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興浜北線

興浜北線(こうひんほくせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道枝幸郡浜頓別町の浜頓別駅で天北線から分岐し、オホーツク海沿岸を南下し、枝幸郡枝幸町の北見枝幸駅に至る路線であった。1980年の国鉄再建法施行を受けて第1次特定地方交通線に指定され、1985年7月1日に全線が廃止された。改正鉄道敷設法別表第145号に規定する予定線の一部で、本来は興浜南線と結んで興部 - 浜頓別間のオホーツク海沿岸を縦貫する鉄道(興浜線)の一部となる計画であった。1936年に北見枝幸までが開業したが、太平洋戦争末期の1944年には不要不急線として全線が休止、全線路が撤去された(樺太の鉄道用に利用される予定であったが輸送前に終戦を迎えた)。終戦の翌9月には枝幸村から政府への復旧陳情が行われるとすぐに許可が下り、全道から工事作業者を募集して2ヶ月で復活させた。両線間の未成区間の一部で建設工事も行われていたが、沿線の開拓計画の頓挫などから建設は進まなかった。結局接続する予定であった興浜南線と共に第1次特定地方交通線に指定され、両線とも、1985年7月に全線廃止(当線の廃止は、興浜南線の廃止より2週間早く断行された)。一部で完成していた、未成区間の路盤等も放棄された。更に、両線が接続していた天北線と名寄本線も特定地方交通線(第2次)に指定され、JR北海道に承継された後の1989年5月に全線廃止となっている。また、北見枝幸では、宗谷本線美深駅を起点とする美幸線が接続する計画であった。だが、開業済みの仁宇布駅から先で一部路盤やスノーシェッドなどの工事が行われるも、美幸線自体が「日本一の赤字線」となるほど経営環境は悪かった。結局北見枝幸までの全線開通は叶わず、美幸線も当線と同様に第1次特定地方交通線に指定され、1985年9月17日に廃止された。廃止協議の過程で、北見枝幸 - 雄武を完成させ接続する天北線や名寄本線、湧網線などと一体化させた「オホーツク縦貫鉄道構想」も立案されたが、開業しても毎年数億円単位の赤字が発生することが判明し、結局断念されている。接続路線の事業者名・駅の所在地は廃止時点のもの。全駅北海道に所在。※仮乗降場には営業キロが設定されていなかった。括弧内に実キロを記す。

出典:wikipedia

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