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爆笑問題

爆笑問題(ばくしょうもんだい)は、太田光と田中裕二の2人から成る日本のお笑いコンビ。所属事務所はタイタン。略称は爆笑、爆問など。数多くのテレビ・ラジオ・雑誌連載のレギュラーを抱えながらも、偶数月に行われる自社ライブ「タイタンライブ」には欠かさず出演し、新ネタの漫才を行っている。チケットの購入が困難なため、最近では「タイタンシネマライブ」として全国TOHOシネマズ映画館で生中継をしている。2人の出会いは日本大学の試験会場であり、試験会場で試験官を茶化していた太田を見た田中は「関わり合いになりたくない」と思っていた(とはいえ田中は、どうせ合格出来ないだろうと思い込んで、野球のユニフォームを着て受験に臨んでいた)。その後、大学の合格発表時に偶然再会して田中が「え、こんな奴が日本大学合格しちゃったよ」と思い太田に話しかけた所、太田は受験会場の様子とは全く違い、律儀な受け答えをしていた(『笑っていいとも!増刊号』にて)。また、太田が入学後の最初の授業でも騒ぎ、他の生徒達を盛り上げたが、田中はその雰囲気に乗らなかった。日本大学時代の取得単位は2人合わせて17単位だった。しかも太田は2単位しかとっておらず、そのうち1つはスキー合宿の参加者全員にもらえる単位だった。太田は後に、日芸の教授を「俳優になろうとしてなれなかった奴らの溜まり場。俳優を育てようなんてなんも思っちゃいない」と批判しては、講義を欠席していた。元マネージャーは2人の同級生で、18歳の時から30年近い付き合いだった。プライベートでは田中は太田を「光」と呼び、太田は田中を「小僧」と呼ぶ。田中が仕事のときに太田を「太田さん」と呼ぶのは仕事とプライベートの区切りをつけるためであり、太田が田中を「田中」と呼ぶのは、「小僧」では誰のことかわからないと感じているため。また、お互いはごく近所に暮らしている(太田は「田中がこっちに引っ越してきたんだ」と冗談として言い、田中は「お前が俺の生まれ故郷(東京)にやってきたんだろ」と突っ込むやりとりをする事が多い)。2人とも自動車の運転免許を持っていない(太田は過去にバイクの免許を持っていたが自損事故を起こしている)。また、2人とも酒を飲めない。2人ともSNSなどを全く利用しておらず、太田に至っては携帯電話を所有していないため「やる理由がない」と述べている。2人とも猫好きであるが、ペットのかわいがり方は異なり、可愛がり倒す田中に対して太田はほとんど構わない。その所為で互いの猫の性格も違い、来客に纏わりつくような田中家の猫に対して、太田家の猫は来客には絶対に近寄らない。2人とも酒が飲めないが、太田が眠れない時に焼酎を飲んで酔っ払い、翌日の仕事でまだ酔いが残っていたため、スタジオの照明を見て踊りだすことがあった。2人は佐野元春とサザンオールスターズの話題になると、必ずどちらの方がより良いファンかと張り合っている。コンビ名の由来はラテ欄でよく使用されるフレーズ「爆笑」と、本屋でたまたま「問題実話」と言う本を目にした際、タイトルに「問題」と入れていたことが印象に残っていたことから太田が命名。また、カタカナ名のコンビが多いため目立とうとしたのも理由の一つであることが太田の自伝『カラス』(小学館)に記されている。「カラス」は一時期コンビ名を変えようと考えていた時、候補に上がっていた言葉である。前述の通り、コンビの(名目上の)リーダーは田中であるが、それを決めたのは太田である。テレビ番組(2000年代頃より司会・MCが主)・ラジオ番組のレギュラーを多数抱えるが、タイタンの定期ライブや雑誌の連載、本の出版などもこなしている。漫才のネタは主に太田が作っている(田中はツッコミを多少考える程度で、大半の田中のツッコミは太田が考える)。時事ネタや社会風刺を題材としたものが目立ち、「社会派漫才」などと呼ばれる。太田は時事ネタを扱うのは、ネタが枯渇しないからだと語っている。