文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校である。名古屋大学は、1939年に創設された名古屋帝国大学を直接の母体とする国立大学である。前身の名古屋帝国大学は9番目(内地では7番目)に設立され、内地・外地を通じて「最後の帝国大学」であった。名古屋帝国大学創設当初は医学部と理工学部の2学部のみを設置していたが、1942年には理工学部を理学部と工学部に分離した。第二次世界大戦後の旧制学制残滓期間内には、法経学部と文学部の2学部を設置した。新制名古屋大学となった後も教育学部、農学部、情報文化学部等の学部や大学院研究科および附属研究教育施設を順次設置し続け、2014年現在、9学部・14研究科・3附置研究所を擁している。大学の略称は「名大」であり、「めいだい」と発音する。この「名大」という略称は商標登録(登録商標日本第4861457号ほか)もされている。明治大学の略称である明大(めいだい)と発音が同じであるため、一部では「なだい」や「なごだい(名古大)」と発音する人もいるが、商標登録第4861457号の参考情報として付随している称呼が「メーダイ」であることから、公式には「めいだい」が正しい。なお、明治大学の方は東海地区周辺では「明治」および「明治大(めいじだい)」と呼ばれ、区別されている。関係者に6名のノーベル賞受賞者がいる。そのうち、名古屋大学を主たる研究教育の場として授与された者が3名(野依良治、赤崎勇、天野浩)、名古屋大学より学士号が授与された卒業生は3名(小林誠、益川敏英、天野浩)名古屋大学より博士号が授与され、後年ノーベル賞を受賞した者は5名(下村脩、小林誠、益川敏英、赤崎勇、天野浩)である。上海世界大学学術ランキング (ARWU) では、2016年は第72位、国内第3位である。クアクアレリ・シモンズ社による2014年のQS世界大学ランキングでは、第103位、QSアジア大学ランキング2015では、第21位、国内5位である。英誌タイムズ・ハイアー・エデュケーションによるTHE世界大学ランキング2016-2017では、第301-350位、国内6位、THEアジア大学ランキング2015では、第32位である。創立時に「建学の精神」などは明確に定められなかったものの、2000年に名古屋大学の基本理念の概要を示す『名古屋大学学術憲章』が定められた。この憲章において、自発性・創造性・先進性・国際性などの重視が示されており、「勇気ある知識人を育てる」ことが目標に掲げられている。なお、「勇気ある知識人」は国立大学法人名古屋大学によって商標登録(登録商標日本第4967427号)されている。現在は、「自由・闊達・進取」を学風・特色としている。名古屋帝国大学が出来たばかりの頃は、初代総長が十七条憲法の一節で、自身の座右の銘であった「以和為貴」を大学全体の基本精神としていた。現在は「名古屋大学学術憲章」を定め、それを基に「名古屋大学運営の基本姿勢」を公表している。尾張藩種痘所取締であった伊藤圭介・石井隆庵ら3名が、版籍奉還後の名古屋藩庁に提出した建議書を基に廃藩置県直後の1871年8月9日、「仮病院・仮医学校」が開設された。以後仮病院・仮医学校は名古屋県の行政運営上の事情や財政難から廃復興の繰り返しの後、公立病院・医学講習所という形で存続。その後1903年の専門学校令に基づき愛知県立医学専門学校となり、1920年には大学令に基づき大学に昇格し、県立愛知医科大学と改称する。1931年には国へ移管され官立名古屋医科大学となった。この官立大学誕生を契機として、同医科大の前身学校時代からすでに同学校内および愛知県政財界を中心に展開されていた帝大誘致・設立運動が結実、1939年に官立名古屋医科大学を吸収させる形で名古屋帝国大学が創設される。同時に官立名古屋医科大学は名古屋帝国大学医学部へ改組された。ただし名古屋帝国大学の創設資金900万円(当時)は、地元愛知県が国庫へ全額寄付するという形での設立となった。なお、名古屋帝国大学は、創設時には文科系学部は存在せず、理工学部と医学部のみの学部編成であった。第二次世界大戦後、まず帝国大学令等の旧制度廃止直前の1948年に「(旧制)名古屋(帝国)大学」の下法経・文の2学部が設置されたことで、文科系理科系の両系統学部群が揃うこととなった。