蘇 軾(そ しょく、、景祐3年12月19日(1037年1月8日) - 建中靖国元年7月28日(1101年8月24日))は、中国北宋代の政治家、詩人、書家。東坡居士と号したので、とも呼ばれる。字は。蘇洵の長子、弟は蘇轍であり、この3人に韓愈・柳宗元・欧陽脩・曽鞏・王安石を加えた8人を「古文」の唐宋八大家という。子に蘇邁、蘇迨、蘇過、蘇遯ら。曾孫は蘇公弼(威州刺史)、玄孫娘に耶律楚材夫人(蘇公弼の娘、耶律鋳の生母)がいる。蜀(四川省)眉州眉山(眉山市)の出身である。嘉祐2年(1057年)22歳のときに弟・蘇轍とともに進士となる。このときの科挙は、欧陽脩が試験委員長を務め、当時はやりの文体で書かれた答案は全て落とし、時流にとらわれない達意の文章のみ合格させるという大改革を断行した試験であり、蘇軾、蘇轍、曽鞏の3名のみ合格した。合格後、地方官を歴任し、英宗の時に中央に入る。しかし次代の神宗の時代になると、唐末五代の混乱後の国政の立て直しの必要性が切実になってきた。その改革の旗手が王安石であり、改革のために「新法」と呼ばれる様々な施策が練られた。具体的には『周礼』に説かれる一国万民の政治理念すなわち万民を斉しく天子の公民とする斉民思想に基づき、均輸法・市易法・募役法・農田水利法などの経済政策や、科挙改革や学校制度整備などの教育政策が行われた。蘇軾は、欧陽脩・司馬光らとともにこれに反対したため、2度にわたり流罪を被り辺鄙な土地へ名ばかりの官名を与えられて追放された。最初の追放は元豊2年(1079年)蘇軾44歳で湖州の知事時代である。国政誹謗の罪を着せられて逮捕され、厳しい取り調べを受け、彼自身も一旦死を覚悟したが、神宗の特別の取り計らいで黄州(湖北省黄州区)へ左遷となった。左遷先の土地を東坡と名づけて、自ら東坡居士と名乗った。黄州での生活は足かけ5年にも及び、経済的にも自ら鋤を執って荒地を開墾するほどの苦難の生活だったが、このため彼の文学は一段と大きく成長した。流罪という挫折経験を、感傷的に詠ずるのではなく、彼個人の不幸をより高度の次元から見直すことによって、たくましく乗り越えようと努めた。平生の深い沈思の結果が、彼に現実を超越した聡明な人生哲学をもたらした。この黄州時代の最大の傑作が『赤壁賦』である。赤壁は、三国時代の有名な古戦場であり、西暦208年、呉と蜀の連合軍が、圧倒的な数を誇る魏の水軍を破ったことで知られる。ただし合戦のあった赤壁は、黄州から長江を遡った南岸の嘉魚県の西にあり、蘇軾が読んだ赤壁は実際の古戦場ではない。史跡を蘇軾が取り違えたのではなく、古くからそこを合戦の場だとする民間伝承があったと思われる。元豊8年(1085年)に神宗が死去し、哲宗が即位して旧法党が復権すると、蘇軾も名誉が回復され、50歳で中央の官界に復帰し、翰林学士などを経て、礼部尚書まで昇進した。新法を全て廃止する事に躍起になる宰相・司馬光に対して、新法でも募役法のように理に適った法律は存続させるべきであると主張して司馬光と激しく論争したことから旧法派の内部でも孤立する。更に紹聖元年(1094年)に再び新法派が力を持つと蘇軾は再び左遷され、恵州(現在の広東省)に流され、さらに62歳の時には海南島にまで追放された。66歳の時、哲宗が死去し、徽宗が即位するにおよび、新旧両党の融和が図られると、ようやく許されたが、都に向かう途中病を得て、常州(現在の江蘇省)で死去した。しかし、この苛酷な運命にあっても、彼の楽天性は強靭さを失わず、中国文学史に屹立する天性のユーモリストであった。蘇軾は北宋代最高の詩人とされ、その詩は『蘇東坡全集』に纏められている。書家としても著名で、米芾・黄庭堅・蔡襄とともに宋の四大家と称される。蘇軾ははじめ二王(王羲之と王献之)を学び、後に顔真卿・楊凝式・李邕を学んだ。代表作に、「赤壁賦」(せきへきのふ)・『黄州寒食詩巻』などがある。『黄州寒食詩巻』(こうしゅうかんじきしかん、『寒食帖』(かんじきじょう)とも)は、元豊5年(1082年)47歳のとき、自詠の詩2首を書いた快心の作で、この2首は何れも元豊5年春、寒食節(清明節の前日)を迎えたときの詩である。縦33cmの澄心堂紙に行書で17行に書いたもので、「年」・「中」・「葦」・「帋」の字の収筆を長くして変化を出している。落款はないが、黄庭堅の傑作といわれる跋(『黄州寒食詩巻跋』)があり、両大家の代表作をあわせ見ることができる貴重な作品である。中華料理のポピュラーな品目である「東坡肉」(トンポーロー、ブタの角煮)は、彼が黄州へ左遷させられた際に豚肉料理について詠じた詩からつけられたという。蘇軾の死後、蔡京が握ると旧法党の弾圧が再び行われて遺族は困窮に悩まされていたが、かつて蘇軾の部下であった高俅(物語『水滸伝』では最大の悪役とされている)は蘇軾から受けた恩義に報いるために秘かに遺族を支援していたという。
出典:wikipedia
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