ネタの内容について両者は「社会問題をお笑いのネタとして扱っているだけで、何らかの政治的なメッセージを送っているつもりはない」「旬のネタに対して変な事を言っているだけ」「僕らは正義感で漫才をしているわけではない」「日本政府からの圧力は一切ない」と繰り返し述べており、風刺などと評されたり、「反日」などと言われることにも否定的である。事実、政治家ネタなどは、イデオロギー・所属政党などは問わない。また、ネタの中には逮捕された人物や、世間を騒がせた人物のネタもよく登場しており、その出来事から年十年と経過したものを使いまわすことも多いため、田中から「もうそれは忘れてやれよ」と突っ込まれることも多い。ネタを使いまわすことについて太田は「噛めば噛むほど面白いし、何度噛んでも味が出る」と述べている。お笑い評論家ラリー遠田は太田のボケには、「シンプルボケ」「毒舌ボケ」「ナンセンスボケ」という3つの種類が存在すると評しており、とくに「ナンセンスボケ」については爆笑問題の漫才の隠し味になっているとし、「毒舌ボケ」よりも高く評価している。芸能人の活動の中心がテレビとなっている中、太田は「ラジオで笑いが取れる芸人になりたい」と、漫才への思いを表している。漫才のネタ作りは「田中がスクラップした新聞記事を太田が読んでボケて行き、田中はそれに対してツッコミをいれつつネタを書き留めていく手法をとる。そのことから太田は田中のことを「書記」と指した事がある。また、この作業は太田家のリビングで行われる。また、コントも比較的多く行っており、こちらは時事ネタにとらわれないネタが多い。ダジャレネタがメインの『ボキャ天』では、主に田中がネタを考えていた。これは太田にダジャレのセンスが全くなく、収録で太田のネタで「王貞治」を「おさだはるこ」と変えたが、意味不明なために没になったということがあった。その時のことをBOOMERが目撃している。『水着でKISS ME』(テレビ東京)では交互に主演し、毎回ベッドシーンを演じていた。また、テレビなどの出演がほとんどなかった時代には、太田が書いた脚本を同期のホンジャマカが演じたこともあった。1999年4月から2006年3月にかけて、『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)に、ネズミの着ぐるみキャラクター「爆チュー問題」としてレギュラー出演し、人気を得る。2006年5月からは『空飛ぶ!爆チュー問題』としてCS放送・フジテレビワンツーネクスト(開始当時はフジテレビ721)で放送されている。2005年の高額納税者番付タレント部門では、2人ともベスト10に入った(太田8位、田中9位)。お笑い芸人がトップクラスの域になると自身のレギュラー番組しか出演しなくなる傾向が強い中で、多忙になった現在でも積極的にゲスト出演をしている。また、『爆笑問題のニッポンの教養』『探検バクモン』(NHK総合)など、教養色の強い番組の出演も多い。事務所公式サイトのプロフィール写真は、1997年頃に撮影された宣伝用写真を使用し続けている。ドラマや映画などには、コンビともにゲストや「チョイ役」での出演で、本人役が多かった。しかし、2000年代後半頃より田中が映画『感染列島』やドラマ『Q10』(日本テレビ系)、『恋愛ニート〜忘れた恋のはじめ方』(TBS系)などに出演し、俳優としての仕事も増えている。「ピン」(1人)での仕事として、田中は『サカスさん』『S☆1』(ともにTBS系)で情報番組の司会を務めている。一方、太田は『マボロシの鳥』(新潮社)などの小説やエッセイを多く執筆している。なお、「爆笑問題」名義の出版物もほとんど太田1人で執筆している(後述)。BOOMER・プリンプリンとそのユニット「ブーマープリン」をはじめ、X-GUN・古坂大魔王・つぶやきシローら戦友とも言える「ボキャブラ世代」の売れていない芸人を自身の番組やタイタンライブに多く出演させている。冠番組を持たない東貴博・土田晃之・アンジャッシュとの共演機会も多い。