EF65形電気機関車(EF65がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1965年に開発した、平坦路線向け直流用電気機関車である。EF60形に続く平坦線区向け国鉄直流電気機関車の標準形式として、1979年までに国鉄電気機関車史上最多である308両が川崎車輛→川崎重工業兵庫工場、川崎電機製造、東京芝浦電気府中工場、汽車製造会社大阪製作所、東洋電機製造、日本車輌製造本店(名古屋製作所)、それに富士電機の各社によって製造された。高速道路ネットワークが構成されていなかった開発当時、日本の著しい経済成長の中、国鉄に求められる輸送力の増強はかなり逼迫していた。これを補うため、電化工事の促進・主要区間の複線化・列車運転速度の向上・1列車当たりの輸送量の増強・物流システムの効率化を早急に進める必要があった。電化工事が山陽本線まで及び、コンテナによる輸送方法が確立されると、重い列車を安定した高い運転速度で長距離運転できる機関車が必要となった。当時の主要幹線用最新型電気機関車であったEF60形(2次車以降)は、牽引力はあったが、定格速度は旧型機関車と大差のない 39.0 km/h と比較的低い設定であり、旅客列車と貨物列車の高速化に応じるには難があった。このような経緯から、EF60形3次車を基本として、その歯数比を16:71 (1:4.44) から18:69 (1:3.83) へ変更、さらに新設計のバーニア付き電動カム軸式制御器を搭載することで、高速走行性能と牽引力の両立を図ったのが本形式である。通常、新型電気機関車の開発・導入時は試作車を作り各種性能試験を長期間にわたって実施し、そこで得られたデータを基に不具合点を解消した上で量産車を改めて設計するか、あるいは1・2号機を先行落成させ試作車と同様に長期テストを行って新規設計部分の信頼性を確認するのが一般的であるが、本形式については制御器以外の主要部分の設計がEF60形3次車とほぼ共通であったこともあり、1号機からそのまま量産が開始された。このEF65形については、基本的に貨物列車用として計画されたが、その高速走行性能から一般形の他、定格速度の低さが問題となっていたEF60形500番台を置き換えるべく20系客車を牽引するために必要な装置・機器を搭載してブルートレイン牽引用とした500番台(P形)、P形を基本に重量貨物列車を高速で牽引するための重連総括制御用機器・装置を搭載した500番台(F形)、F形を基本に貫通扉を付け耐雪耐寒装備を強化するなどの改良を加えた1000番台(PF形)と、3つの派生モデルが設計・製作され、寝台列車牽引にも長年に渡り多用された。2006年3月の「出雲」廃止をもって寝台特急での運用は消滅し、さらに2008年3月の急行「銀河」廃止で定期旅客列車を牽引する運用はすべて終了した。2015年1月時点では主に貨物列車の牽引に充当されているが、老朽化の進行で後継のEF210形への置き換えによる淘汰が進んでいる。普通鋼による箱型車体を採用し、運転整備重量は96tであるが、車体の中梁内に5t、車体内に3.4tの調整荷重を搭載する。屋根は採光窓を備えた4分割式で取り外し可能とし、検査時には内部機器を取り外しやすくするとともにモニタを兼ねた構造とした。EF60形の設計を踏襲し、軸配置Bo - Bo - Boで先・従輪のない2軸ボギー台車3台にそれぞれ主電動機を2台ずつ装架する、抵抗制御方式の直流電気機関車である。本形式はEF52形以降の国鉄制式の直流電気機関車で長らく使用されてきた、単位スイッチによる手動進段式抵抗制御器に代え、自動進段式のCS25抵抗バーニア制御器(電動カム軸式超多段制御器)を導入し操作性の向上を図るとともに歯車比を変更して高速仕様にシフトし、CS26界磁制御器を併用して従来よりも広い範囲で弱め界磁制御を行うことで運転速度の引き上げを図った。なお制御器については、当初採用されたCS25の自動進段機構において、主回路切り替えに用いるカムスイッチのカム軸を駆動するパイロットモーターを、コストダウンのために主回路とバーニアで共用したことが原因でトラブルが多発した。そこで量産中に基本構成を変えずに逐次改良が重ねられ、CS25Aとなったがそれでも問題は解決しなかった。そのため昭和40年度予算での発注の途中でこれらCS25系制御器の継続採用が断念され、主回路とバーニアのカム軸駆動系を分離した新設計のCS29に変更された。また、故障が頻発し続けていたCS25・CS25Aについても、高速貨物列車の重連運用等で特に深刻な不具合が多発した500番台(F形)から優先的に主制御器の大改造を実施し、パイロットモーターを追加してバーニア用カム軸の駆動系を独立させたCS25B・CS25Cとする、つまり実質的にCS29相当へ改造する工事が順次施工された。この自動進段機構の採用により、本形式の運転台に搭載された主幹制御器は簡素化され、その刻みノッチはEF60形の28ノッチから15ノッチ(捨てノッチ4、Sノッチ、SPノッチ、SP弱界磁段4ノッチ、Pノッチ、P弱界磁段4ノッチ)と大幅に減少した。これに伴い、運転席の主幹制御器を従来タイプから電車類似のものへ変更することも検討されたが、従来の機関車との共通運用や取り扱いの互換性も考慮して従来タイプの主幹制御器が踏襲された。