流山市(ながれやまし)は、千葉県北西部の東葛地域に位置する市。人口約17万人で、千葉県内では八千代市に次いで8位である。旧葛飾郡(東葛飾郡)。明治期には葛飾県庁が置かれた。通勤率は、東京都特別区部へ33.5%、柏市へ12.5%(いずれも平成22年国勢調査)。現在は住宅都市となっているが、かつては江戸川や利根運河を利用した水運で栄え、一時期葛飾県庁が置かれていた。1950年代以降、江戸川台や松ケ丘を中心に住宅開発が行われ始め、市内各所が住宅街となる。1970年代までに流鉄流山線、東武アーバンパークライン(野田線)、JR武蔵野線が市内に通るものの、それぞれが市内で接続せず、地域ごとの繋がりが薄い市となっていたが、2005年(平成17年)のつくばエクスプレス開通により、それらの地域が結ばれ、現在は流山おおたかの森駅を市の新拠点として整備している。流山市は、千葉県の北西部、関東平野の中に位置する。東葛飾地域に属し、旧東葛飾郡の中部に当たる。東京都心から約25km。市の西境を江戸川が南北に流れ、江戸川の対岸は埼玉県である。また、市の北部には利根運河が流れる。市の面積は35.28 km²で、県内では5番目に面積の小さい市である。市域は南北に長く、江戸川沿い及び市の南部は平坦な低地、市の中部や北部は下総台地の一部を構成して緩やかな高低差の台地となっており、ほぼ全域が住宅街や農地などになっている。流山市には現在52の町・大字がある。流山市では住居表示は行っていないが、土地区画整理事業に合わせて地番整理を行っている。また、市内の地名にある「ケ」は、すべて大きい「ケ」である。丁目は、加、三輪野山のみ漢数字で、それ以外は算用数字である下総国に属する。18世紀頃から江戸川の水運のための河岸ができ、みりんの製造で栄えた。幕末期には新選組が本陣を置いたが、新政府軍に包囲されたため隊長の近藤勇が出頭し、盟友土方歳三との離別の地となった。つくばエクスプレス開通後は市外からの転入者が相次ぎ、開業4年半後には人口が約1万人増え、2009年(平成21年)4月時点の年齢別人口では、35〜39歳が1万4,151人で、長年最多だった団塊世代(60〜64歳)の1万2,609人を抜いた。「都心から一番近い森の街」を目指し、「グリーンチェーン戦略」を行っている。当市の財政力指数は0.91であり、行政職員の平均月額給料は38.6万円となっている。法人税割は小規模企業について12.3%の自治体が多いところ、当市では一律14.7%となっている。都市計画税は0.3%で、三郷市0.15%、吉川市・野田市・春日部市0.2%、松戸市0.23%、柏市・我孫子市0.3%などと比較して若干高い。公立幼稚園私立幼稚園市立中学校公立私立私立私立私立特別支援学校公立保育所(保育園)私立保育所(保育園)当初は常磐線が市中心部を通る予定であったが、結局は柏駅を通って我孫子駅に向かうルートとなった。これは鉄道忌避運動の影響であるという説があるが、実際は、常磐線を建設した日本鉄道と政府との間でのやり取りの結果、上野-南千住というルートを東京側の起点とすることが決まったため、南千住から水戸方面へ向かう際の最短ルートとなる水戸街道沿いに線路が敷設された、ということが真相とされる。市内に常磐線の駅はないが、北小金駅(松戸市)〜南柏駅(柏市)の途中(国道6号との立体交差付近)で市内を通過する。そのため、東部地区の住民はこの2駅を利用することが多く、南柏駅発着の流山市によるコミュニティバスが(京成バス松戸営業所、東武バスイースト西柏営業事務所によって)運行されている。流山市の中心駅は流鉄の流山駅であるが、JR武蔵野線開業で中心駅機能は南流山駅に移り、TX開業で中心駅機能は流山おおたかの森駅に移りつつある。流山市の市外局番は全域で「04」である。以前は我孫子市、柏市、野田市、流山市を対象とした市外局番は0471であったが、市内局番の不足に伴い、2002年(平成14年)2月よりこれまでの「0471」の市外局番のうち、「71」を市内局番にまわし、市外局番を「04」に変更した。桁を2つずらした理由には、市内局番の初めを「1」から始めてはいけない決まりによるもので、桁ずれによる市外局番2桁化はこれが初例となった。埼玉県の「042-9」、千葉県鴨川市などの「0470」のうち市内局番の先頭が9の地域の市外局番も「04」に変更されており、これらの市外局番04地域に電話をかける場合は04を最初に回すことになる。ただし、天気予報は従来と同じく「0471-177」である。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。