一方で、同じボキャブラ世代のロンドンブーツ1号2号との共演は少ないが、田中が田村淳に料理を作らせようとしたりするエピソードがあったりするなど、プライベートでは付き合いがあるようである。ラジオやライブなどで付き合いの古い伊集院光やバナナマン(同世代だがキャブラーではない)との共演機会も多い。1999年前後には『NHK紅白歌合戦』の白組司会の候補に挙がったことがあるとされる。太田は田中との比較において、絶対的な自信を持っており、様々な機会を捉えてはギャグの一つとして田中への非難・痛罵を繰り返す。テレビなどでは、太田が田中を非難することが多いが、田中が「キレる子供」と揶揄される位すぐに解散を口にするので、いつも太田が謝って収拾している。前述に基づくエピソードとして、新人時代に田中がネタをとちってしまい、ネタ終了後の楽屋で太田が田中を責めたが、田中が「次の舞台でネタを間違ったらコンビ解散!」と言い放ち、何故か逆ギレされてしまう。しかし太田は「こんなことで解散されちゃ、たまったもんじゃない」と田中を必死になだめたということがあった。2000年9月11日、田中は片側の睾丸の摘出手術を行なった。その際、当時開会直前のシドニーオリンピックになぞって「田中、金とった!!」と言う見出しがスポーツ新聞を飾った。また、記者会見では太田が田中をネタにギャグを連発して笑いを取った。このネタは現在も継続して行われている。2人は、後輩の萩原正人(キリングセンス)が肝硬変を患った際に、何とか彼の命を救おうと奮闘し、結果的に命を救っている。デビューして間もない頃、2人の才能を見抜いた落語家の立川談志は、太田に「天下獲っちゃえよ」と応援の言葉を送ったという。また、「こいつ(田中)だけは切るな。こう出来た奴もなかなか居ないもんだ」と、田中の相方としての重要性を説いている。上岡龍太郎は立川談志との対談で「今のお笑い、バラエティには教養がなくなった、1つ救いなのが爆笑問題が談志師匠に会うと緊張する気持ちを持っていてくれるのだけが救いだ。彼らがそれを持ち続けてそれを次にどううつしていってくれるか。頼むよ爆笑問題」と発言した。島田洋七は『GAHAHAキング』の審査で、「ビートたけしよりハイレベルなネタをしている。漫才ブームの頃のレベルを彼らが初めて崩した」と評した。2008年から当時の大阪府知事(元・大阪市長)で、タイタンに所属していた橋下徹の活動支援のために、2年連続で太田夫妻と田中は1000万円を大阪府へ提供している。SMAPとはデビューした年が一緒であり(どちらも1988年デビュー)、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の名物コーナー「BISTRO SMAP」の男性芸能人出演最多ゲストでもある。また、草なぎ剛が不祥事を経て復帰後最初の「BISTRO SMAP」に「(事件について)全く触れないのもアレだし、でも、爆笑さんだったら上手くギャグにもする」という理由で呼ばれている。特に太田はSMAPの大ファンであることを公言しており、メンバーの仲の良さなどをラジオやテレビで熱く語ることが多かった。それが縁で「We are SMAP!」の作詞も担当したほどであり、それゆえに同グループが解散することが発表された際にはショックを受けたことと、内情について「本人たちにしかわからない事」と前置きをし、メンバー全員を心配する発言をしている。また、同期である岡本夏生とも親交がある。バブルが過ぎ、仕事のない状態の岡本を最初に取り上げたのは、爆笑問題が司会を務める『サンデージャポン』(TBS系)である。2010年代より『爆報! THE フライデー』(TBS系)などで田原俊彦と仕事をする機会が増えている。きっかけは『ハッピーボーイズアワー爆笑おすピー問題!』(フジテレビ系)での田原俊彦特集で共演したことである(田中が田原の大ファンである)。ちなみに両方とも一度芸能界を「干される」という経験をしている。