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宮崎放送

株式会社 宮崎放送(みやざきほうそう、"Miyazaki Broadcasting Co., Ltd.")は、宮崎県を放送対象地域とした中波放送(AM放送)事業とテレビジョン放送事業を行っている、特定地上基幹放送事業者である。略称はMRT(Miyazaki Radio & Television)。1954年(昭和29年)7月に、宮崎県最初の民放として開局した。ラジオ(コールサイン:JONF)は、JRN系列とNRNのクロスネット局。テレビ(コールサイン:JONF-TV,JONF-DTV)は、JNN系列。宮崎県内を対象として放送事業(テレビ・ラジオ放送)を行っている。親局(送信所)はラジオが936kHz、テレビが15ch(リモコンキーID:6ch)で送信しており、宮崎県外でも視聴・聴取が可能である。社屋(演奏所)は宮崎市の中心市街地にある橘通りにあり、関連施設として社屋内にテナントビルの『MRT micc』が、隣接して有料駐車場の『MRTパーキング』がある。これらを総称して『MRTセンター』または『MRT会館』と呼ぶ。主な自社制作番組枠として1984年から開始した10時台(JST、以下同様)のローカルワイド番組(2014年7月2日以降は『モーニングてらす』)と、1974年10月に開始した18時台の報道番組(2010年3月29日以降は『MRTニュース Next』)がある。毎日新聞や朝日新聞とは、1970年に開局したテレビ宮崎(UMK)と比較して関係が深い。地元紙の宮崎日日新聞とも開局時には関係が深かったものの、UMKの開局の際に「マスメディア集中排除原則に反することとなった」ことを理由として同紙はUMKとの関係を強めるようになった。局ロゴとして2006年8月から2014年6月まで、波を基調とした赤いロゴマークを使用している。ただし、1984年の開局30周年を機に改定されたローマン体のロゴも状況に応じて使っていた。1984年までは細長いゴシック体が(末期はMが青、Rが赤、Tが緑だった)使用されていた。また、2006年から開局以来はじめてシンボルキャラクターを制定し、「ミーモ」「くーたん」「ぴよ蔵」の3体がお披露目された。2014年7月1日から、黄緑を基調に小文字で「mrt」表記の新しいロゴマークが制定された。同時に「宮崎放送」の和文ロゴも改定された。宮崎本社〒880-8639 宮崎県宮崎市橘通西4丁目6-7JR日豊本線宮崎駅より徒歩15分東京支社東京都中央区銀座6丁目4-1 東海堂銀座ビル8階大阪支社大阪府大阪市北区梅田1丁目11番4-800号 大阪駅前第4ビル8階福岡支社福岡県福岡市天神4丁目1-18 サンビル都城支社宮崎県都城市中町13街区7号-201延岡支社宮崎県延岡市中町2-1-10 マバラビル3F企業・団体は当時の名称。1953年5月30日、当時の郵政省が発表した「標準放送周波数割当計画表」により、宮崎地区に1490kc、1kWが割り当てられたことから、宮崎県内でも民放局の開局が可能となった。ところが当時は、朝鮮戦争後の不景気(スターリン暴落)により、宮崎の財界では当初開局に向けた動きは全く見られなかった。そこに目をつけたのは鹿児島県のラジオ南日本(現在の南日本放送)であった。ラジオ南日本は宮崎に中継局設置を計画しており、用意は周到であったという。この動きに歯止めをかけた人物は、日向日日新聞(現在の宮崎日日新聞)社長であった。「鹿児島の電波が宮崎の空を飛ぶと、今に鹿児島資本に支配される。」などと、ラジオ南日本の誘いに乗りかけていた岩切章太郎(宮崎交通社長)や行政側(宮崎県など)をも巻き込み、1954年3月24日にラジオ宮崎(RMK)の設立にこぎつけた。3か月に及ぶ試験放送を経て、1954年7月1日に宮崎市下北方町(宮崎市立大宮小学校に隣接)からラジオ放送を開始。MRTではこの日を開局日としている。1960年10月1日にはテレビ放送を開始。テレビ放送の送信所は当初宮崎市北部の丘陵地、平和台に設ける予定であったが、中継局を大量に設置する必要があったため鰐塚山に変更された。この変更で親局のみで宮崎県内の7割以上をカバーするに至ったが、鹿児島県側にもスピルオーバーが発生し、鹿児島県の放送局にも影響を及ぼすことになった。特に大隅半島では容易に視聴できたため、南日本放送は自社の視聴者確保のために急遽鹿屋中継局(同局初の中継局)の設置計画を立てることとなった。これはラジオ開局時と逆の状況といえる。1961年7月には社名と略称を現在の宮崎放送(MRT)に変更。