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桂文枝 (6代目)

六代 桂 文枝(ろくだい かつら ぶんし、1943年7月16日 - )は、日本の落語家、タレント、司会者、社団法人上方落語協会会長。上方落語の名跡『桂文枝』の当代で、前名は桂 三枝(かつら さんし)。本名は河村 静也(かわむら しずや)。吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。師匠は桂小文枝(後の5代目桂文枝)。一般的に上方落語の世界では、単に「六代目」と言えば専ら6代目笑福亭松鶴を指すため「六代 桂 文枝」としている。現在、同一司会者によるトーク番組の最長放送世界記録保持者として、記録更新中である。堺市(現・東区)北野田に生まれ、5歳のころに大阪市大正区・港区のあたりに引っ越した。現在は大阪府池田市在住。出囃子は三枝時代『おそ付け』『喜撰くずし』から『軒すだれ』(師匠である先代文枝が小文枝時代に使用したのを継承)を使用。6代文枝襲名に際して『本調子・中の舞』(5代目柳家小さんが使用していた曲)に替えた。定番ギャグは「いらっしゃーい!」。大阪市立北恩加島小学校、大阪市立市岡中学校、大阪市立市岡商業高等学校卒業、中学では西川きよしの姉と同級生で、高校ではレツゴー正児と2代目桂春蝶の下級生で、当時から付き合いがあった。同高卒業後、関西大学商学部部商学科に進学したが中退している。吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)のほか、個人事務所として三友事務所(自らの個人事務所)に籍を置いている。上記の肩書きのほか、財団法人いけだ市民文化振興財団名誉理事、一般社団法人OSAKAあかるクラブキャプテン。函館大学商学部・関西大学文学部で客員教授を務める。また淡路島の名誉大使も務める。2012年に桂文枝を襲名するまで長く「桂三枝」で活動し、弟子や吉本の後輩芸人からは「三枝師匠」と呼ばれ、愛称は「サニー」「さんちゃん」であった(「さんちゃん」については、後輩である明石家さんまの愛称となり、そちらの方が一般的な認識となった)。2015年7月2日、『新婚さんいらっしゃい!』が「同一司会者によるトーク番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定された。西川きよし、笑福亭仁鶴と並び、吉本興業の三巨頭と称されている。「いらっしゃーい!」「オヨヨ」「しっかりと!」などのギャグが有名である。「オヨヨ」については、小林信彦から自著『オヨヨ』シリーズからの盗用であると抗議され、使用をやめた上で謝罪することとなった(オヨヨ騒動)。しかし、三枝の「オヨヨ」は、俳優大河内傳次郎の物まねから派生したものであり、小林の主張は誤解であった。関西大学では一時期、卓球部に在籍した。その後、関西大学落語研究会「落語大学」の創設直後に、勧誘(当時商学部2年)を受けて加入した。タレントとして早くから頭角を現す一方で、本業の落語の評価は高くなかった。三遊亭圓丈の新作落語にヒントを得て、古典ではなく新作にウェイトを置くようになると、こちらでの評価は急上昇していった。立川談志は「ただの若手の人気者だと思っていたが、新作落語で奥義を極めた」と評している。これは古典をほとんどやっていない早い時期に、司会者やタレントで人気が出始めたため、師匠にしっかり稽古を付けてもらえなかったこと、本来の上方落語の世界に出てくる大阪言葉に馴染めなかったことなどが理由とされている。なお、この自作については、後世に語り継がれることを前提としているため、「新作落語」(古典落語の対語)とは呼ばせず、敢えて「創作落語」と呼ぶ(また、新作落語はおおむね、時期が過ぎたらそのネタを「捨て」ざるを得なくなる運命にあり、それに反発したことにもよる)。