ロザンは、日本のお笑いコンビである。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1996年8月結成。デビュー当時は京都大学と大阪府立大学の現役学生であった。2人は進学校として知られる大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎の同級生。1年生の時、バスケットボール部の夏合宿で意気投合し、どんどん親しくなった。3年生になった4月、菅から「お前と話してると楽しい。芸人にならへん?」と誘い、宇治原は二つ返事で快諾。菅はさらにコンビの売りになるからと、宇治原へ京大受験を勧めた。宇治原は現役で京都大学に合格したが、菅は受験に失敗し、浪人となる。菅は実家から近い大阪府立大学を目指して河合塾に通っていたが、その夏、河合塾で行われた講演会に、NSCの立ち上げに携わった竹中功が招かれた。講演会終了後、菅は竹中に大学へ受かったら吉本に行きたいと話しかけると、受かったら電話しなと名刺をもらう。翌年、菅は大阪府立大学に合格し、宇治原とともに芸人を目指す。しかし2人はそれまでネタを作ったことがなく、初めてネタを作りはじめ、気がついたら夏になっていた。ネタができあがった2人は、竹中へ電話をかけ、会いに行く。菅のことを覚えていた竹中はNSCに入ることを勧めたが、宇治原がそれを断ると、心斎橋筋2丁目劇場で毎週日曜日、素人の参加も可能なオーディションを行っていることを教えてくれた。オーディションへ参加するにあたり、コンビ名を「ロザン」と決定した。この名前は、漫画『聖闘士星矢』に出てくる龍星座の紫龍の必殺技「廬山昇龍覇」より菅が名付けたが、特に深い意味は無いという。1996年8月、心斎橋筋2丁目劇場で行われていた、素人参加も可能なオーディション「WaChaCha LIVE Jr.」で2人は初めて舞台に立つ。このときは、菅がいじめられっ子のコントをしたが、「声が小さい」と30秒で落とされた。オーディションは毎週日曜日に開催されていたが、参加者1人につき500円の入場券2枚を売る(コンビなら計4枚)ことがノルマとなっており、売れない場合は自費の参加となっていた。そして5週勝ち進むと、出演料のもらえるプロとして劇場に上がることができるようになる。しかし、彼らは落ち続けた。オーディションが「sabiki」「WaChaChaブレイク」と名前や形式が変わっても挑戦し続け、初挑戦から1年半後にロザンは合格した。宇治原は3回生、菅は2回生になっていた。オーディションではともに現役大学生であることを話していなかったため、合格時に書かされたプロフィールの学歴欄に京大、大阪府立大の文字を見た吉本興業の社員は驚き、翌日には関西のスポーツ新聞全社から取材を受けたという。1998年2月、心斎橋筋2丁目劇場のイベントで、プロの初舞台を踏んだ。プロデビュー直後は、心斎橋筋2丁目劇場での舞台が月に数回ある程度であり、アルバイトをしながら舞台に立っていた。1998年の夏、CSの番組で放送された、心斎橋筋2丁目劇場オーディションを合格した約20組で争う「新人王決定戦」で優勝。この頃からファンが付き、ファンレターが毎日来るようになる。1999年3月に心斎橋筋2丁目劇場が閉鎖された後は、新たに建てられたbaseよしもとを拠点とする。高学歴ということから、赤本にサインを求められるなど、受験生のアイドル的存在ともなった。1999年の10月には、『クヮンガクッ』(毎日放送)で初めてテレビに出演。千個のハンコを、街を歩く同じ名字の人に配るというもので、終わるまでに39時間かかったという。2001年、『紳助の人間マンダラ』(関西テレビ)の企画で、ランディーズ、キングコングと共にダンスユニット「WEST SIDE」を結成。CD・写真集等を発売し、関西でブレイクした。2001年に初めて、baseよしもとで単独ライブを開催した。この単独ライブは、うめだ花月、ルミネtheよしもとなどで、2011年現在まで毎年複数回行っている。この頃はアイドル系の顔をしている菅の方の人気が高く、宇治原はWEST SIDEでも顔のことでいじられるオチを担当するなど、いわゆるブサイクキャラであった。2003年にbaseよしもとを卒業する。