1966年12月10日にカラー放送を開始した。1984年9月の開局30年を機に、本社機能を宮崎市中心部の橘通りに移転し、"MRT micc"とMRTパーキングを開業。1987年7月には、初代社屋隣にあったラジオ送信所も宮崎市一ツ葉に移転し、下北方町にあった初代社屋跡は住宅地となった。1990年8月29日には音声多重放送とクリアビジョンを、2006年12月には地上デジタル放送とワンセグの本放送を開始した。2007年には関連企業のデンサン運営の下でポータルサイト「miten」(ミテン)を開設。MRTの各番組との連動コンテンツや動画なども用意されている。2008年からはキープみやざきビューティフルを発展させたAction みやざき エコライフキャンペーンをラジオ・テレビ双方で展開し、これに関連して2008年7月26日に宮崎県・都城市と「企業の森林づくり」事業の協定を締結した。MRTでは2008年からの10年間に渡り、都城市関之尾町にあるミーモの森を整備していく。以下の書籍以外にも数冊発行している。ラジオの放送時間は、毎朝4時基点の24時間放送で、毎週月曜未明0時(日曜24時)から4時まで休止。単位などは現行表記とした。1978年11月23日の周波数変更は、ITU(国際電気通信連合)の取り決めにより、9kHz間隔へ移行のため。現在のコールサイン、周波数告知担当は全て伊賀透浩アナウンサー。過去には上岡信夫アナウンサー、川野武文アナウンサー(いずれも当時)が担当していた。かつては放送開始アナウンスの前に「ひえつき節」を、放送終了アナウンスの後に「刈干切唄」を、それぞれ流していたことがある(ともにインストゥルメンタル)。70年代からは望月衛介の 「Heart Of Mine」がオープニング、「Timeless Time」がエンディングに流れていたこともあった。現在の選曲に変わった時期は不明。一般番組はTBS系列の番組を主体とするが、テレビ宮崎(UMK)はフジテレビ系列主体で日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局のため、テレビ宮崎(UMK)で放送されない日本テレビ系列・テレビ朝日系列の番組、さらに宮崎県内に系列局がないテレビ東京系列の番組も深夜・週末を中心に放送される。また、テレビ朝日系列の全国高校野球選手権大会中継(決勝戦)も本局で放送し、日本テレビ系列局主催の全国高等学校サッカー選手権大会も本局が参加している。送信所が海抜1000mを超える鰐塚山にあるため、アナログ放送は隣県鹿児島県の鹿児島市内や種子島まで電波が届いた。また、県北部の延岡局の電波は、海を挟んだ高知県の土佐清水市、大月町にも届く。高知新聞朝刊の第2テレビ面には番組表が掲載されている。また産経新聞の高知県向けテレビ欄にも番組表を載せている。九州の放送局では唯一、リモコンキーIDとしてキー局のTBSと同じ「6」を使用している。2011年7月24日停波時点※太字は字幕放送。☆印:番組自体は継続中ほか多数ほか多数ほかほか多数現在は開局記念CMはカットされている。MRTは放送対象地域外(宮崎県外)でも視聴・聴取することもできる。MRT側でも2007年7月期のラジオタイムテーブルで高知県の南西部、熊本県の球磨地方、大分県の南部、鹿児島県の大隅半島全域をサービスエリアとしている。しかし、資料により公式のサービスエリアが異なることがある。鹿児島県を例にすると、テレビ開局時(1960年10月)の日向日日新聞(現在の宮崎日日新聞)に掲載された特集ではテレビの県外受信地域は鹿児島県の大隅半島および鹿児島湾沿岸地域となっていたが、『宮崎放送三十年史』などではその中から鹿児島湾沿岸が省かれ、西端が鹿屋市付近に狭められていた。更に『MRT宮崎放送50年史』ではほぼ県境に沿ったエリアに狭められた。ただし、鹿児島県内でも広く受信可能な地域が存在することは事実であり、上述のとおり鰐塚山にテレビの親局を置いたことが鹿児島県の南日本放送(MBC)が鹿屋中継局を設置したきっかけとなった。1972年3月に志布志湾の新大隅開発計画に関する報道特集を放送した際には、鹿児島県内の関係者でも話題となり放送時間の問い合わせがあったという。MRTのマスコットキャラクターにはミーモ、く〜たん、ぴよ蔵(ぴよぞう)がいる。2006年に初登場し、テレビ局のマスコットキャラクターとしては珍しく、登場当初から複数体用意されている。3体とも登場することもあるが、ミーモ単独で登場することもある。

出典:wikipedia

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