ロシアの声(ロシアのこえ、 、、略称:VOR)は、ロシア連邦にある(全ロシア国営テレビ・ラジオ放送会社)系列の国外放送(国際放送)。ソビエト連邦崩壊後の1994年に現在の名称に変更され、それまではモスクワ放送(英語ではRadio Moscow)と呼ばれていた。2014年11月11日、スプートニクが運営する「ラジオ・スプートニク」に引き継がれた。当初は、ソビエト社会主義共和国連邦テレビラジオ放送委員会の海外向け放送として、ドイツ語放送を開始したのが始まりである。ソビエト社会主義共和国連邦共産党機関紙「プラウダ」からの報道を中心に放送していた。その後、大出力の送信設備が各地に建設され、英語とロシア語による「ワールドサービス」は短波の周波数帯を問わず聴取ができた。ソ連崩壊後、ソ連テレビラジオ放送委員会(通称:ゴステレ)の解体から一時公社化。現在は完全国営企業体であるが「公社」ではなく株式を発行する「国営会社」であり、32ヶ国語による放送を行う。24時間旧ソ連諸国向けのロシア語放送を実施。2015年3月20日現在日本語放送は1942年4月14日に開始。ドイツ語放送と同様、戦時中の対日宣伝が目的であった。番組は当初、モスクワで制作・放送されていた。やがてハバロフスクにもスタジオを設置。モスクワからの放送と併せ2箇所で番組制作・発信が行われていた。日本語放送でも夜間6時間以上の長時間放送を実施。ハバロフスク・ウラジオストク・ユジノサハリンスク等の極東ロシアからの中波放送(AM)は日本全国に良好に届いていた。かつての中波1251kHzによる放送は、出力が1MW(=1000kW)と強力だったため、隣接しているニッポン放送(1242kHz)のエリア内である関東地方でも混信を起こしていた。更に同じ1251kHzで放送を行っていた極東放送に至ってはこの混信に悩まされた挙句中波の免許を返上、エフエム沖縄に社名変更して超短波放送(FM)局としての再出発を余儀なくされた。2003年10月から再び、モスクワ制作の番組が主になっているがハバロフスクにもスタッフが残っており、月に40分程度の番組を制作し、モスクワ経由で放送していた。しかし日本語スタッフの退社により2010年9月でハバロフスクからの放送が終了となった。1938年1月3日に南樺太からソ連に越境した日本の女優、岡田嘉子が戦後にアナウンサーを務めていた。2007年4月14日と15日の両日、日本語放送放送開始65周年記念番組を放送。現在では短波のほか、インターネットによる聴取も可能である。放送のスタンスとしては、ロシアの国営放送であるため、政治・外交に属する問題に関しては、同国のスポークスマン的な伝え方となる。例えば、北方領土付近で時折発生する、拿捕事件などは、殆どの場合ロシア側の公式コメントしか伝えない。なお番組製作スタッフは、リスナーからの番組のスタンスに関する質問への返答として、ロシアの声日本語版は、基本的にロシア寄りの意見に立って放送していることを番組内でも折に触れコメントしている。尤も、ロシア政府の宣伝的なニュースよりも、概ねロシアの生活様式など文化の紹介が中心であり、かつての冷戦時代のような、露骨なプロパガンダは影を潜めている。ニュースとその解説番組「ラジオジャーナル『今日の話題』」(日曜のみ「週間ラジオ展望」)を毎時間放送する。その後の番組は日替わりである。ニュースの前にはその日のモスクワの天気・気温・対ドルルーブルとの交換レートの紹介がある。(22時台では時間的に余裕があるときはモスクワ以外の主要都市の天気・気温が放送される場合がある)平日のニュースは2名のアナウンサーが担当する。ソ連時代は住所は秘密であったが、後にハバロフスク市レーニン通り4番地と明らかになった。日本語、中国語、朝鮮語で極東地域の情報を含めた番組制作を行っていた。2003年10月に日本語課、中国語課、朝鮮語課が通信員課に縮小される。長時間放送が実施されていた時代は、前半の数時間(21時まで)をハバロフスク発で全編放送したことがあった。2010年にシベリア銀河ステーションの放送が終了したのに伴い、ハバロフスクからの生放送は現在廃止されている。
出典:wikipedia
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