主電動機は設計当時の国鉄電気機関車で標準的に採用されていた直流直巻整流子電動機のMT52(端子電圧750V時1時間定格定格出力425kW)を6基吊り掛け式で搭載する。総定格出力は2,550kWである。台車形式は両端台車がDT115B、中間台車がDT116Cで、歯数比変更に伴うサフィックス変更はあったものの基本的にはEF60形2次車以降と共通設計の揺れ枕リンク式である。これらの台車は揺れ枕の心皿を低い位置とし、牽引力の作用点を低く抑えることで列車牽き出し時の軸重移動と、それに伴う空転の発生を最小限に抑止する構造である。軸箱支持は側枠から垂直に下ろされたピンと軸箱の円筒ゴムが摺動することで前後左右方向を弾性支持し、上下荷重は軸受直上に位置する2組のコイルばねが負担する。空転時の対策としては、各車軸に取り付けられた車軸発電機の発生電圧により回転数を随時計測、回転異常時(空転時)には進段を中止し自動ノッチ戻しを行う機構が採用されている。制御用電源として、MH81B-DM44B二相交流式電動発電機を搭載する。交流60Hz、5kVAの容量を備え、交流24V、交流50V、交流100Vのほか、整流器を介して直流100Vを供給する。空気ブレーキなどで使用される圧縮空気を供給する電動空気圧縮機は、MH92B-C3000 を1基搭載する。電動機などの冷却に使用する電動送風機はMH91A-FK34Aを2基搭載する。内訳は、第1 - 第4電動機用が1基、第5・第6電動機、ブレーキ抵抗器用が1基である。これらにより運転操作、高速運転時の安定性能は飛躍的に向上し、現場でも優秀な機関車として受け入れられたが、試作による性能評価を行っていないため、前述のとおり主制御器のCS29への切り替えまでは当時最新技術であった自動進段機構にトラブルが相次いだといわれている。本形式は用途により多数の仕様区分があり、個別の仕様については次節に記述する。貨物列車牽引用として、1965年(昭和40年) - 1970年(昭和45年)に135両 (1 - 135) が製造された。非貫通式の運転台にシールドビーム2灯を備える。国鉄時代の塗色は、車体が青15号(濃青色)前面下部がクリーム1号の国鉄形直流電気機関車の標準塗色である。昭和39年度第1次債務で1 - 47号機が製造された。中央線電化・増発、山陽本線貨物列車電化・増発、東海道本線などの増発用である。そのため、1 - 16号機は吹田第二機関区、17 - 35・46・47号機は稲沢第二機関区、36 - 45号機は新鶴見機関区に配置された。EF60形3次車との外観上の相違点は、屋上モニタ屋根の形状の変更やカバー付避雷器 LA15 の採用等に留まり、大きく変更されていない。試作機で十分な性能確認を行わないまま量産を開始したため、前述のように新製直後からCS25抵抗バーニア制御器の故障が相次いだ。昭和39年度第3次債務で48 - 57号機が製造された。中央線電化・増発用である。48 - 50号機は吹田第二機関区、51・52号機は稲沢第二機関区、53 - 57号機は新鶴見機関区に配置された。加えて、昭和40年度第1次民有で58 - 72号機が製造された。中央線電化および山陽本線貨物列車電化・増発用である。58・59号機は新鶴見機関区、60 - 64号機は東京機関区、65 - 70号機は稲沢第二機関区、71・72号機は吹田第二機関区に配置された。抵抗バーニア制御器をCS25からCS25Aに変更しているほか、スカート上部にあった通風孔が尾灯上部に移動している。昭和40年度第2次債務で73 - 76号機が製造された。宇野線完全無煙化用、東北本線等の増強用である。全機が吹田第二機関区に配置された。加えて、昭和41年度第1次債務で77 - 84号機が製造された。信越本線長岡地区無煙化および長野原線電化開業用である。全機が稲沢第二機関区に配置された。運転取扱規定の変更により尾灯まわりの形状が見直され、抵抗バーニア制御器をCS29に変更している。また、入換時に背の高い誘導係に対応するため、手掛けが上方に20cmほど延長され、機関士側のスカート部分に足掛け用の切り欠きが設けられた。昭和43年度第4次債務で85 - 104号機が製造された。信越本線直江津 - 宮内間電化開業用(18両)、赤穂線電化開業用である。85 - 102号機は岡山機関区に、103・104号機は稲沢第二機関区に配置された。3次車以前と比べて、以下の大きな変化が見られる。昭和43年度第5次債務で105 - 120号機が製造された。東海道・山陽本線貨物・荷物列車増発用、山陽本線瀬野 - 八本松間補機増強や東北・信越方面の貨物列車増発用である。全車が稲沢第二機関区に配置された。4次車との大きな違いは見られない。昭和44年度第3次債務で121 - 132号機が、同年第5次債務で133 - 135号機が製造された。121 - 130号機は広島機関区に、131 - 135号機は岡山機関区に配置された。運転台前面ガラスに熱線入りガラスを採用し、全面デフロスタに変更され、ワイパーも強力形のWP50とされた。また、一人乗務に備えてEB装置・TE装置の設置がなされた。