『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』(つうかいなりゆきばんぐみ ふううん たけしじょう)は、1986年5月2日から1989年4月14日までTBSで放送された視聴者参加型のアトラクションバラエティ番組。略称は「たけし城」。放送時間は毎週金曜 20:00 - 20:54 (日本時間)。ビートたけしが城主を務める難攻不落の「たけし城」を落とすため、毎回約100人の一般応募者からなる攻撃軍を谷隼人“隊長”が率い、緑山スタジオに作られた、たけし軍が仕掛けた数々の難関(ゲーム)を攻略する。「子供の頃の原っぱでの冒険ごっこや泥遊びを再現したかった」という趣向で番組の企画にはたけし自ら携わり、セットには総工費1億円がかけられた(番組内では「20世紀最大の工事だった」と喧伝された)。スペシャル版として、谷隊長に城を奪われたたけしやたけし軍団が奪還のため挑戦者となる回や、都道府県選抜・外国人・女子大生・中高生大会や、ペアで挑戦する親子・カップル大会などが行われた。番組冒頭では攻撃軍に追われて逃げるたけし軍の映像の後に、画面9分割による出場者紹介があり、全員の顔が映し出された。外国人・コスプレ参加者など特筆すべき挑戦者はゲーム開始前に谷隊長によって紹介された。難関を攻め行くうちに攻撃軍は次々と脱落し、最終的に勝ち残り城主たけしを討ち落とした者が賞金100万円を獲得するルールだが、最後まで勝ち残る者は少数だった。太字はカート戦に参加したことのある人ほか城主たけしとの決戦へたどり着くまでに、8種~9種の難関(ゲーム)が待っている。番組開始から終了まで100以上のゲームが作られた。既存の難関をリニューアル・アレンジしたものや、1回きりで終わったものも多くあった。「○○でポン」と名の付くゲームがいくつかあるのは、桂プロデューサーがかつて手がけた番組「笑ってポン!」に由来する。難関の前には、たけしと家老のやりとりが放送された。新難関もここで紹介され、家老が紹介したけしがツッコミを入れるのがパターンであった。各難関は基本的に生き残っている攻撃軍の全員が挑戦するが、撮影時間、挑戦者の人数・体力を考慮して失格者が定数に達した時に、その他の出場者は不戦勝として次に進めることもあった。よって概ね4~5つほどのゲームをクリアすればたけし城行きとなる。2つ~3つの難関を同時に収録する事もあるため、谷隊長が不在となる難関もある。難関によって水浸しになったり、泥まみれになる事も多かったが、収録現場にはシャワールームや更衣室、休憩室を兼ねたプレハブが多数あり、服や体が汚れても大丈夫な体制がとられていた。戦場レポーターによるCM前の寸劇コーナーでこれらの施設が紹介された事もあった。なお基本的に難関は屋外収録だが、大がかりなセットがある場合は「まさかのドミノ」などのように隣接するスタジオで収録する場合もあった。すべての難関を突破すると、たけし城に続くトンネル(実際は人食い穴挑戦時に潜るトンネル)の出口からたけし城前に挑戦者が登場。谷隊長に「よくぞ生き残った我が精鋭達よ!」と迎えられる。簡単な自己紹介とインタビューのあと、谷隊長が「それでは気合を入れて頑張って欲しい、いいなぁ!!」と気合を入れ、挑戦者が「オー!!」と応じ最終戦に突入する。事前特番、第1回~4回では、直接たけし城に攻め込み、水鉄砲で撃ち合う方式だった。たけしの的を破れば、攻撃軍の勝利となる。たけしの的が他の人よりもかなり穴が小さい上に、動く砦に身を潜める戦法を使っており、さらにそのまんま東などのマシンガン部隊が所持する特製のライフル型水鉄砲の性能も高く、攻撃軍は勝てなかった。第5回から導入され、谷隊長と挑戦者のやり取りの後、谷隊長の「乗り込めー!!」との号令とともに攻撃軍は戦車に乗り込む(この間カート戦がスタートするまでの間、たけし軍側の打ち合わせもあり)。そして谷隊長の「行けー!!」のかけ声と、たけし戦車の号砲とともにカート戦がスタートする。番組テーマ曲に乗せて、攻撃軍とたけし軍が水鉄砲で互いの戦車の的を破く。攻撃軍がたけし戦車の的を破くと攻撃軍の勝利となり、的を破った挑戦者が賞金100万円獲得となる。特別編にて100万円を獲得した挑戦者の使い途などが放送されたこともある。しかし、軍団による守りが固いうえにたけし戦車の性能は高く、高速で逃げたり、重量を活かした体当たり戦法で挑戦者のカートを弾き飛ばしたりでき、特製のライフル型水鉄砲の性能も高く、攻撃軍はなかなか勝てなかった。たけしはカートの的が破られそうになると、的を身体ごと、あるいは手で覆うなど卑怯な戦法をとる事もあった。初期は攻撃軍のカートは最大6台で、7人以上生き残ったら1台に2人乗ることになったが、第29回から人数分カートが用意された。それでも足りない場合は1台に2人乗り運転側と攻撃側で分担する。原則たけし戦車1台・たけし軍団戦車5台と戦うが、たけし軍側は操縦役と射撃役の2人から3人が搭乗し、それぞれの役目に専念できるため攻撃軍より有利であった。攻撃軍が残り少ない場合ハンデとしてたけし戦車1台のみで戦ったり、多数残った場合1対1で総当たり戦を行い、ラスト1台でたけし戦車が登場することもあった。