テレビ番組でおなじみの「さわってさわってナンでしょう(箱の中身はなんだろな)」や「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」などは、三枝が考案した。子供の頃から、オリジナルのゲームや遊びを考案するのが好きで、それが三枝の関係するクイズ番組などに活かされている。また、この持ち前の発想力が、創作落語を作る際の原動力となっている。多くの芸人(特に吉本の後輩)からものまねされている(大平サブロー、明石家さんま、松本人志など)。また、関根勤や東野幸治のかつての芸名「ラビット関根」や「バッテリー幸治」(フジテレビ系『明石家マンション物語』の番組内のみで使用)、池乃めだか、セーラーズの名付け親でもある。ほかにも『ヤングおー!おー!』に出ていたころ共演していた後輩に名前を付けている(オール阪神・巨人は「マネマネゴンスケ・マンスケ」、萩原芳樹には「ダッシュとんぺー」)。思い出の好きな食べ物はうなぎを使った料理の半助鍋(関西テレビ『よ〜いドン!』での紹介)、嫌いな食べ物は茄子の浅漬け(フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」で判明)。落語界きっての多趣味で、かつては芸能人仲間でボウリング部を立ち上げたこともあった。文枝襲名後はブログをほぼ毎日更新している。趣味はウクレレ、絵を描く事である。また加山雄三のファンであり、影響で船舶の免許を取得している。なお、自動車の運転免許は持っていない。2010年8月頃、大阪の杉村商店にてリカンベントのパフォーマーを購入、淀川の河川敷などをよく走っている。また坂本龍馬のファンであり、よくブログに話題の投稿が多い。また福原愛とテレビ共演がきっかけで卓球もする。河村家の先祖は武家の出で菩提寺は岐阜県本巣市文殊(旧: 本巣郡文殊村文殊)の善永寺にある。祖父・靜衛は日露戦争の奉天会戦に兵卒として参加し、除隊後にその功績で得た金鵄勲章の年金を元手に大阪で薬問屋を開業。生後11か月で、野村銀行(現: りそな銀行)の銀行マンであった父・清三は戦地に赴く前に陸軍病院(現在の大手前病院)にて肺結核で死去(遺骨は長らく旧真田山陸軍墓地に保管されていた)。彼の母はその後、息子を引き渡して離縁するようにという河村家の話を拒否して出奔し、大正区に隠れ住む。1950年のジェーン台風と、翌1951年の火事で、大正区・港区在住時代の自宅が全損したため、幼い頃の写真は数えるほどしか残っていない。関西大学夜間部時代には、3代目桂米朝落語を聴いたことで興味を持ち、創設間もない1964年の落研(通称落語大学)に一期生として入部(同期には浪漫亭呂蘭こと、元政治家の林省之介がいる)、ロマンチックをもじった「浪漫亭ちっく」の芸名で、アマチュア落語家として、ABCラジオの「漫才教室」に出演するなどで、大阪では早くも名の知れた存在になった。当時から自ら「ひとりぼっちでいるときのあなたにロマンチックな明かりを灯す… 便所場の電球みたいな」のキャッチフレーズを考えるなど創作力があった。関西大学夜間部在学中の1966年に、早稲田大学の落語研究会にいた都家西北が6代目三遊亭圓生に弟子入りする話を聞いて、自身も落語家になることを夢見る。ある日、番組出演などで知り合った藤井康民(当時松竹芸能文芸部員。後のケーエープロダクション社長)に桂小文枝の弟子になりたいことを打ち明ける。たまたま同じ場所に居合わせた高校先輩の2代目桂春蝶に「これから小文枝師匠とこ稽古行くさかい、ついて来るか? どうや?」と言われて同道し、弟子入り志願をする。「大学出は嫌や」と小文枝から断られたが、藤井がすべて責任を持つという形で弟子入りが許される。その時、母には「建設会社の人事課長」と偽って紹介するなど、入門までには紆余曲折があった。