小林 節(こばやし せつ、1949年3月27日 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は憲法学。慶應義塾大学名誉教授。東京都出身。2016年5月9日に設立された政治団体・国民怒りの声代表。第24回参議院議員通常選挙に自らを筆頭に候補者を全国比例代表に10人、東京選挙区に1人を擁立した。日本公法学会、日米法学会、国際憲法学会、比較憲法学会、全国憲法研究会、国際人権法学会等の学会に所属。1949年3月27日、東京都新宿区生まれ。新宿区立淀橋第七小学校(現・新宿区立柏木小学校)から新宿区立淀橋中学校(現・新宿区立西新宿中学校)を経て、東京都立新宿高等学校に入学。1968年、慶應義塾大学法学部法律学科に入学。大学時代は当時隆盛を極めていた学生運動に背を向け、睡眠1日2時間の生活を4年間貫いて伊東乾のもとで猛勉強を重ね、首席で卒業。1974年から母校・慶應義塾大学に勤務し、1989年法学部教授に就任。2014年3月末で教授を退職し、同年4月から慶應義塾大学名誉教授。2016年1月、「立憲政治を取り戻す国民運動委員会」(民間立憲臨調)を憲法学者・弁護士・市民運動家・俳優・アイドルなど200人と共に立ち上げ事務局担当。2016年4月頃からイタリアの「オリーブの木」に倣った「さくらの木構想」という参院比例区統一名簿案構想を亀井静香などの野党議員と模索した。2016年5月9日、安倍政権打倒や行革、TPP見直しなどを掲げて自身が立ち上げた政治団体「国民怒りの声」から比例代表で参院選出馬を表明するも落選。2016年7月15日、参院選の惨敗を受けて結党からわずか2ヶ月あまりで「国民怒りの声」を「国民の声」に党名を変更し、活動を休止させることを発表。また、自身も政治活動から身を引き、憲法学者に戻ることを明かした。改憲論者(日本国憲法の改正議論の頁も参照)として、サンデープロジェクト、朝まで生テレビ!など多数のテレビ番組に出演している。かつては「1億人を守る戦争で3千人が死ぬのは『コスト』のうち」といった乱暴な議論も行っていたが、日本政府によるイラクやインド洋への自衛隊員の派兵の際の成り行きを見て「こんなインチキな手段で(憲法を)改正されてはいけない」という思いを強くし、また娘が成長するのを見て少しずつ考えを改め、平和であることの意味を深く考えるようになったという。日本国憲法第9条の改正については賛成の立場をとっているが、日本国憲法第96条の改正や憲法内に「愛国の義務」や「家族は助け合わなければならない」というような道徳に関する事柄を明記することについては反対の立場をとっている。また、安倍晋三の解釈改憲については「たいへん危険なこと」であると述べ、安倍政権による憲法改正は実現させてはならないと主張している。自らの改憲論と集団的自衛権に関する立場については、改憲派として知られるようになってから徐々に変化している。2006年11月11日の産経新聞では、「集団的自衛権の解釈は政治の責任で変更できる」としてしていた。2013年7月26日のダイヤモンドオンラインでは、「政府は憲法の立法趣旨に照らして、集団的自衛権を自らの解釈で自制していますが、このままだと日本は、他国に攻められたときに自分たちだけで自衛しなくてはいけません。しかし、『襲われたら同盟国が報復にゆく』というメッセージを打ち出せる集団的自衛権は、他国の侵略を牽制する意味においてもメリットがあります。だから、改めて『日本は集団的自衛権を持っている』と解釈を変更するべきでしょう。」「今の日本は海外派兵を自制しているため、自国が侵略されそうなときは同盟国である米国に助けてもらえる一方、米国が侵略されそうなときは助けに行けない。日米安保条約は片務条約になっています。これまで日本は、九条のおかげで日米安保にただ乗りし、米国の傘下で安心して経済発展に邁進することができた。でも、これだけの大国になった今、それでは済まないでしょう。今後、集団的自衛権を認めれば、日米安保が強化され、日本の領土をより安全に守ることができるようになるはずです。」と述べていた。このことから「小林変節に改名した憲法学者」とも揶揄される。井上達夫は、第2次安倍内閣及び第3次安倍内閣の集団的自衛権の行使容認に反対を表明している憲法学者を批判するなかで、「『豹変』名人の小林さんは無視をするとして」と表現している。2015年6月15日、同じく憲法学者である長谷部恭男とともに臨んだ日本記者クラブでの記者会見において、日本にはどのような国際貢献が可能かと問われた際には「私、ここ二年の議論で真剣に考えて、ちょっと考えが変わりました。集団的自衛権というのは、私の考える憲法改正案でももういらない」と述べ、その上で、自らがより現実的と考える「専守防衛のとじこもり論」について簡潔に述べた。