沖縄県唯一、また、日本最南端かつ最西端の国立大学。「自由と平等・寛容と平和」…1950年創設の翌年(1951年)、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの誕生日を選んで2月12日開学記念式典を挙行した。リンカーンにあやかり、琉球大学は戦後の平和な社会建設の礎として「自由と平等・寛容と平和」の理想をかかげて建学の理念とした。琉球大学開学時は那覇市首里の首里城跡に設置されていたが、同場所で首里城再現のための工事が始まったため、1977年(昭和52年)から1984年(昭和59年)にかけて現在の場所に移転された、移転後にキャンパスは解体され、グラウンドは沖縄芸術大学に譲渡された。現在「千原(せんばる)キャンパス」と「上原(うえはら)キャンパス」の2キャンパスとなっており、敷地は西原町・中城村・宜野湾市の3市町村にまたがっている。2つのキャンパスの総面積は約126万㎡で東京ドーム約27個分の敷地面積である。(ただし、千原キャンパスにある農学部附属農場も含んでいる)沖縄県中頭郡西原町字千原1番地()千原キャンパスの中央に千原池があり、この池を境に南北に学部が配置されている。千原池の東・南側(中城村側)に法文学部・教育学部・理学部・大学事務局・中央生協などが、北側(宜野湾市側)に農学部・工学部・北食堂・千原寮などがある。比較的女子学生が多い法文学部や教育学部などの学生は「中央生協」に集まることが多く、中央生協は千原キャンパスにおける中心的な機能を担っている。一方、工学部や農学部は中央生協から500mほど離れており、しかも千原池を跨ぐ球陽橋を渡る必要があるため、中央生協ではなく「北食堂」に集まることが多い。食堂・購買等の生協施設は千原キャンパスの北側にも設置されているため、専門科目が多くなる高年次の工学部や農学部の学生はほとんど中央生協方面に足を運ばなくなる傾向がある。千原キャンパス構内には環状の片側1車線道路(通称[ループ道路」)が整備され、3つある構外との出入り口(東口、北口、南口)及び附属小中学校前、保健管理センター前の合計5箇所に信号機が設置されている。キャンパスは那覇中心街から離れた場所にあり、かつ公共交通機関がバスのみであるため(2009年(平成21年)1月現在、路線バスは北口に7系統、東口に3系統)、多くの教職員・学生が自動車や原付バイクなどで通勤、通学している。自動車の駐車スペースを確保するため、入構許可制をとっており、入構証を自動車の見える場所に提示することによって、入構の許可・不許可を判断することになっている。なお、原則として片道2km以内の通勤・通学者には入構証は発行されない。入構証がない場合、校門守衛において入構を拒否される。構外との出入り口は、千原キャンパスの敷地がまたがる3つの市町村に各々設置されており、宜野湾市の北口(宜野湾口)、西原町の南口(西原口)、中城村の東口(中城口)があるが、すべてが正門とされている。しかし夜間や休日には南口と東口は閉門されるものの、北口は路線バスの乗り入れもあり開門されている。尚、大学本部は西原町の地番に所在しているため、大学の住所は西原町となっている。沖縄県中頭郡西原町字上原207番地()東口側に教育学部附属の小学校と中学校がある。特筆がないものはすべて昼間主のみ。21世紀COEプログラムには1件が採択されている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。