正式な入門は同年12月1日で、道頓堀角座で初舞台を踏み、吉本では同月に京都花月で初舞台を踏む。1967年、MBSラジオの深夜放送『歌え! MBSヤングタウン』に出演。一躍大人気となる。その後は、テレビのバラエティ番組『ヤングおー!おー!』、『パンチDEデート』、『新婚さんいらっしゃい!』などの司会を務め、全国区の人気者となった。1980年代はクイズ番組やトーク番組の司会等で活躍。超売れっ子でもあった。また、小文枝一門の中でもテレビ露出が最も多かった弟子でもある。1990年代前半までは、長者番付関西芸能人ランキング首位を保ちつづけた。21世紀になってからはダウンタウンなど後進の台頭に加え、上沼恵美子ややしきたかじんがテレビ司会者として活躍するなど、お笑い界や上方芸能界の変化もあって、テレビタレントとしては全盛期の頃の勢いはやや落ち着いたものとなり、その後は落語家としての活動を中心に据えるようになった。ラジオ大阪の深夜放送『ヒットでヒット バチョンといこう!』(日曜日)で舌足らずの甘えた声で三枝の担当日のアシスタントを務めて共演したタレントの高橋真由美と、番組終了後に結婚し1男1女の父。テレビ番組で、挙式した時の写真を披露したことがある。長男は三友事務所の社員である。21世紀になってからはテレビ出演を抑え、本業の寄席(NGKの出番など)、独演会(2000年3月からは「桂三枝の創作落語125撰」)や上方落語協会会長としての業務に注力している。2006年元旦に、『笑点』の新春特番『大笑点』に、『ヤングおー!おー!』時代の共演者である月亭八方らを引き連れて出演。その際、笑点メンバーからは「会長」と呼ばれていた。1995年の参議院議員選挙に出馬を決意。記者会見まで開いたが、告示直前に事務所と家族が反対。断念したことがある。2009年1月1日、『産経新聞』が12月31日の関係者情報として“時期は未定だが桂派の由緒ある名跡で師匠の名「6代目桂文枝」の襲名が予定されている”と報じたが、その時点では否定していた。2011年7月11日、師匠の名を継いで「六代 桂文枝」を襲名することを正式に発表。なお、タレントや落語作家としては今後も「桂三枝」名義を使用する意向を打ち出していたが、後に考えを改め、「桂三枝」名義では活動しないことにした。このため、「新婚さん」も、2012年7月15日の放送で、三枝の名前では最後の出演となった。2012年5月に『日本経済新聞』に「私の履歴書」を執筆する。2012年7月16日、自らの69歳の誕生日に六代 桂文枝を正式に襲名し、当日のなんばグランド花月(大阪府大阪市中央区)で襲名披露公演を行った。同年7月22日放送分より、「新婚さん」の出演名義も「桂文枝」に改名した。落語の弟子の芸名には、自らの前名である「三枝」にちなみ、「三○」という風に「三」がついている。また、落語以外での弟子(通称「維新塾」)としては、フジテレビの『タモリのボキャブラ天国』に出演していた漫談の幹てつや、吉本新喜劇に所属している中條健一、漫才師かつみ・さゆりのさゆり、ラジオDJのDJ JIRO(高杉'Jay'二郎)らがいる。中條は、大学も所属サークルも三枝の後輩であり(関西大学落語研究会『落語大学』)、大学時代の芸名は「浪漫亭呂澪(ロミオ:「ロミオとジュリエット」より)」であった。1974年頃、2代目快楽亭ブラックが立川談志に最初の破門を出された際(その後、談志一門に復帰したが、2006年現在は2度目の破門中)、一時だが三枝門下となっている(ジョニー三ノ介・桂三ノ介・桂サンQ(サンキュー))。談志はこの件で三枝に感謝していたとされる。他、2012年7月現在で220以上の創作を残す。また前座時代に高座にかけた古典落語はなど多数あり。ほかに桂文紅の作った新作落語に「テレビ葬式」がある。

出典:wikipedia

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