その上で、教育制度改革に伴う高等教育機関の一本化という行政施策に伴って、愛知県各地域に散在していた旧制官立学校が新制名古屋大学へ包括されて合流する。名古屋高等商業学校は法経学部経済経営両学科、第八高等学校の一部は文学部、第八高等学校の一部および岡崎高等師範学校は旧教養部、それぞれ設立母体となった。大学院は、名古屋帝国大学各学部に大学令に基づいた研究科が置かれた時点からの歴史がある。第二次世界大戦後、学校教育法に基づき新制大学院制度が発足すると1953年から1955年にかけて理学、工学、法学、経済学、文学、教育学、医学、農学の8研究科が設置される。しかし大学への予算配分や教官配置の基礎は学部内の講座 (chair) 制に置かれていた。1991年に当時の文部省が示した大学設置基準の大綱化をもとに大学院の部局化を本格化する。これは事実上の大学院重点化であった。具体的には独立大学院の設置と教養部廃止を前提に大学院研究科を大学における研究・教育の基軸として再編するという2つの施策を実施している。前者は、1991年の国際開発研究科、1992年人間情報学研究科(後述する教養部改組措置を兼ねた研究科として誕生)、1995年多元数理科学研究科、1998年の国際言語文化研究科の各研究科設置という形で実現した。また、後者は教養部を改組の上、前述した人間情報学研究科と情報文化学部(1993年)を創設、1993年に教養部を廃止すると全学一貫教育体制に移行した上で1996年に理、1997年に工、1999年に法、医、生命農学、2000年文、教、経済と各学問分野において大学院重点化を完了させることで実現している。2001年に表明された文部科学省の方針に基づき、2004年に国立大学法人名古屋大学が発足し、名古屋大学は同法人が設置する大学となる。また同年、法科大学院として法学研究科に実務法曹養成専攻を設置している。シンボルマークは、Nagoya University の頭文字「nu」に篆書体の「名大」を合成したもので、通称「NUマーク」である。名古屋大学学章規程により正式に定められている。1958年に教養部2年の学生によるデザインが学内公募により選定され、それを基に作成された。スクールカラーは濃緑である。『濃緑』は、名古屋大学体育会の機関紙の名称にもなっている。その機関紙によると、「濃は不屈・永遠を表し、緑は若さを表す」とされている。名古屋大学には正式な校歌や大学歌は存在しないが、以下に示す歌が存在する。以下、特記していない専攻は博士前期課程・博士後期課程である。附属図書館は中央館、医学部分館、34の部局図書室がある。総蔵書数は約293万冊(2008年4月現在)。年間利用者は中央館のみで延べ約70万9千人、貸出冊数は約13万3千冊(2007年度)である。2000年4月、日本の大学が設置する5番目の総合大学博物館として、東山キャンパスの古川記念館内に開館された。名古屋大学が所蔵する学術標本の収集・研究・保護・展示や異分野交流、大学の研究成果の展示、情報発信の目的を担っている。財団法人名古屋大学出版会は、正確には附属機関ではなく独立採算制を執る独立した機関であるが、名大東山キャンパス大学広報プラザ内に事務所があることや理事長は名大教授であり、名古屋大学はじめ中部地区大学関係者の書籍を発行することを目的としているため、本節にまとめた。主に学術書や大学の講義で使う教科書などを出している。以下の14件のプロジェクトが採択された。以下の7件のプロジェクトが採択されている。大学祭は「名大祭」と呼ばれ、1960年から毎年、6月の第1木曜日から次の日曜日に掛けての4日間開催される。また、近年は秋季にも「秋革祭(しゅうかくさい)」と呼ばれるやや小規模なイベントも行われている。一般的には、大学祭は秋季に行われることが多いが、「名大祭」はその第一回開催時に伊勢湾台風の影響で延期となり、翌年の6月に第一回が行われたため、その後も6月に行われることとなった。当時の名古屋大学は多くのキャンパスが市内や周辺市域に分散していた蛸足大学だったため、大学全体としての学生の結束が弱いとされた。