デナリ("Denali")は、アメリカ合衆国アラスカにある山。北アメリカ最高峰である。標高は6,190m(2012年の測量前は6,194m)。ながらくマッキンリー山(Mount McKinley)と呼称されていたが、2015年8月31日よりアメリカ合衆国連邦政府は「デナリ」を正式な呼称とすることを告示した。1897年、この山は、当時のアメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリーにちなみマッキンリー山と命名された。「デナリ」とは、先住民デナッイア族の言語であるデナッイア語で「偉大なもの」を意味する。1980年、アラスカ州法に基づき、山を含む周囲にデナリ国立公園が設置され、同時に、アラスカ地名局は山の呼称もデナリと改称した。ただし連邦地名局は、引き続きマッキンリー山という呼称を使っていた。その後、2つの呼称が混在していたが、アラスカ人は「デナリ」の名を好む傾向があり、また連邦政府での呼称もデナリに変更しようとする運動もあった。その一方で、観光客などは山はマッキンリー、国立公園はデナリと呼び分けることもあった。2015年8月30日、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマは山の名称を「デナリ」に変更することを発表した。デナリはエベレストよりも大きな山体と比高を持つ。エベレストの標高はデナリより2700mも高いが、チベット高原からの比高は3700m程度に過ぎない。一方、デナリはふもとの平地の標高は600m程度であり、そこからの比高は5500mに達する。高緯度にあるため、夏と冬の変化が大きい。夏は白夜になるが、冬は日照時間が非常に短くなる。日の出から日没までの時間は夏至では約22時間、冬至では4時間45分である。デナリは極寒でも知られ、夏でも山頂の平均気温は-20℃程度となる。冬には5700m地点に据えられた温度計の最低気温が日常的に-40を下回り、1995年には-59.4を記録している。1969年以前には、中腹の約4600m地点で最低気温−73.3(−100)を記録したこともある。デナリは高緯度に位置するため気温が低く、その影響でヒマラヤやアンデスの同一標高よりも気圧が低い。そのため登山者にとっては高山病の危険性が比較的高くなる。デナリ山頂と同一気圧になるヒマラヤの標高は、登山シーズンで比較するとデナリ山頂よりも約300〜450m程高い。気圧は夏よりも冬のほうが一段と低くなり、冬のデナリ山頂の気圧は夏のヒマラヤ7000m超に相当する。冬にはジェット気流の影響からしばしば時速160km(秒速44m)の風が吹き下ろし、さらにデナリ・パスのような風が集まる地形ではベンチュリ効果によって風速が倍増することもある。デナリ山には2つの主要な頂がある。南峰は最高点であり、北峰は5934mの高さである。北峰は南峰との鞍部から402m上るため、独立峰とされることもある。5本の巨大な氷河が山から発している。ピータース氷河は北西に、マルドロー氷河は北東に流れる。マルドロー氷河の東隣にはトラレイカ氷河がある。ルース氷河は南東に、カヒルトナ氷河は南西に流れる。山体は花崗岩で出来ている。太平洋プレートが北米プレートの下に潜り込み、北米プレートの大陸地殻を押し上げたものである。1903年、フレデリック・クックにより初登頂されたと報じられたが、1909年にクックに同行したエド・バレルにより否定された(ただしバレルは、北極点初到達でクックと争ったロバート・ピアリーにより大金で買収されていたことが分かっている)。初登頂は、1913年6月7日の宣教師のハドソン・スタック、ウォルター・ハーパー、ハリー・カーステンス、ロバート・テータムの4名である。1947年には、バーバラ・ウォシュバーンが女性として初めて頂上に到達した。1951年にブラッドフォード・ウォシュバーン隊によって登頂されたウェストバットレスルートが現在最も一般的なルートとなっている。登山シーズンは4月後半から7月中旬。4月、5月は寒く、7月になると雪が緩むので、6月中に登る人が最も多い。1990年以降、登山シーズンには毎年400人から800人ほどが登頂している。2015年までに冬季登頂を果たしたのは10隊17人で、うち5人が単独。冬のデナリでは6人が死亡している。
出典:wikipedia
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