愛媛県立松山東高等学校(えひめけんりつ まつやまひがしこうとうがっこう)は、愛媛県松山市持田町二丁目にある公立の高等学校。藩校・明教館の流れを汲み、旧制松山中学以来の伝統を持つ県内最古の高等学校である。初代校長は草間時福で、同校の校風に多大な影響を与えている。愛媛県尋常中学校時代に夏目漱石が第五高等学校へ赴任するまで1年間教鞭をとっており、この体験を元にして小説『坊っちゃん』が描かれた。耐震性の確保を主な理由とし、2008年(平成20年)7月から本館の新築工事が行われた。同年8月までに旧本館の解体と新本館の着工が開始され、校長室を含む旧本館の全設備と1年生の3クラスが仮校舎に移動、残りの7クラスについては特別教棟や1学年11クラス時代に使用していた第三教棟の2教室などを充てて同年度は対処した(すなわち、この年度のみ3年生のクラスは第二教棟であった)。完成した新校舎の供用は2009年(平成21年)3月27日から開始され、ぬくもりのある環境とするべく木材を随所に使用し床はフローリング仕上げとしたため、校舎内は既存の建物を含めすべてのエリアが土足禁止となった。なお、耐震化工事は従来からの校舎にも施工されている。新本館は既存の鉄筋コンクリート造4階建て延べ2,618mを解体して跡地に建設。その規模は鉄筋コンクリート造3階建て延べ3,453mで、3階の一部が体育館(592m)である。完成後には既存の古い西体育館を解体して跡地にクラブハウスが建設された。従来からの伝統である立山黒部アルペンルートに、近年は北海道,関東行きが追加されている。その他、国内へは沖縄行き、国外へは中国行きも設定されることがある。また、スーパーグローバルハイスクール(SGH)指定校となった2014年の入学生が2年生となる2015年からは、アメリカ、ロサンゼルス行きが新たに設定された。洲之内徹(1930年(昭和5年)に松山中学を卒業)作詞、近衛秀麿作曲。首藤章:作詞、田窪修:作曲。1968年(昭和43年)の創立90周年記念事業の一環として作られた応援歌「王者の命」。90周年を記念して応援歌を製作しようと、歌詞と曲を全校生徒から募集。公募の中から選ばれた、当時の高校3年生だった両氏によって、作詞作曲された。2015年(平成27年)、野球部のセンバツ甲子園出場を機に復活。センバツでは、得点時と7回の先頭打者時に歌われた。正岡子規が1889年(明治22年)に野球を伝え、1892年(明治25年)に設立された「球技同好会」が起源。硬式野球部の設立は愛媛県内で最古であり、1950年(昭和25年)に、夏の甲子園で優勝している。ただし、この優勝は商業科を併設した統合時代のものであるため、出場回数と優勝回数の記録は同校と松山商業とで共有する。松山商業の優勝回数としてクローズアップされることが多いとはいえ、同時に松山東の優勝記録でもあり、記念大会の歴代優勝校の校旗の入場行進時には当然、同校の校旗も連なっている。戦前の松山中学時代の野球部は、愛媛県内では松山商業に次いで強かったとされ、1933年(昭和8年)春と同年夏の2回甲子園に出場している。2014年(平成26年)夏の県大会では、実に63年ぶりに決勝戦まで勝ち進み(小松高校に敗退)、同年秋の県大会ではその小松高校に勝利し、これも63年ぶりに四国大会に出場が決まった(愛媛県では今治西に次ぐ2位)。四国大会では一回戦で鳴門(因みに鳴門は松山東が上記の夏の甲子園優勝時に決勝戦で対戦した相手である)に敗退したが、21世紀枠候補に選ばれ、その後選抜出場が正式に決定した。主催者の毎日新聞によれば、「(選抜史上)過去最長のブランクを埋める82年ぶり2回目」の出場となり、初戦突破を果たした。ラグビー部の創部は1932年(昭和7年)。県下で最も古いラグビー部である。発足当時からの伝統である、臙脂と黄色のジャージを今も引き継いでいる。1939年(昭和14年)、1940年(昭和15年)、1947年(昭和22年)の全国中等学校蹴球大会、1970年(昭和45年)の全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場。県総体優勝回数、全国大会県予選優勝回数は伴に県下2位。