高速旅客列車牽引用として、1965年 - 1966年に17両 (501 - 512・527 - 531) が製造され、1968年に基本番台(77 - 84) から (535 - 542) が改造竣工された。「P形」は、「旅客」を表す "passenger" の頭文字に由来する。従来は20系寝台特急列車牽引用としてEF60形500番台を使用していたが、同形式は定格速度が低く高速運転主体の寝台特急運用に不適当であるため、定格速度の高い本形式基本番台の設計を基にEF60形500番台と同様の20系客車牽引用装備を搭載した本番台が設計された。塗色は直流機標準の青15号とクリーム1号ながら、EF60形500番台と同様に特急色と呼ばれる20系客車と意匠を合わせた塗り分けを採用した。両端面の窓周りを含んだ上部とそれを結ぶように上下にクリーム色の細帯を配する。昭和39年度第3次債務で501・502号機が製造された。中央線電化・増発用を名目としている。なお、501号機は500番台では唯一、1966年から1967年にかけて0番台と同じ一般塗装だった時期があり、その塗装で寝台特急を牽引していた。加えて、昭和39年度第5次債務で503 - 512号機が製造された。東海道本線増発用を名目としている。ただし、実際には寝台特急牽引用として投入されたため、全機が東京機関区に配置された。同時期製造の0番台2次車と同様、抵抗バーニア制御器はCS25Aである。昭和40年度第2次民有で527 - 531号機が製造された。山陽本線広島 - 幡生間貨物列車完全無煙化用を名目としているが、1次車と同じく全機が東京機関区に配置された。抵抗バーニア制御器がCS25AからCS29に変更されている。1968年に寝台特急増発に伴う不足分を補うため、当時竣工したばかりの0番台3次車のうち、昭和41年度第1次債務で製造された77 - 84号機が改造され、535 - 542号機として500番台P形に編入された。稲沢第二機関区に所属する8両が浜松工場で1968年6月から9月にかけて改造され、改番後に東京機関区に配置された。主な改造項目を以下に示す。いずれも改造時点での500番台P形車の標準装備である。なおこのグループは、「地味な中速貨物列車牽引機から花形である特急牽引機に抜擢された」という生い立ちから俗に「シンデレラ65」とも呼ばれている。高速貨物列車牽引用として、1965年 - 1966年に17両 (513 - 526・532 - 534) が製造された。牽引定数1,000tの貨物列車を100km/hで牽引する必要から、P形を基本に、重連総括制御機能・空気管付き密着自動連結器・連結器の自動復心装置・編成増圧装置・電磁自動空気ブレーキへの指令機能などを追加した区分である。「F形」の呼称は、「貨物列車」を表す "freight" の頭文字に由来する。外観上、3本の空気管コックと3種の電気連結器が前面下部に設けられてホースやジャンパケーブルが装着され、さらに連結器も上部に自動復心装置を付加した空気管付き密着自動連結器であるため、スマートなP形とは一変して複雑かつ物々しい印象となった。この様に任務も装備もP形とは大きく異なるF形だが、製造に当たっては特に車番を分ける措置はとられず、P形と同じ「500番台」のくくりで連続して車番が振られた。このためP形、F形とも車番が連続しておらず、「飛び番」が存在している。昭和39年度第5次債務で513 - 517号機が製造された。東海道本線などの貨物列車増発用を名目としている。全車が東京機関区に配置され、試運転を兼ねてP形と共に寝台特急牽引に当たった。P形・F形の2次車が登場した際に吹田第二機関区に転属している。0番台2次車と共通のCS25A抵抗バーニア制御器を搭載するが、界磁制御器はCS26Aに改良されている。昭和40年度第2次民有で518 - 526号機が製造された。山陽本線広島 - 幡生間貨物列車完全無煙化用を名目とし、吹田第二機関区に配置された。加えて昭和40年度第2次債務で532 - 534号機が製造された。同じく山陽本線広島 - 幡生間貨物列車完全無煙化用を名目としている。雨水・塵埃防止の観点から密着自動連結器上部の復心装置にカバーが取り付けられたほか、抵抗バーニア制御器がCS25AからCS29に、532号機以降はブレーキ増圧回路が編成増圧仕様から単機増圧仕様に変更されている。旅客列車・貨物列車に広汎に使用可能な汎用機として、1969年(昭和44年)から1979年(昭和54年)にかけて8回に分け、合計139両 (1001 - 1139) が製造された。標準で重連総括制御機能を備える。基本設計は重連機能を備えていた500番台(F形)に準じ、同番台の東北・上越線運用で問題となった点を改良したモデルである。このため、寒冷地での重連運用を考慮して前面にはEF64形と同様に貫通扉を設置し、運用上運転台の向きの転向が発生しても重連運転に支障がないようにKE70HDジャンパ連結器(凍結防止用ヒーターを付加)を左右に備える両渡り構造としたことなどの点で他区分と異なる。ただし、重連総括制御機能は備えるものの、F形に装備されていた10000系高速貨車対応の空気管付き密着自動連結器ではなく通常の並形自動連結器が装備され、自動復心装置も省略されている。1エンド側ステップ付近にKE70HDジャンパ連結器納めを備えていることも特徴である。