2000年代初期のbaseよしもとブームにおける、主要メンバーの一人であった。baseよしもと卒業後は、うめだ花月を舞台の中心とする。『ガキンチョ★ROCK』で映画初主演、『お笑いポポロ』(麻布台出版社)2003年11月号で、キングコングとの対談が若手芸人対談特集のトップになるなどの人気はあったものの、基本的に大阪を拠点とし、テレビ出演も『ちちんぷいぷい』(毎日放送)や『クイズ!紳助くん』(朝日放送)など関西ローカル番組への出演がほとんどであり、全国的な知名度は今一つであった。2004年3月、宇治原は留年と休学を経て9年かけて京都大学を卒業した。既に菅は、大阪府立大学を中退していた。2006年5月、宇治原が『平成教育予備校』(フジテレビ)に初出演し、優勝。そのまま4連続トップを取り、さらに特番『平成教育委員会2006年夏休みスペシャル』でも優勝。その後も『熱血!平成教育学院』『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』などの出演、クイズ番組などの特番で宇治原が引っ張りだことなり、全国的なブレイクを果たすこととなった。2008年10月30日には菅が、宇治原の京大合格までの勉強法やコンビ結成、オーディション合格までを書いた『京大芸人』を講談社より刊行。さらに2009年11月30日には続編『京大少年』を刊行。二冊合わせて20万部に迫るベストセラーとなった。2009年4月22日、初の単独DVD「ロザンの08ベスト+」を発売。オリコンランキングで最高75位を記録している。2009年9月、ナカバヤシと共同開発した実用ノート「スイング・ロジカルノート」が発売された。売れ筋もよく2011年現在、第8弾まで作られている。2010年夏に、拠点を大阪から東京へ移した。2011年3月、第4回国際教育学会・舘糾(たちただす)賞を受賞した。勉学の推奨・啓蒙に尽力した人に贈られる賞であり、漫才コンビが選ばれるのは極めて異例。同学会は授賞理由について「2人は高校在学中に目的を持って勉強する大切さに気付き、自分たちに合った勉強方法を見いだした。その活躍によって小中高生は一生懸命勉強することの意義や知識の活用の幅を認識している」と発表した。3月4日、宇治原の母校である京都大学で開催された記念シンポジウムで授賞式が行われた。現在は舞台、ライブ、クイズ番組回答者、情報・教養番組等のコメンテーター、司会等のテレビ・ラジオ出演のほかに、受験や法律に関する講演、トークショーなどの活動も行っている。コントと漫才の両方をこなす。ネタ作りは菅が担当している。デビュー当初はコントばかりであったが、これは当時の心斎橋筋2丁目劇場では漫才の出演を認めず、全員にコントをさせていたからである。漫才を始めたのは、テレビに出るようになってからであった。baseよしもと時代は、漫才で「足し算、引き算、ロザンです」というつかみを使っていた。現在は、背の低い菅がマイクを下げるというつかみを使っている。漫才、コントのいずれでも菅がボケであるが、コントでは宇治原の独壇場となる場面もある。2008年11月にルミネTheよしもとで行った単独ライブを収録したDVD『ロザンの08ベスト+』では、コントのみ4本が収録されている。M-1グランプリでは、大会の始まった2001年から結成10年目となる2006年まで、毎年準決勝まで進出した。キングオブコントでは、大会の始まった2008年から2年続けて参戦し、ともに準決勝まで勝ち進んだ。THE MANZAI2011では2回戦敗退。翌2012年大会では50組の認定漫才師へ選抜され、本戦サーキットの結果で20位に入りワイルドカード決定戦まで進出した。コンビ仲が良いことで有名。DVD「ロザンの08ベスト+」でも、仲の良いプライベート映像が見られる。吉本興業が提供する、よしもとファンのためのコミュニティサイト「よしもとID」で行われた、「コンビ愛を感じるよしもと芸人ランキング」では1位を獲得した。クイズ番組の賞金やCMなどのピン出演のギャラ、本の印税等はすべて折半している。
出典:wikipedia
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