2013年(平成25年)の県7人制大会では準優勝し、その後の四国大会ではグループリーグを1位で突破し、最終的には3位に入賞している。旧制松山中学時代の1928年(昭和3年)に創部(県内最古の蹴球部は、大正12年創部の三島中)。1933年(昭和8年)に、第15回全国中等学校蹴球選手権大会に四国代表として出場。四国地区から初の全国大会出場チームとなる。1回戦で九州代表の熊本一師に0-5で敗れる。1947年(昭和22年)の第26回全国中等学校蹴球選手権大会では、県勢初の全国大会での勝利を挙げ、ベスト8に進出した(7-0富山中、0-3水戸工)。昭和22年から愛媛県大会4連覇。1968年(昭和43年)のインターハイに出場。1974年(昭和49年)愛媛県高校サッカー新人戦優勝。1974年(昭和49年)全国高校サッカー選手権愛媛県大会準優勝(決勝で新田に0-3)。1991年(平成3年)愛媛県高校サッカー新人戦準優勝(決勝で南宇和に0-3)。1995年(平成7年)全国高校サッカー選手権愛媛県大会3位。2014年(平成26年)全国高校総体愛媛県大会準優勝(決勝で松山北に1-4)。1971年(昭和46年)、1975年(昭和50年)、2008年(平成20年) - 2010年(平成22年)、2015年(平成27年)のインターハイに出場。1956年(昭和31年)、全日本高校選手権女子ナックルで優勝。1960年(昭和35年)、国体高校女子ナックルフォアで優勝。2013年(平成25年)、朝日レガッタ高校女子ダブルスカルで優勝。世界ジュニアボート選手権出場。2014年(平成26年)、全国高等学校選抜ボート大会女子舵手付クォドルプルで準優勝。朝日レガッタ高校女子舵手付クォドルプルで優勝。弓道部、テニス部、ソフトテニス部、卓球部、陸上部、水泳部、ダンス部、登山部などでインターハイ、国体等の出場者を輩出している。1987年(昭和62年)度と2010年(平成22年)度の全日本アンサンブルコンテスト出場者を輩出。1972年(昭和47年)、1976年(昭和51年)、2006年(平成18年)のNHK全国学校音楽コンクールに出場。1976年(昭和51年)には最優秀賞に選ばれている。1950年(昭和25年)の部誌『掌上』創刊時のメンバーに伊丹十三がおり、翌年には大江健三郎も編集に参加。全国高校俳句選手権大会(俳句甲子園)の常連で、2001年(平成13年)、2012年(平成24年)に優勝、1999年(平成11年)、2002年(平成14年)、2006年(平成18年)に準優勝している。第15回全国高等学校文化連盟将棋新人大会(2007年(平成19年))、第21回全国高等学校将棋竜王戦(2008年(平成20年))で個人戦5位入賞。全国高等学校将棋選手権大会(全国高等学校総合文化祭将棋部門)の常連で、県内団体戦4連覇。2010年(平成22年)に全国ベスト16。そのほか、美術部、書道部、放送部、かるた部、演劇部などで各種全国大会出場者を輩出している。敷村良子の小説『がんばっていきまっしょい』は同校が舞台。これを原作に2度映像化され、1998年(平成10年)公開の映画は同校で、2005年(平成17年)放送のテレビドラマでは松山北高校と同校で撮影された。映画版では「伊予東高校」、ドラマ版では「松山第一高校」として登場する。これら劇中登場の2校は実在しないが、1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)にかけて、同校が「松山第一高等学校」と名乗っていた時期もあった。その他、2回のグループマッチ、クラスマッチなど。この中で毎年9月(概ね第2水曜)に実施される運動会が一番のメイン行事であり、生徒たち自らが竹林で竹を取ってきて、櫓(やぐら、生徒が座る観客席風のスタンド)の組み立てや、巨大な人形、各グループの陣地のバックに掲出するパネ絵(かつては朝昼夕の3枚あったが現在は朝夕の2枚になった)などの制作を運動会当日よりかなり前から行う。なお、グループは青柳(せいりゅう、名前の由来となったヤナギの木は老化と道路拡張工事に伴い伐採された)、紫雲(しうん)、紅樹(こうじゅ)、黒潮(くろしお)の4つに分けられている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。