P形・F形の機能を併設するとされ、PF形と呼ばれる。塗色は500番台と同様の「特急色」であるが前面のステンレス製飾り帯は取り付けられていない。制御器は全車CS29であるが、改良によってサフィックスが異なる。製造期間が足かけ10年にわたり、また途中で増備が途絶えた期間があったことなどから、1972年までに製造された前期形 (1001 - 1055) と1976年以降に製造された後期形 (1056 - 1139) で外観上大きな差異がある。昭和43年度第5次債務で1001 - 1017号機が製造された。東海道・山陽本線の貨物増発を名目としているが、実際にはF形の代替として東北本線・上越線に投入され、F形が東海道・山陽本線の貨物増発用として転出することとなった。そのため、全機が新鶴見機関区に配置された。0番台5次車に合わせ、抵抗バーニア制御器はCS29Aであるが、界磁制御器はCS26Cに改良されている。F形での運用不具合が多かった東北本線での重連高速貨物列車の代替用として投入されたため、上越線運用では事実上必須の「つらら切り」を未装着で竣工している。昭和44年度民有車両として1018号機が、昭和44年度第2次債務で1019 - 1022号機が製造された。1018号機は新空港建設資材輸送用、1019 - 1022号機は万博輸送用・呉線電化用である。1018号機は新鶴見機関区に、1019 - 1022号機は広島機関区に配置され、万博輸送後は貨物列車用として使用された。カニ22形のパンタグラフスイッチが撤去され、一人乗務に備えてEB装置・TE装置の設置、記録式速度計 (SRD40) の追加がなされた。また、製造時から運転台前面窓と前照灯のつらら切りを備えている。昭和44年度第3次債務で1023 - 1031号機が、昭和44年度第4次債務で1032 - 1039号機が製造された。呉線電化・高島線電化・特急客車列車増発・東北本線・高崎線貨物列車増発・身延線機関車形式改善用である。1023 - 1025号機が下関運転所、1026 - 1028号機が新鶴見機関区、1029 - 1031号機が宇都宮運転所に配置された。貫通扉下側のステップの長さが手すりの内側まで短縮された以外に2次車との大きな違いは見られない。昭和46年度本予算で1040 - 1049号機が製造された。飯田線の形式改善と東北本線の増発を名目としているが、実際には東北本線の貨物列車増発が狙いであり、1040 - 1048号機が宇都宮運転所に、1049号機が下関運転所に配置された。なお、1049号機の下関運転所所属は寝台列車増発による暫定処置であり、1972年10月には1049号機も宇都宮運転所に移籍している。3次車以前と比べて、以下の大きな変化が見られる。昭和46年度第3次債務で1050 - 1055号機が製造された。山陽本線における波動輸送用を目的とし、全機が下関機関区に配置された。継電器の変更に伴い、抵抗バーニア制御器がCS29BからCS29Cに変更された。また、スカートの変更によってKE59ジャンパ栓跡の穴がふさがれている。約4年ぶりにEF65の増備が再開された。昭和50年度第3次債務で1056 - 1068号機が、昭和51年度第1次債務で1069 - 1091号機が製造された。首都圏の旧形電気機関車置き換えを目的とし、全機が新鶴見機関区に配置された。5次車製造から時間が空いたことから、多くの変更点がある。昭和52年度第1次債務で1092 - 1118号機が製造された。紀勢本線電化開業および旧形電気機関車置き換えを名目としているが、実際は500番台(P形)置き換えのためである。1092 - 1095号機の4両が下関運転所、1096 - 1116号機の21両が寝台特急牽引用として東京機関区に、1117・1118号機の2両が新鶴見機関区に配置された。運転台窓ガラスが5mm厚の強化ガラスに変更されたほか、重連や寒冷地での運用がないために東京区・下関所配置車は配置直後に保守合理化のためスノープラウや汽笛カバーやホース類が外された。砂撒き管のヒーターの配線カットを行っているが、砂撒き管ヒーターの本体とつらら切りは引き続き装着されている。一方新鶴見区配置車はそれらの装備が存置されていた。昭和53年度第1次債務で1119 - 1139号機が製造された。関西圏で寝台列車を牽引していたEF58形の老朽取替え用である。1119 - 1128号機が下関運転所に、1129 - 1139号機が宮原機関区に配置された。関西 - 九州間の寝台列車牽引を目的としていたため、耐寒耐雪設備の一部であるスノープラウ、汽笛カバー、砂撒き管ヒーター、主電動機用歯車箱の防雪覆いを省略した。さらにこれまでの使用実績から主電動機をMT52Bに、避雷器をLA16に変更した。加えて、亀裂防止の観点から台車枠は溶接が強化され、台車にとりつけられたオイルダンパーが折損した際に車両外側に飛び出すのをふせぐため、アイボルトの取り付け方向が90度変更された。車体前面の機関士側と車体側面の中央には車体ナンバーが記されており、1056号機以降はエッチングプレート式となっている。プレートの色は車体塗装に合わせて前面がクリーム色、側面が紺色であったが、後天的な改造により、変更が発生した。