なお、自衛隊(自衛軍)保持の明記を含む小林の改憲論は、複雑な解釈理論によって安全保障と両立されている現在の日本国憲法第9条に代え、自衛隊(自衛軍)の活動の要件についても憲法によって明示的に規定、制限する(具体的には、国益維持擁護に託けた侵略戦争は行わない、外国への派兵は国際連合安全保障理事会決議によってのみ行なう)など、より具体的な記述と禁止規定によって国家権力の暴走を抑制する立憲主義を強めるものである。奥平康弘、樋口陽一、長谷部恭男ら著名な憲法学者をはじめ、人文学関係から理系まで多数の学者の呼びかけによって発足した「立憲デモクラシーの会」に、呼びかけ人の一人として名を連ねている。立憲デモクラシーの会は、立憲主義の危機を訴え、立憲主義を守るために行動することを謳う学者団体であり、第2次安倍内閣及び第3次安倍内閣の集団的自衛権の行使容認等に反対を表明している。2015年6月4日、立憲主義や現行憲法(日本国憲法)制定の経緯などを議題として開かれた衆議院憲法審査会に長谷部恭男、笹田栄司とともに参考人の憲法学者として出席した際にも、2015年の通常国会で審議されている安全保障法案(平和安全法制)の、特に集団的自衛権行使の点について、長谷部・笹田両氏とともに「違憲」と表明した。解釈改憲による集団的自衛権の行使に反対し、立憲主義の擁護を標榜する組織としては、立憲デモクラシーの会の他、「国民安保法制懇」に参加している。なお、国民安保法制懇のメンバーのうち、憲法学者の樋口陽一、長谷部恭男、青井未帆らは、小林と同様に立憲デモクラシー会の呼びかけ人でもある。2008年11月、民間懸賞において「日本は侵略国家ではなかった」と論じた田母神俊雄(元・航空幕僚長)の論文に対して、「あまりにも稚拙な内容であり、(田母神俊雄は)発表の場にも細心の注意を払いつつ、学問的に語るべきである」といった主旨のコメントをしている。宗教団体の政治参加を一部容認しており、会員ではないが創価学会や公明党の機関誌への寄稿も50回以上にのぼる。創価学会系の出版社である第三文明社によって出版された『大学教授になった不登校児』によると小林は池田大作名誉会長のことを、思いを込めて「池田大作博士」と呼び、「男らしい」「大好きだ」と絶賛しているという。また、幸福実現党のマニフェストにも期待を寄せている。日本共産党創立93周年記念講演会にビデオメッセージを寄せ、「憲法擁護とか国民というレベルで考えたらね、共産党がいちばん頼りになります」「いま共産党、頑固な共産党があってくれるおかげで、私などは憲法擁護のたたかいがとてもとてもやりやすい。ですから93年、ほんとに深ーい思いをこめて、おめでとうございます、と言わせていただきます」等と祝意を表している。小林は著名な改憲論者、日本共産党は改憲反対・護憲の立場であり、政策的な違いはあるが、安倍内閣による集団的自衛権の行使容認などに対しては、立憲主義の危機と捉え一致して反対の行動をとっている。その他、2015年、日本共産党が民主党など野党各党との選挙協力及び連立政権を視野に入れた「国民連合政府」構想を立てた際には、それに賛意を表し、志位和夫や小池晃とともに、同党公式のインターネット番組に出演している。いわゆる外国人参政権の導入に関しては、容認しない立場をとっている。ただし、外国人参政権に道を開く憲法改正案を出した、東浩紀らとの話し合いにおいては、基本的には外国人参政権は認め難い(基本的には国籍を有することが参政権を得る条件である)としつつも、東らの改憲案に肯定的な評価をしていることを述べた上で、一定の条件下においては外国人参政権も認められるとの見解を述べるに至っている。また、朝鮮学校に対しても、「わが国の高校授業料無償化を適用するのは違法性がある」と反対している。他に、人事院・公務員研修所(1999年 - )等各講師及びバーナビー・カレッジ学長特別顧問(1992年 - )、財団法人日本船舶振興会(日本財団)理事(1994年)、財団法人アジア刑政財団評議員(1996年 - )、読売新聞社ブレーン(1996年 - )、弁護士(1998年 - )、大阪日日新聞(2002年 - )・日本海新聞客員論説委員、日体桜華高等学校校長・現学校法人日本体育大学理事(2010年 - 2014年)、エアリンク株式会社 社外取締役(2010年3月 - )等を兼務している。また、山梨大学(1982年 - 1983年、1987 - 1990年)、日本大学(1983年 - 1991年)、駒澤大学(1984年 - 1985年)、国税庁・税務大学校(1986年 - 1988年)、国鉄・中央鉄道学園(1986年 - 1987年)、郵政省・電気通信研修所(1987 - 1990年)、東京文化短期大学(1988年 - 1989年)、防衛大学校(1993年 - 1996年)、北京大学(1995年)、消防庁・消防大学校(1996年)で教鞭をとり、郁文館学園中学校・高等学校・郁文館国際高等学校校長を務めていた。
出典:wikipedia
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