連邦捜査局(れんぽうそうさきょく、)はアメリカ合衆国司法省配下の法執行機関。連邦法に関する事案の捜査を任務としている。逮捕権のみで起訴権をもたず主にアメリカ国内で捜査を行う。具体的には、テロ・スパイなど国家の安全保障に係る公安事件、連邦政府の汚職に係る事件、複数の州に渡る広域事件、銀行強盗など莫大な被害額の強盗事件などの捜査を担当する。さらに、誘拐の疑いのある失踪事案では、事案認知から24時間を経過すると、広域事件として自治体警察からFBIに捜査主体が移される。本部はワシントンD.C.ペンシルベニア通り935番北西(ジョン・エドガー・フーヴァービルディング)に位置する。ワシントンD.C.のポトマック川対岸にあたるバージニア州北部にクワンティコ本部が置かれている。エドガーフーヴァー・ビルは行政部門の中心であり、クワンティコ本部が捜査部門の中心となる。2007年7月3日現在、FBI の職員総数は30646人で、内訳は捜査官が12444人(FBIバッジを交付され令状を執行する)、技官18202人(言語、科学、情報通信などの分析官)で構成されている。職員は全員が連邦公務員である。特別捜査官(Special Agent)はFBIアカデミーを卒業した新任の捜査官に与えられる役職名であり、特別捜査官以上の役職には、支局長(Senior Resident Agent)、管理官(Supervisory Special Agent)、主任捜査官(Special Agent in Charge)などがある。大学卒業後、3年以上の社会勤務経験者がFBIに入局するというのが大半だが、警察出身者や軍出身者も多い。世界60か国以上の米国大使館にはFBI駐在官 () が常駐している。東京の駐日アメリカ大使館には駐在官が3班体制で常駐している。新任の特別捜査官で本部勤務の場合、年次基本給は43441ドルである。Gメンと通称されるが、これは1933年にギャングのマシンガン・ケリーを武装した捜査官達が包囲した際、ケリーが銃を向けられ「撃つなっ、Gメン! 撃つなっ!」と叫んだとされることに由来する(実際にはケリーはメンフィスの警察に逮捕された)。この時捜査官達は、自分達がこのあだ名で呼ばれていることを初めて知ったという。1984年、対テロ作戦部隊として人質対応部隊(HRT)が創設された。またこのほか、各地方支分部局にもSWATチームが配置されていた。1994年には、刑事・サイバー対策部のもとに重大事件対応群()が設置され、HRTや各地方支分部局のSWATチーム、更に交渉人チームは、その戦術作戦課()のもとで統合運用されるようになった。2010年3月4日、FBI長官ロバート・S・ミュラー3世は、サンフランシスコで開かれたRSAサイバー・セキュリティ会議 () に出席し、FBIに以下のサイバー対策部隊があることを明らかにした。また、FBI長官は、この会議において、「現在のところ、テロリストは、インターネットを使って全面的なサイバー攻撃を行っていない。しかし、彼らは、多数のDoS攻撃を行っている」と語った。建国直後からの、大統領直属の連邦保安官とは別に1908年7月26日、セオドア・ルーズベルト政権当時に、財務省の秘密捜査部から独立して数人の規模で、BOI( : 捜査局)が司法省内に設立された。ちなみに当時の司法長官チャールズ・ジョセフ・ボナパルトはナポレオン・ボナパルトの末弟の孫にあたる人物。当時は身分章バッジもなく、制定され支給されたのは1915年のことである。また武装も許可がなくてできなかった。職員の綱紀も悪かった。1933年8月10日、DOI(:捜査部)に改名。現在のFBIに改名したのは1935年7月1日である。1924年5月10日にジョン・エドガー・フーヴァーが29歳の若さで長官となり、綱紀の粛正を徹底。以後48年間に渡り、ギャング狩り(1930年代)、スパイ摘発(第二次世界大戦中)、政治活動家の調査(冷戦期以降におけるマッカーシズムによる、いわゆる“赤狩り”)など、時代の要請に応じて様々な活動を指揮した。ワシントンD.C.にある本部の建物は彼の名にちなんでJ・エドガー・フーヴァー・ビルと名付けられている(内務の人間関係の複雑さから別名“パズル・パレス”とも揶揄される)。1971年3月8日、FBI支局から違法な監視活動をしるした記録書類が盗み出された。その後報道機関によって公表されその活動が批判を受けた。よくある誤解としては、アル・カポネと闘ったエリオット・ネスと FBI は何の関係もない。ネスは酒類取締局(BOP。現アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)の捜査官で、兄がジョンソン連邦地方検事に頼んで、独立した捜査権限をもらった。歴代のFBI長官:FBIアカデミー(FBI Academy)は、米国バージニア州クアンティコに位置するFBI所管の法執行機関研修施設(Law enforcement training facilities)。1935年にPolice Training Schoolとして設立され(これは現在のプログラムである)、現在の組織はそれを拡張的に改組して1972年に設立された。一般公開はされていない。政府系教育施設の中では小規模なものであり、3つの寄宿舎と、関連施設が存在する。施設では年に4回の入所者を受入れ、10週間かけて250名を訓練する。訓練中は給与が支払われる。敷地面積は385エーカー(1.6平方km)であり、クアンティコ海軍基地の敷地の一部を借用して運営されている。
出典:wikipedia
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