国鉄分割民営後、常用減圧促進改造を施工した車両のプレートが、非施行車と区別するために赤色に塗装された。常用減圧促進改造施行と前後して、新鶴見機関区所属車を中心にプレートが青色に変更された。また、2000年以降、JR西日本からJR貨物に移籍した車両の一部が同様に変更された例がある。さらに、2012年6月以降、保安装置の関係から車体番号の変更が行われたが、この際に常用減圧促進改造非施行車のナンバープレートが青色に統一された。ただし、2094号機は2015年8月の全般検査出場後にナンバープレートが白色に変更された。旅客会社では寝台列車の廃止で運用範囲が縮小し、余剰による淘汰が進行している。JR貨物では継続使用のため更新工事を施工しつつも、EF210形の投入により更新工事未施工の車両から淘汰を進めている。2016年4月1日現在 (JR貨物のみ2016年3月1日現在)1965年(昭和40年)には、貨物列車増発用として0番台が運用を開始した。また、同年10月1日からEF60形500番台と交代する形で、500番台P形(東京機関区所属)が東海道・山陽本線における寝台特急列車"九州ブルトレ"5往復(東京 – 下関間)と寝台特急「あかつき」(新大阪 – 下関間)の牽引機として運用を開始した。運用入りに際して、同年8月25・26日には営業列車(寝台特急富士)を用いた試運転が行われた。1965年10月の牽引開始時点ではP形が12両落成していたが、所要機も12両であったために予備車が1両も無い状態であった。そこで、同時期に製造されていたF形(513 - 517号機)を東京機関区に配置させてP形と共通運用させたほか、0番台(60 - 64号機)も予備として東京機関区に配置した。それを解消するため、1966年3月25日ダイヤ改正に合わせて527 - 531号機が落成し、F形を吹田第二機関区に転出させた。さらに、1968年10月ダイヤ改正での寝台特急増発による所要機増加に対応するため、535 - 542号機が改造編入された。1966年(昭和41年)10月からは、レサ10000系の特急貨物列車「とびうお」「ぎんりん」の牽引にF形(吹田第二機関区所属)が充当された。600 t 以下の牽引定数の列車は単機で、600t以上1000tまでの牽引定数の列車は当時の大型電気機関車には珍しい重連運転で、それぞれ運用された。ただし、これはあくまでもEF66形が落成するまでのつなぎ的な役割であった。1968年(昭和43年)10月にEF66形量産車が登場・東海道-東北-北海道ルートの特急貨物列車に充当された後は新鶴見機関区に配置され、新設された東北-北海道間を結ぶ特急貨物列車の運用に充てられた。またEF15形が牽引する急行貨物列車の運用にも充当され上越方面でも運用された。積雪地区での使用に際し、一部の車両につらら切り・ホイッスルカバー・スノープラウといった簡単な耐雪耐寒装備が施され、顔つきが一段と厳めしく変貌した。ただし、寒冷地運用では貫通扉が設けられていないため、冬季の多雪地域での重連運用の折り返し時に一旦車外に出なくてはならないことや、凍結防止用ヒーターなどの耐寒耐雪装備が不十分でトラブルが多発したこと、ジャンパ連結器栓受がスカートに左右非対称の配置で搭載されているため、デルタ線の通過などで車両の向きが変わる運用に充当しづらいなどといった難点が存在した。1969年(昭和44年)には東北本線の東北・北海道輸送を担う旅客・貨物列車の上野方 - 黒磯間の短い直流区間を牽引する客貨両用で汎用性の高い機関車として、1000番台PF形が落成し新鶴見機関区に新製配置、その後宇都宮運転所に集中配置され東北本線・上越線での500番台F形運用(貨物列車)を置き換えた。次いで旅客運用にも投入され、1970年(昭和45年)7月1日より運転開始した寝台特急「あけぼの」(7月1日から9月30日までは臨時列車としてプレ運転)の上野 - 黒磯間を1000番台PF形(宇都宮運転所)が牽引することとなった。これが本番台初の寝台特急牽引となった。また、P形だけではすべて寝台列車牽引を賄えきれないことから、同時期から「彗星」の牽引に下関運転所に配置されていたPF形が使用された。東京機関区へのP形増備による0番台予備機の転出やF形が新鶴見機関区に転入した影響により、0番台は1970年までに東京機関区と新鶴見機関区の配置がなくなり、東海道・山陽本線を中心に山手貨物線、宇野線、赤穂線、岡多線などで特急貨物列車B以下の貨物列車に使用されるようになった。1972年(昭和47年)3月15日ダイヤ改正では、貨物列車が多い山陽区間の深夜時間帯に規格ダイヤ(最高速度を95km/hとする)が採用された。その影響で「あかつき」「彗星」「日本海」でスピードダウンが行われ、EF58形で牽引可能となった。ただし、EF58形に対して20系客車に関して必須であるMRP追加工事を行う関係から、当初はP形、PF形に加えて下関運転所配置の500番台F形も運用された。1972年10月2日以降、寝台特急牽引はEF58形(当初は「あかつき」が下関運転所所属、「彗星」・「日本海」と新設の「つるぎ」が米原機関区所属)に置き換えられた。