越中国司大伴家持をモデルにした家持くんと、加賀藩主前田利長をモデルにした利長くんがいる。高岡市の姉妹都市、友好都市、提携都市は以下の通り。高岡市、ひいては富山県、日本のために貢献した人物が選ばれる。国籍などに関わらず、15人の人物が選ばれており、高岡市をはじめとする富山県出身の人物が多い。高岡市の市民栄誉賞は、福岡町(現高岡市)出身の滝田洋二郎(映画監督)が、『おくりびと』で第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したことを受け、2009年に創設された制度である。高岡市の名を高め、市民に希望を与える功績を残した人物に授与される。
出典:wikipedia
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