全国七大学総合体育大会(ぜんこくななだいがくそうごうたいいくたいかい、)は、かつて帝国大学であった9大学のうち、日本国内(内地)で新制大学に受け継がれた国立大学7校が合同で開催している体育大会である。七帝戦(ななていせん、しちていせん)または七大戦(ななだいせん、しちだいせん)と省略して呼ばれるが、実行委員会は後者の呼称を推奨している。戦後占領期の1947年(昭和22年)に施行された学校教育法により、帝国大学令等に基づく帝国大学のうち、国内7校は国立大学に移行した。それらはであり、これらの大学に所属する運動部が各種目ごとに順位を決め、大学単位で総合順位を競い合う。なお、外地にあったソウル大学校(旧・京城帝国大学)および国立台湾大学(旧・台北帝国大学)は参加していない。1962年(昭和37年)に「国立七大学総合体育大会」として北海道大学の主催で始まった。1946年(昭和21年)から日本各地で巡回開催されるようになった国民体育大会等により各地に体育施設が整い始めた高度経済成長期には、1959年(昭和34年)5月26日に東京オリンピック(1964年)の開催が決定し、1961年(昭和36年)に「レジャー」が流行語になってレジャーブームが始まり、同年10月1日に実施された国鉄ダイヤ改正(サンロクトオ)により全国的な特急列車網が形成された。とは言え、国体のような参加者の移動・宿泊費用に公的補助がある大会とは違い、九州大がある福岡市・博多駅から寝台列車で東京駅まで行き、再び長距離列車と青函連絡船を乗り継いで北海道大がある札幌市・札幌駅まで行くとなると、参加者には相当の時間と費用がかかった。その後、新幹線の発達、高速道路網の発達に伴う高速バスの発達、学生のマイカー所有、長距離フェリー航路の発達、航空路線の低廉化などにより、参加学生の負担は体力的にも軽減された。開催地・主管校は毎年七大学の所在地を持ち回りで行われる。順番は北海道大→九州大→大阪大→京都大→東京大→東北大→名古屋大→…で始まったが、東大紛争(1968年 - 1969年)後に東京大と東北大の順番が入れ替わった。ただし、21世紀最初の第40回(2001年)大会は東京大が主管し、東北大と東京大の順番が入れ替わった。なお、非主管校が優勝することを「主管破り」と言う。2004年(平成16年)、国立大学の国立大学法人化に伴い、「全国七大学総合体育大会」に改称された。第54回(2015年)終了時点で
出典:wikipedia
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