EF58形を使用することによって東京機関区のP形は仕業数に余裕ができ、加えて下関運転所で集中台車検査を行う間の代替機が必要であることから、501 - 504号機が同年9月から10月にかけて下関運転所に転属し、以前から同所に配置されていたPF形と共に使用された他、1975年3月改正までは関西発着列車も一部受け持った。また、東北本線で1往復だけ存在していたPF形による重連統括運用は、牽引係数の見直しにより単機牽引とされた。1975年3月改正直前にはF形の一部が米原機関区に転属し、EF58形と共に寝台特急を牽引することがあった。1978年(昭和53年)6月30日付で7号機が事故廃車となったが、本形式初の廃車となった。1978年(昭和53年)7月28日からは、東京機関区・下関運転所に配置されたPF形後期型(7次車)による500番台P形の置き換えが行われ、同年10月のダイヤ改正までに東京発着の寝台特急7列車16本の牽引を開始した。次いで宮原機関区・下関運転所に配置された8次車では、関西圏で活躍していたEF58形に代表される旧型機関車の大多数を置き換えることとなった。1984年(昭和59年)2月1日ダイヤ改正では旅客・貨物運用双方で大きな変化が発生した。旅客運用に関しては夜行列車の再編が行われ、東北方面への旅客運用は宇都宮運転所から田端機関区への移管が行われた。以下に牽引列車を示す。PF形の投入によって運用を置き換えられたP形・F形は貨物列車牽引運用に転用され、再び東海道・山陽本線に復帰し、一般貨物列車の牽引に充当された。1985年(昭和60年)3月14日ダイヤ改正の際、「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ」の東京 - 下関間での牽引がEF66形に置き換えられた。これは、「はやぶさ」の編成中にロビーカーを増結して牽引定数が増加し、従来のEF65形では牽引力が不足するための措置である。同時に、名門機関区として知られていた東京機関区、宮原機関区から車両配置が無くなり、それぞれ新鶴見機関区と吹田機関区に車両は転属となった。東京機関区が担当していた運用はそのまま新鶴見機関区が担当したが、原則として東京区から転属した車両が同区に常駐の上で使用され、宮原機関区の運用は新鶴見機関区と下関運転所に移管された。運用減によって余裕ができたため、一部が貨物列車牽引機に転用された。東海道・山陽本線での旅客運用は5列車10本(寝台特急6本、急行4本)の牽引を担当するまでに縮小されたが、東北方面での運用は急行2列車4本が追加された。1986年11月には、国鉄分割民営化を見越して以下のような車両配置換えが行われた。1987年の国鉄分割民営化では本形式は269両(0番台88両、500番台P形25両、500番台F形17両、1000番台139両)がJR東日本・JR東海・JR西日本・JR貨物に継承された。民営化当時の旅客運用を以下に示す。牽引区間はカッコ内に示す。1988年3月ダイヤ改正で「あけぼの」1往復が廃止、1990年9月には「津軽」が使用車種を583系に変更、「あけぼの」1往復が経路変更により上越・羽越経由の「鳥海」とされた。1993年12月ダイヤ改正では「あけぼの」の牽引機がEF81形に、「八甲田」は廃止(臨時格下げ)となり、このダイヤ改正をもって、上野駅発着列車での本形式の定期運用は見られなくなった。1997年には「ちくま」が383系化、1998年には「出雲」1往復と「瀬戸」が285系化され、四国への乗り入れ運用が消滅した。「彗星」の牽引は「出雲」の牽引機の間合い運用となっていたが、2000年に彗星とあかつきの併結運転開始に伴い下関乗り入れが消滅した。これら運用の減少により、1995年から2001年にかけて初・中期PF形にあたる1011・1013 – 1030・1052・1053・1098・1099号機が廃車となり、1101・1116号機がJR貨物に譲渡された。その後しばらくは「出雲」「銀河」の牽引機として活躍したが、「出雲」は2006年3月ダイヤ改正で、「銀河」は2008年3月ダイヤ改正で廃止となった。ほぼ同時期、九州ブルトレの牽引機であった下関所属のEF66形に不具合が生じた際には代走に充てられる場合もあった。両列車の廃止以降、JR東日本の本形式は定期運用を持たない。2005年秋ごろから2007年12月まで、JR貨物所有のEF65形にATS-PF保安装置を取り付けるために不足する機関車を補うため、501号機を含む数台がJR貨物に貸し出され、貨物列車の牽引に当たった。2006年からは、冷房装置の設置工事が行われている。外見上の特徴として、避雷器後部にグレーの台形をした箱状のものが載っている。設置された車両を以下に示す。運用の減少に伴い、2006年から2008年にかけて1100・1108 - 1114号機が廃車となった。前述のように、現在は定期運用は持っておらず、工事臨時列車や配給列車の牽引を中心のほか、JR貨物の機関車に不具合が生じた際には貨物列車牽引に充当されることもある。分割民営化時から唯一高崎運転区に所属する501号機は、イベント列車の牽引にも頻繁に充当される。ジョイフルトレイン「ユーロライナー」の牽引や工臨などに充当された。民営化時は名古屋南車両所に配置されていたが、後に静岡車両区に転属した。