なおたけし軍団の大多数が謹慎中の間などは、他の関門を守っている軍勢が代わりにカートに乗り込んでいた。末期には、ラッシャー板前がパンツ一丁で段ボール製の戦車ボディーを身に纏った「歩く戦車ラッシャー号」として、攻撃軍に立ち向かったこともある(攻撃を受けると、ヘルメットにつけられた花火が爆発する)。子供大会などではカートのデザインが攻撃軍スズメバチ型、たけし軍カブトムシ型などに変更された。たけし軍団用の戦車の的は攻撃軍用より若干後ろの位置に設置されていた。カート戦の模様は上空からの中継だけでなく車載カメラでも撮影されており、この映像も要所で挿入されて最後の戦いを盛り上げた。初期の谷隊長はただ見守ったりアドバイスを送るのみだったが、挑戦者が少ない時はカートに参戦することもあった。第88回でのリニューアル後、銃は光線銃に変更され、谷隊長も毎回カートに参戦するようになった。水鉄砲に比べ運の要素や攻撃の差があまり出なくなったこともあって、100万円獲得者が出やすくなり、攻撃軍の通算8勝のうち6勝は光線銃戦での勝利である。カート戦に決着がつくと同時に、勝者サイドを称えるが如く、たけし城に花火が上がる(BGMは、攻撃軍敗戦の場合はCMジングルと同一の曲、勝利の場合はテーマBGMの一部分をアレンジしたファンファーレ)。攻撃軍敗戦の場合、敗戦の弁を残し逃げ去る谷隊長の姿と、城壁の上に勢揃いし勝ち誇った末にたけし(たけし不在時は家老)を中心に雄たけびを上げるたけし軍の姿、続けて出場者・スタッフロールとともに挑戦者の敢闘シーンを放送。攻撃軍勝利の場合、たけし戦車の的を射抜いた出場者に谷隊長から賞金100万円が授与され、カート戦まで進出した他の出場者とともに雄たけびを上げ、挑戦者の敢闘シーンに接続する。どちらの場合も挑戦者募集告知テロップが挿入されていた(宛先は「風雲たけし城『たけちゃんと遊ぼう!』係」と表示)。ナレーターによる締めの文句は基本的に「参加してくれたすべての人々に、ありがとう」。たけし不在の時期にアトラクション冒頭でたけし軍団が着ぐるみなどの扮装でゲームに挑戦するコーナーが挿入された。1988年(第88回)の番組リニューアル後は、緑山スタジオまたはスタジオセットでたけし軍団が罰ゲームに近いゲームに挑戦したり、城主と家老があの手この手で谷隊長を倒そうとするが必ず失敗するパターンのコント、時代劇や映画、サスペンスドラマのパロディコントなどのコントコーナーが導入された。珍プレー好プレーなどを見せた挑戦者には「敢闘賞」として賞金10万円(学生大会では奨学金5万円)が贈られた。女性が腹などの素肌を見せてしまうなどした場合、慰労的な意味で贈られたこともある。あまりに恥ずかしい姿を見せた挑戦者の場合、名目が「恥の上塗り賞」となったこともある。複数回敢闘賞を受賞した者、大活躍して特別敢闘賞11万円と割り増しで贈られた者も存在する。ゲーム別ではジブラルタル海峡での受賞者が多く、カート戦で攻撃軍が敗れた場合も、最も活躍したりたけしを追い詰めた挑戦者には敢闘賞が出る事が多かった。第73回、第100回では、これら敢闘賞受賞者が集結して難関に挑戦した。日本から世界各国に番組自体が輸出されて放送されたり、番組のフォーマットが輸出され現地版が作られたりした。各国での「たけし城」の人気は高く、これまでに159カ国・地域で放送されている。特にアメリカのテレビ局「Spike」では、「スタートレック」や「」に並ぶ看板番組として定着しており、ビル・クリントン元米国大統領やヒラリー・クリントン米国務長官も度々番組のファンを公言しているという(ただし、後述の通り米国版は現地用に再編集されている点を留意しなければならない)。1987年10月4日から1988年5月29日までの約8か月間、TBS(関東ローカル)にて日曜10:30からの1時間枠で放送されていた、本番組の姉妹番組である。本編とは異なりスタジオでの収録がメイン。司会はそのまんま東が務め、たけし軍団および稲川淳二がレギュラー出演(ビートたけしはビデオ出演のみ。谷隼人はゲストとして出演したことがある)。その週の本編の名場面・再編集版や新ゲームの募集企画、以前本編で展開されていたチャレンジコーナーが引き継がれた(ちなみに失敗した軍団メンバーのうち、たけしや稲川に選ばれた1人が、その場で「おしおき地獄」という週替わりの罰ゲームを受けた)。原則として関東ローカル番組だが、北海道放送、テレビユー福島では同時ネットで放送されていた。一部系列局でも番販で時差ネットされていた。毎日放送の土曜日正午、青森テレビの日曜日16時など。系列局外ではフジテレビ系列の秋田テレビで土曜16時30分に、山形テレビ(現テレビ朝日系列)で日曜15時に放送されていた。なお、秋田県や山形県には当時TBS系列の放送局が無かったため、本家の『風雲!たけし城』が放送されず「号外版」の方のみが放送されるという特殊な放送形態となっていた。
出典:wikipedia
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