ダウンタウンとは1990年代半ば頃から度々ネット上などで不仲説が取り沙汰されており、この2組が番組で共演する事も無ければお互いの事を自身の冠番組などで話す事も無かった。しかし、2014年3月31日に放送された『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』にて、同じくダウンタウンとの不仲が噂されていたとんねるずと共に共演を果たした。とんねるずと共にダウンタウンと共演する予定ではなかったが、とんねるず・石橋貴明が木梨憲武と爆笑問題を誘って乱入し、松本人志が「ネットが荒れる」などと冗談交じりに述べた。1990年の『初詣!爆笑ヒットパレード』や日本テレビ系列で放送されていたテレビ番組『LIVE 笑 ME!』にてお互い同じ回に「出演」した事はあった。爆笑問題が結成間もない頃、“関東のお笑い登竜門”とも言われている、渡辺正行主催の「ラ・ママ新人コント大会」に初出演したネタが大ウケして、その場で太田プロにスカウトされ、ライブ内で話題となった。渡辺は後にインタビューで「この瞬間に立ち会えたのは幸福なこと」と語っている。結成当時から行っていた『いじめ』などの差別ネタや毒舌ネタなどが「テレビ向きではない」などと言われ出した際、渡辺は「今はテレビに出るよりも面白いと思えるものをやった方がいい」と擁護した。その後、渡辺は『爆笑大問題』シリーズにレギュラー出演し、番組が終了した現在でも爆笑問題の番組に度々共演する機会がある。雑誌の連載では、「師匠と呼べる存在」と崇めている。タモリとはまだ無名だった頃にも共演しており、『タモリ倶楽部』『タモリのSUPERボキャブラ天国』の出演で世間に知られるようになった。以前に『爆笑問題カーボーイ』の中で、自分たちの実力が一番発揮できる番組として『タモリ倶楽部』を挙げていた。『たけし・さんまの有名人の集まる店』(フジテレビ系)出演時に太田は、同じくBIG3であるビートたけしと明石家さんまに、トークではタモリに憧れを持っている、という発言をしている。太田は『A-Studio』(TBS系)出演時には、普段おとなしいタモリが自分のギャグで笑うのが嬉しいという趣旨の発言もしている。1997年頃からブレイクするようになり、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の出演もこの頃から多くなった。その後、2000年4月から水曜レギュラー陣として正式に加入するようになった。水曜レギュラー陣のリーダーで、『笑っていいとも!』のコンビとしての最年長レギュラーであり記録更新中だったが、2012年4月のレギュラー陣の変動で田中が月曜日に移動、レギュラー13年目にして初の分離出演となった。太田はビートたけしの影響を強く受けており、「たけしさんが出てきた時から、本音を言うことがいかに面白いかを知った」と『たけしの日本教育白書』(フジテレビ)で語っている。太田が「コメディ映画を撮りたい」とたけしに相談した際、「映画を作るなら初めに当てろ」「コメディ作るなら金をかけろ」と言われた。たけしは、爆笑問題結成当初の頃にたまたまコントを見たことがあり、「こいつらは面白いと思った」「ネタの切り口がツービートと似ていた」と語っている。爆笑問題が『たけしの誰でもピカソ』でたけしの前で、直接漫才を披露した際には、「好きだな。自分と感覚が似ている。」と評した。その一方で、たけしの弟子である浅草キッドとは仲が悪く、特に太田と水道橋博士は犬猿の仲として知られていた。原因として『ビートたけしのオールナイトニッポン』代理時に太田が本人曰く「たけしイズム」を出そうとして発したボケ発言が影響しているという。上記の通り、萩原正人が肝硬変で入院していた際、病院で爆笑とキッドが鉢合わせ(この時期、キッドも萩原の入院生活をサポートしていた)してしまい、萩原が寝ている病室で太田と博士が取っ組み合いの喧嘩を始め、病気で苦しんでいるはずの萩原がギャグでその場を取りなそうとしたこともあったという。