2005年に「ユーロライナー」が消滅してからは、もっぱら工臨に充当されることが多かったが、2007年12月3日付で112号機が廃車となったことでJR東海所有分の本形式は消滅するとともに、旅客会社が所有する0番台が消滅した。全車が 下関運転所(現在の下関総合車両所)に配置されていたが、123号機のみ1988年に岡山運転区に転属した。民営化当時の旅客運用を以下に示す。牽引区間はカッコ内に示す。このほか、東海道・山陽本線での臨時列車や工臨牽引を主とし、湖西線を経由して北陸本線敦賀駅までやJR四国予讃線高松駅や土讃線琴平駅までの入線実績がある。2000年3月11日のダイヤ改正では、「あかつき」が寝台特急「彗星」と併結するに伴って牽引機をEF66形に変更した。2005年10月1日ダイヤ改正では、「なは」が「あかつき」と併結のうえ、牽引機がEF66形に変更され、定期運用を失った。ただしダイヤ改正後も、EF65形を下関運転所から関西などに送り込む際には「なは」「あかつき」の牽引機として使用されることもあった。その後も「ムーンライト山陽」「ムーンライト九州」「ムーンライト高知」「ムーンライト松山」などの臨時列車の牽引に当たることもあったが、近年運転されていない。運用の減少に伴い、2000年から2007年にかけて1093 - 1095・1119・1121 - 1123・1127・1129・1136号機がJR貨物に売却された。また、2002年には123号機が、2008年には1125号機が廃車となっている。下関総合車両所に所属する車両の特徴として、検査入場の際に下回りをグレーに塗装すると同時に、貫通扉上部のわずかな青塗装を省略およびKE70ジャンパ連結器納めを青塗装したものが見られる。これは、気密性確保の観点から貫通扉のみをステンレス製のものに交換したためであり、よく見ると青とクリームの境目が一直線になっておらず、下のクリームが少し上に突き出しているのがわかる。2009年11月から2010年9月にかけて、下関総合車両所で映像音声記録装置の取り付けが行われている。また2015年より、テールランプのレンズが順次クリアレンズに交換され、2016年3月をもって全車への施工が完了した。前述のように現在は定期運用は持っておらず、下関総合車両所に所属する10両のうち1両が岡山電車区に、4両が網干総合車両所宮原支所と吹田総合車両所京都支所に貸出の形で常駐しており、工事臨時列車や網干総合車両所や下関総合車両所などへの入場列車の牽引、団体列車(大阪 – 下関間で運転される「トワイライトエクスプレス」など)の牽引に当たることが多い。なお、ATS-P保安装置を搭載している機関車は5両(1124・1128・1132・1133・1135号機)しか在籍しておらず、京阪神地区に貸し出される機関車はこの5両に限られる。うち1124は2015年11月に「トワイライトエクスプレス」色に塗装変更されている。分割民営化直後の1988年度には、貨物列車増発に対して機関車が不足することから、国鉄清算事業団から購入した車両16両(2 - 6・8 - 10・14・17・18・20・21・38・46・52・66・69・70号機)が復活した。1988年4月の瀬戸大橋開業により、新鶴見機関区所属機による岡山から瀬戸大橋線を経由して高松までの運用が追加された。EF66形100番台の吹田機関区新製配置に伴いいったんPF形は新鶴見機関区に、500番台は高崎機関区に集約された。EF66形100番台のさらなる増備により、1990年から1991年にかけて吹田機関区と広島機関区から本形式の配置がなくなった。ほぼ同時期には、延命を図る更新工事の施工が開始される(#更新工事を参照)一方、1992年からはEF200形量産車の投入が行われ、翌1993年には国鉄分割民営化後、初となる廃車(更新工事未施工車)が発生した。1992年には予讃線貨物列車の牽引に本形式を充当するため、新鶴見機関区から岡山機関区にPF形7両(1008 - 1010・1012・1031 - 1033号機)が転属し、岡山機関区に初めてPF形が配置された。1997年には愛知機関区から本形式の配置がなくなり、高崎機関区、新鶴見機関区、岡山機関区の三区所に配置されるようになった。1998年以降EF210形量産車が落成し、2000年以降にはJR旅客会社で余剰となったPF形の譲渡を受けて0・500番台を置き換える動きが活発化している。1999年時点の運用範囲は、高崎機関区が東北本線・高崎線、新鶴見機関区が関東圏と東海道・山陽本線を経由して四国まで、岡山機関区が名古屋から下関を中心とした西日本エリアである。2002年12月のダイヤ改正では四国乗り入れ運用が岡山機関区担当に変更され、新鶴見機関区所属機関車による運用は吹田信号所以東となった。2008年3月のダイヤ改正では、JR東日本管内でのATS-P保安装置使用開始によって高崎機関区に所属する0・500番台が運用を終了した。これによってJR貨物所有の500番台は全車運用を離脱し、保留車となった535号機を除いて廃車となった。0番台のうち数両は岡山機関区に転属し、同機関区は稼働状態の0番台が所属する唯一の機関区になった。2009年3月のダイヤ改正では、EH200形の増備によって余裕が生じたEF64形に置き換えられる形で高崎機関区所属の本形式は運用を失い、同機関区から配置がなくなり、岡山機関区、新鶴見機関区に転属するものもあった。