出光美術館(いでみつびじゅつかん)は、東京都千代田区丸の内及び福岡県北九州市門司区の門司港レトロ地区にある、東洋古美術を中心とした美術館である。運営は、東京の「出光美術館」が公益財団法人出光美術館、門司の「出光美術館(門司)」が公益財団法人出光佐三記念美術館。出光興産創業者である実業家・出光佐三が長年に亘り収集した美術品を展示するため、1966年(昭和41年)に開館した。帝国劇場、ならびに出光興産本社が入居する帝劇ビルの9階にあり、館内のロビーからは隣接する皇居外苑が一望できる。収集品は日本・東洋の古美術が中心で、日本や中国の絵画、書跡、陶磁などが系統的に収集されている。特色あるコレクションとしては唐津焼、仙厓義梵の書画1000点超などがある。また、ジョルジュ・ルオー、サム・フランシスなどの西洋近現代美術の収集もある。開館後も収集を継続しており、1983年には国宝の『伴大納言絵巻』を購入し、話題になった。館内は2年かけて2007年に全面改装され、通常の展示室の他に茶室朝夕菴(ちょうせきあん)、陶片資料室、ルオーとムンク専用の展示室がある。陶片資料室は1966年の開館時に陶磁器研究家小山冨士夫によって設けられ、世界各地の窯跡から発掘された陶磁器の破片が系統的に展示されている。最寄り駅が日比谷駅のため、かつてはCMにて「東京日比谷の…」と紹介していた。現在は所在地である「東京丸の内の…」と紹介している。2016年に開館50周年を迎える。出光美術館は、一時は大阪市と福岡市中央区大名の出光興産福岡支店2階にも分館を設けていた。しかし、福岡分館は出光のガソリンスタンドの真上のフロアにあったため、消防法に基づき国宝や重要文化財が展示できないままだった。2000年(平成12年)、出光興産創業の地である北九州市の要請を受け、福岡分館(福岡出光美術館)を移転する形で門司港レトロ地区にあったかつての出光の倉庫跡を改装して開館した。隣接して、創業者である出光佐三の生涯を紹介する「出光創業史料館」が併設されており、出光興産本社にあった当時の執務室が移築・再現されているほか、歴代の出光の看板・商標などが展示されている。なお、福岡分館は福岡支店の移転により取り壊され、現在はシティホテルになっている。大阪分館は2003年3月23日に閉館された。2015年(平成27年)4月より、展示環境の向上のためリニューアル工事に伴い、2016年秋まで休館する予定である。休館中は、一部展示品と特別展を北九州市旧大阪商船2階に移設し、仮営業を行っている。その他関連施設としては、東京都三鷹市に中近東文化センター、東京都目黒区青葉台の出光佐三旧邸跡に出光文化福祉財団がある。出光佐三のコレクションの一部は、彼の没後、海外流出の憂き目にあっている。数多いコレクションの中から、2003年5月にセザンヌの自画像『ポール・セザンヌの肖像』がニューヨークのオークション会社にて競売され、ラスベガスのカジノ経営者に、約20億5000万円の価格で落札された。この売却は、出光興産の株式上場をにらんだ資産圧縮のために2001年に約145億円分の美術品を売却処分したうちの一点である。出光興産一社提供番組である「題名のない音楽会」内で放送されている出光美術館のCMは、東京を含む関東広域圏を放送エリアとするテレビ朝日・テレビ朝日の放送をそのまま放送しているBS朝日(丸の内)と、北九州市近郊を放送エリアとする九州朝日放送・山口朝日放送(門司)のみで放送されている(それ以外の地域では出光興産の企業CMを放送している)。大阪分館の閉館前までは朝日放送でも放送されていた。なお、山口朝日放送開局(1993年10月)前に該当番組を放送していた山口放送では放送されなかった。出光佐三の美術品収集は、江戸時代の禅僧・仙厓義梵の書画から始まった。出光佐三は19歳の時、郷里福岡でたまたま訪れた古美術品売り立て会場で仙厓の「指月布袋画賛」(しげつほていがさん)に出会い、父親に頼んでこの作品を購入した。月を指差す布袋を軽妙なタッチで描いたこの作品は、現在も出光美術館の代表的な所蔵品の一つとなっている。以後、約千点にも及ぶ仙涯作品を収集するが、出光が仙涯は普門円通禅師という高名な禅僧だと知るのはずっと後のことで、当時はただ好きで集めたという。出光は、第二次大戦以前には、個人的に交友のあった小杉放菴(洋画家)、板谷波山(いたやはざん、陶芸家)などの作品の収集のほか、大分出身の文人画家・田能村竹田(たのむらちくでん)の作品、九州を代表する陶芸の一つである唐津焼などを収集していた。第二次大戦以後は収集の幅も広がり、東洋の古美術のみならず、フランスのフォーヴィスムの画家・ジョルジュ・ルオーや、抽象絵画のサム・フランシスの絵画もコレクションに加えられた。1966年(昭和41年)に出光美術館が開館し、1972年(昭和47年)には財団法人化された。出光美術館では館蔵品の展示のほか、「アンドレ・マルローと永遠の日本」展、「宗像・沖ノ島」展などの特別展を積極的に開催してきた。出光の収集は19歳の時から没年まで70年以上にわたって続けられた。出光が没年の1981年に入手した最後の収集品は、19歳の時に最初に入手したのと同じ仙厓の作品である『双鶴画賛』であった。この絵には「鶴は千年、亀は万年、我は天年」という賛が書き込まれており、当時95歳の出光はこの作品を最後まで座右に置いていたという。典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
出典:wikipedia
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