しかしキャンパスが東山地区に統合されるとともに、安保闘争や伊勢湾台風復興を契機に学生運動が高揚すると、大学祭開催への機運が高まり、1960年に第一回名大祭の開催を見た。しかし各学部の学生団体がそれぞれ企画を催すなどのばらつきも見られた。現在では教養部を除く各学部の団体が統合された名大祭本部実行委員会と呼ばれる団体が6月の名大祭を主催し、教養部の団体の名残である名大祭一・二年生実行委員会が秋季の秋革祭を主催している。とくに名大祭は多くの研究室・部活・サークルの成果の発表の場として、また全学学生の団結力を示す場として位置付けられている。来場者は毎年約5万人程度であり、その規模は東海地方で最大を誇る。またバリアフリーとごみの再資源化に早くから取り組んでいる。2008年に開催された第49回名大祭の模擬店において、大規模な食中毒が発生した。翌年の第50回名大祭においては原因調査と再発防止体制確立のため、飲食物を取り扱う企画の自粛対応がなされたが、第51回からは体制が整ったとして飲食物を取り扱う企画が再開された。1956年に名古屋大学体育会が結成され、1961年に大学公認を受けている。同会に所属する部の中には、陸上競技部や漕艇部など旧愛知医学校や第八高等学校からの歴史がある部も存在する。また、全国の旧帝国大学と共に全国七大学総合体育大会に参加している。また、大阪大学との対抗戦として名古屋大学・大阪大学対抗競技大会(名阪戦)を行っている。1964年からは毎年11月下旬に須賀杯争奪駅伝競走大会が開催されている。これは名古屋大学教授で陸上部顧問(当時)を務めていた須賀太郎が、1963年に豊田工業高等専門学校の初代校長に就任し、同校のスポーツ振興に力を注いだことに由来する。大学と高専が共催するスポーツ大会は日本国内では珍しい。アメリカンフットボール部の愛称はグランパスである。名古屋グランパス創設以前から歴史があり、名古屋グランパスの関係者がグランパスの名前を使用する許可を求めて同部を訪れた逸話がある。文化系のクラブ活動も盛んであり、特に1984年に設立した名古屋大学クイズ研究会では、現役生やOB/OGを問わず、同会出身の解答者がテレビのクイズ番組で優秀な成績を残す者も多く存在するなど、各国立大学の中でも極めてレベルの高いクイズ研究会であり、特に旧帝国大学ではトップ級のクイズ研究会である。また、1989年より年に1回、概ね毎年秋に、名古屋大学クイズ研究会の最大のライバルで、また私立大学のクイズ研究会ではトップ級である、立命館大学のクイズクラブである立命館大学クイズソサエティーとの対抗戦「名立戦」が、国立大学と私立大学との域を超えて開催されている。旧帝国大学の出身者および学長、教授、助教授・准教授経験者で構成される団体として社団法人学士会があり、名古屋大学関係者も多数入会している。上述のように施設が東山地区に統合されたのが1950年代であり、そのためキャンパス内に他の旧帝国大学に見られるような戦前に建てられた歴史的建造物はほとんど存在しない。東山キャンパスは東西に長い長方形のような形をしており、キャンパスのほぼ中央を南北に貫く公道(山手グリーンロード)によって西地区と東地区に分けられる。そのためかこのキャンパスには正門が存在しない。西地区は西側へ向かって丘陵となっており、かなりの高低差がある。キャンパスの中心にはグリーンベルト(緑地帯)が東西に走っており、西地区のグリーンベルトには中央図書館、東地区のグリーンベルトには豊田講堂がある。西地区の南側が文系地区となっており、西地区の北側は工学研究科を中心とした理系地区および教育学部附属中学校・高等学校となっている。東地区は理系地区および野球場、サッカー兼陸上競技場、テニスコートなどのスポーツ施設などとなっている。また、大学を東西に貫くグリーンベルトは若宮大通(100メートル道路)の延長線上にある。名古屋市の都市計画では、若宮大通の東端を名古屋大学東山キャンパスへ接続するという想定が存在していたことが影響していたのではないという説がある。東山キャンパスは、地図上では名古屋市千種区にある複数の町区画にまたがっているが、郵便物を速く確実に届けるために郵便の宛先は「名古屋市千種区不老町」に統一され、構内各所に学内住所番号を割り振っている。