0番台が唯一所属する岡山機関区においても、新鶴見機関区へのEF210形投入で運用に余裕のできたPF形が転入して置き換えが行われた。2011年3月のダイヤ改正では、岡山機関区から本形式の配置がなくなり、新鶴見機関区に集中配置されることとなった。岡山機関区所属機のうち、ATS-PF保安装置を搭載する車両のみが新鶴見機関区に転属し、搭載しない車両は運用から離脱している。この改正で0番台は運用から離脱し、1000番台PF形のみが運用されるようになった。運用範囲も変更され、山陽本線岡山以西には入線しなくなる一方、2008年3月以来となる東海道本線吹田信号場 – 米原間での定期運用が復活している。2013年3月のダイヤ改正現在、東北本線(黒磯以南)、高崎線、鹿島線に加えて、岡山運用として東海道・山陽本線岡山以東と予讃線において定期運用を有する。JR貨物が所有するEF65形に対して、全般検査2回分(≒約10年分)の延命・更新工事が大宮車両所と広島車両所、JR西日本西日本旅客鉄道鷹取工場で行われている。0・500番台に対しては1989年から、1000番台に関しては1993年から施工された。1989年から施工された更新A工事の施工内容は以下のとおりである。更新工事を施工した機関車は未施工機と区別する必要性から車体塗装が変更されている。しかしながら、更新工事未施工車がすべて運用離脱し区別する必要がなくなり、2016年4月に検査出場した2139号機のように特急色に戻されたものもある。ライトパープルをベースにディープブルーとスカイブルーで塗り分け(3色更新色)、乗務員扉はからし色のJR貨物標準色に改められた。後に広島車両所で全般検査が行われた車両に関しては検査後も3色更新色を維持するが、大宮車両所で全般検査が施工された場合はライトパープルとディープブルー(2色更新色)になっている。0・500番台と同様に3色更新色にからし色の乗務員扉とされ、更新工事後の全般検査で2色更新色にからし色の扉というように車体塗装が区別された。しかし、2004年10月以降に施工された更新工事においては、更新出場時点から2色更新色を纏っている。そのため3色塗装の更新機は年々減少し、2011年5月12日に1058号機が大宮車両所を2色更新色で全検出場したのを最後に3色更新機は消滅した。岡山機関区配置機は広島車両所で施工された。大宮車両所とは異なり、2色更新色だが乗務員扉に加えて貫通扉もからし色という独自のデザインである。広島更新色と称することがある。また、初期に施工された1008・1010・1012・1031 - 1033号機はナンバープレートもからし色になっている。更新工事の施工車は、2009年4月現在、次のとおりである。JR貨物所有の一部の車両は、電磁給排弁を併用せずに貨物列車制動時の空走距離を短縮させるため、自動空気ブレーキ系の常用減圧促進改造が施工されている。この改造はツリアイ空気ダメの容量を縮小した上で、膨張ダメおよびJB中継弁の設置を行うものである。これはコキ50000形改造の100km/h運転対応車(250000番台)牽引に対応するもので、改造当初はナンバープレートの地色を、側面はコキ50000形250000番台の外部塗色に合わせた淡緑色、正面を青15号としたが、夜間作業等、暗い時に判別がつきにくいため、当時、試験塗装を纏っていたEF64 1010号機に倣い、赤色で区別した。1991年から1992年にかけて後述する39両に施工されたが、CLE電磁自動空気ブレーキを装備し110km/h運転が可能なコキ100系貨車の量産開始後、コキ250000で組成された編成はコキ100系への置き換えが進み、機関車も同時期に増産されたEF66形に置き換えられたため、限定仕業を解除された改造施工車は非改造機と共通の運用に充当されている。改造工事の施工車は次のとおりである。国土交通省の鉄道に関する技術上の基準を定める省令によって、100km/hを超える運転を行う車両には新たな保安装置(運転状況記録装置)の搭載が義務付けられた。この有無による、JR旅客会社とJR貨物が所有する本形式の最高速度の相違を区別するために、2012年5月からJR貨物所有の本形式に対して車両番号が元番号に1000を加算する措置が取られている。前述の常用減圧促進改造を施工された車両は、赤色プレートの上に切り抜き文字を、それ以外の車両はディープブルー色プレートの上に切り抜き文字を貼り付けている。ただし2119・2121号機は改番前のものに近い鮮やかな青色プレートの上に切り抜き文字となっている。切り抜き文字はすべて金色である。更新工事未施工車で改番が行われたのは2077・2119・2121号機のみである。一方、0番台はすでに全廃され、500番台はJR貨物所属機がすべて運用離脱しているため改番の対象とならなかった。赤色プレート以外の更新工事施工車は、改番時ディープブルー色プレートに統一されたが、2094は2015年9月の全般検査時に改番前と同色の白色プレートに変更された。文字色は金色のままである。改番工事の施工車は次のとおりである。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。