『風と木の詩』(かぜときのうた)は、竹宮惠子による日本の漫画作品。1976年、『週刊少女コミック』(小学館)10号から連載開始。1982年7月号から、連載誌を『プチフラワー』(小学館)に変えて1984年6月号まで連載された。全2部構成。第25回(昭和54年度)小学館漫画賞少年少女部門受賞。19世紀末のフランス、アルルのラコンブラード学院の寄宿舎で繰り広げられる、思春期の多感な少年達を中心とする物語。愛欲、嫉妬、友情など、さまざまな人々の想いが交錯するなか、運命に翻弄される2人の主人公、華麗なジルベールと誠実なセルジュの切ない愛が描かれる。竹宮は「当時はベッドで男女の足が絡まっているのを描いただけで作者が警察に呼び出されていましたが、私は作品を描く上で愛やセックスもきちんと描きたかったの。男×女がダメなら男×男でいけばイイと思ったの」と語るとおり「少年愛」のテーマを本格的に扱った漫画作品であり、少年同士の性交渉、レイプ、父と息子の近親相姦といった過激な描写は当時センセーショナルな衝撃を読者に与えたが、後述のように知識人たちからは高い評価を得ている。フラワーコミックス(小学館)から全17巻。白泉社文庫版全10巻。愛蔵版(中央公論社)全4巻。2007年の時点で490万部が出版され、少女漫画としては歴代53位。1987年には、安彦良和監督の下、同タイトルでアニメーション化された。寺山修司は「これからのコミックは、風と木の詩以降という言い方で語られることとなるだろう」と語り、河合隼雄は「少女の内界を見事に描いている」と評し、上野千鶴子は「少年愛漫画の金字塔」とした。竹宮の親友で大泉サロンの主催者増山法恵(当時は「のりえ」)の影響は大きく、増山は少年愛(クナーベン・リーベと呼んでいたという)を竹宮と萩尾に教え、優れた少年愛作品、自分が読みたい作品を書いてもらうために、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』『デミアン』、稲垣足穂『少年愛の美学』などを紹介した。竹宮は『少年愛の美学』を夢中で読んでいたという。竹宮は構想から1976年の発表まで7年の歳月を費やしたと述べており(つまり竹宮が構想を始めたのは上京前の1969年頃ということになる)、増山は竹宮が20歳の時に誕生したと語っている。竹宮は一夜にして物語のプロットを頭に描き、翌日増山に8時間かけてストーリーを話した。竹宮は「いちばん最初に『風と木の詩』を描こうと思った時点、(稲垣足穂の)『少年愛の美学』を読んだ時点で、わたしの描こうとしているものをはっきり確信した」と述べており、『少年愛の美学』から舞台をパブリック・スクール的な場所にすることが選ばれた。漫画化されたのはプロットの前半のストーリーであり、後半は主にセルジュのその後の人生であるとされる。それは増山による小説『神の子羊』の中で断片的に語られるが、そのストーリーは時代、登場人物の大部分まで含めて、増山による創作である。竹宮は「(風木の後半は)あなたに任せたからね」と真の後半部を描く意思はないことを増山に語ったと言われる。物語にリアリティを出すために、意識的にディティールが描かれた。1970年代の東京でヨーロッパの情報を入手することは非常に難しく、ルキノ・ヴィスコンティなど大量の映画、洋書店巡りで入手した服飾・壁紙・家具の歴史の洋書などを研究し、1972年には増山、萩尾望都、山岸涼子の4人でヨーロッパ旅行を敢行し、細やかで厚みのある19世紀末フランスの描写がなされた。竹宮は同作を、ヴィスコンティ映画の影響を受けた最初の作品であると語っている。また、竹宮は同作を多くの人に受け入れてもらうために、連載開始の2年後に雑誌『JUNE』に積極的に参加して成功に貢献し、同誌に少年同士の性愛をヨーロッパを舞台に描くという蓄積を継承した。『風と木の詩 SANCTUS -聖なるかな-』のタイトルで、1987年11月6日にポニーキャニオンより発売されたOVA(VHSV118F8196)。LD・LP・CDサントラ盤でも発売。
出典:wikipedia
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