(本部の所在地は、地図上では千種区仁座町。不老町は図書館や工学部1号館、2号館、3号館、7号館などがある場所)。不老町以外にも東山キャンパス内に完全に含まれるため郵便の宛先とする個所が存在しなくなった町がいくつかある。また、現在の千種区と昭和区の区界は大学のキャンパスに沿って引かれているが、この線引きのために区をまたいで分断され、両区にまたがって存在する町名もある。キャンパスの真下に名古屋市営地下鉄名城線が通過しており、キャンパス内に名古屋大学駅がある。地下鉄の建設工事に伴い、精密測定機器の精度を守るために一部施設が東山キャンパス外に移転するなどした。今後、さらに、東山キャンパス内を東西に通る地下鉄の新線(東部線)の構想もある。FOREST(フォレスト)は、東山キャンパス北東部(理系地区)の理系中華食堂・理系カフェテリアを全面改築・改修して作られた、名大生協運営の福利厚生施設の総称。理系専門書店の Books Fronte、カフェの Cafe Fronte、食堂の Dining Forest から構成される。FOREST というネーミングは一般公募の結果、名大生協事務員の案が採用された。「FOREST」は「For Eat Study Talk」という意味が込められている。理系中華食堂は2005年夏に取り壊され、新たに Fronte(フロンテ)が建てられた。この建物はこれまでの生協の剰余金(いわゆる利益)のみを利用して建設された。2006年5月に今まで理系書を取り扱ってきた北部書籍が移転する形で、Books Fronte、そして建物内で隣接する Cafe Fronte がオープンした。Books Fronte は2006年5月現在、日本の大学生協では最大の書籍を陳列している理系専門書店である。カフェにはパソコンを利用するスペースがあり、名古屋大学無線ネットワーク実証実験 (nuwnet) を利用してインターネットへ接続することも可能となっている。理系カフェテリアは2006年の夏季長期休暇中を中心に改修され、Dining Forestとして10月2日にオープンした。鶴舞キャンパスは昭和区鶴舞町と千種区花田町にまたがっており、東山キャンパスの8分の1程度の広さを持つ。北部には研究棟や図書館の医学部分館などがあり、南部には附属病院(名大病院)の病棟や診療棟などがある。また、キャンパスの東側には名古屋工業大学、南側には名古屋市公会堂などがある鶴舞公園が隣接しており、北側は若宮大通に面している。なお、鶴舞キャンパスにはローソンが3店舗存在する。大幸キャンパスは東区大幸南にあり、鶴舞キャンパスの半分強の広さを持つ。北部には保健学科本館・南館・別館、中心部には大幸医療センター、南部には運動場などがある。また、キャンパスの東には愛知教育大学附属名古屋小学校・愛知教育大学附属名古屋中学校、南西にはナゴヤドームがある。東山キャンパスには生協の運営する北部食堂・南部食堂・フレンドリィ南部・Dining Forest・レストラン花の木・Cafe Fronte・IBカフェと、外部業者の運営するユニバーサルクラブなどがある。さらに2010年、中央図書館2Fにスターバックスがオープンした。鶴舞キャンパスには医学部食堂が、大幸キャンパスには大幸食堂があり、いずれも生協の運営である。東山キャンパスには北部購買・南部購買・南部書籍・NU(にゅー)だが屋・プランゾ・Books Fronte・理系ショップ・ラボショップが、鶴舞キャンパスには医学部購買・医学部書籍が、大幸キャンパスには大幸購買書籍があり、いずれも生協の運営である。東山キャンパスに2006年7月24日開店したファミリーマート名古屋大学店は、日本初となるコンビニエンスストアと国立大学の産学連携の試みの一環として設置された。店内では通常のコンビニエンスストアとしての機能を持つほか、研究発表用の「マルチスタディールーム」が設けられている。2012年1月5日には構内2号店となるファミリーマート名古屋大学IB館店も開店した。(中華民国)"この項目は、のを使用しています。" "5252
出典:wikipedia
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