その後、萩原の妻が一席を設けて、2人を一緒に酒を飲みに行き仲直りしたという。ただし、『Quick Japan』76号に収録された、吉田豪による「爆笑問題ロングインタビュー」によると、活動初期は別として、後の「抗争」はお笑い芸人的な予定調和を崩すための「ネタ」であり、実際は不仲ではないと語っている。玉袋筋太郎とはお互いの著書をやり取りしたり、太田がその著書をラジオで評価するなど、仲は良いようである。『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ、2011年12月25日)に浅草キッドがゲスト出演した。2016年2月12日に開催したタイタン主催のライブ「TITAN LIVE 20YEARS anniversary」にトリで出演し、落語「人情八百屋」を披露した。また、同ライブには太田の誘いで桑田佳祐・原由子夫妻も客席で観覧していた。明石家さんまは、爆笑問題が太田プロに所属していた頃から高く評価しており、初めて共演した1990年頃の『初詣!爆笑ヒットパレード』で2人のネタを絶賛し、「爆笑問題の時代になる」と確信していた(『さんまのまんま』にて)。一方、2人も学生時代から『さんまのオールナイトニッポン』のファンであったと話しており、『ビートたけしのオールナイトニッポン』と共に「木曜日が楽しみだった」と語っている。さんまがたまたま番組の打ち合わせをしていた時、隣のスタジオで『ポンキッキーズ』内の「爆チュー問題」のコーナーのリハーサルを見学して笑っていた。この話は『明石家さんまのフジテレビ大反省会』で取り上げられ、「お前ら、リハーサルし過ぎや!」と突っ込んでいた。さんま自身が滅多に他人の番組のゲスト出演をしないため、『爆笑問題カーボーイ』にゲスト出演したことは異例とされている。また2014年1月12日『爆笑問題の日曜サンデー』でも300回記念ゲストとして14年ぶりに共演した。さんまが爆笑問題と共演すると、必ずと言っていいほど「田中の身長」をネタにしたり、2人が独立して苦労した頃の話をしたりする。特に、独立して苦労した話に関しては、当時のさんまもかなり心配していた模様で、爆笑問題が再び売れ始めた1998年頃には積極的に自らの番組に出演させるなど、一役買っている。また、『たけし・さんまの有名人の集まる店』では、お笑いコンビとしては唯一ゲストとして出演をさせ、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』(フジテレビ系)では、初めてスタジオに直接出演させるなど優遇している。爆笑問題は、さんまがレギュラー時代であった金曜日の『笑っていいとも!』にも数回出演していたことがある。2人は他事務所の人間であることもあり、太田はさんまを時々「あんた」と呼ぶことがある。プライベートでは、太田がさんまの楽屋を訪れ、光代の「酒癖の悪さ」を愚痴る関係で、共演時にはさんまがそのことをネタにしている。また、爆笑問題が独立時に干されていたこともネタにしている数少ない人物。コンビでの出演のみ。個別の出演は太田光、田中裕二を参照のこと。歴史や時事問題などについて漫才形式で書かれているもの(「日本原論」シリーズなど)が多い。しかし、太田によれば、「爆笑問題」名義で、作中でも田中が登場するにもかかわらず、太田が1人で執筆することがほとんどで、田中は作業には参加していない。田中は「名前貸しみたいなもんです」と話している。また、原稿料は田中にも配分されている。また、日本原論内でもこのことに言及することがあり、とくに太田が田中のセリフを勝手に本人の主張と違うものにする事が多く、その時はすぐに訂正のツッコミが入るのが恒例。※「爆チュー問題」名義の作品は爆チュー問題の項を参照。※「爆チュー問題」名義の作品は爆チュー問題の項を参照。

出典:wikipedia

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