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柴田亜美

柴田 亜美(しばた あみ、1967年5月24日 - )は、日本の漫画家。血液型はB型。長崎県生まれ。父の柴田尚武は脳外科医(後に長崎大学医学部名誉教授)。母は鍋島藩の大奥の末裔。化け猫伝説の言い伝えが家に残っていたため、猫を買い与えられることは無かったという。1969年に父がマサチューセッツ工科大学に研究留学し、それを追う形で1970年に家族で渡米、その後カナダのモントリオールに移り住むものの1972年に帰国。小学校時代から絵画教室に通っていたが、中学校に入る直前あたりから本格的に漫画を書き始めるようになった。初めて完成させた作品は『邪鬼郎』というタイトルで、『柴田亜美のほん2』で「12-13歳の頃に初めて描いた漫画」として公開されている。1982年、長崎県立長崎西高等学校に入学。この頃には油絵の絵画教室に通い始め、1983年からは学校の長期休暇の際に、美大の予備校(河合塾美術研究所)に通うため上京するようになる。この時期、音楽雑誌『音楽専科』の似顔絵コーナーで入選を受賞し、翌1984年に同誌の別冊であるロック漫画誌『8ビート・ギャグ』にて漫画を執筆し始め、志摩あつこらと並び人気を得る。この他にも他社の洋楽雑誌でイラストなどを描いていたが、「コンサートのタダ券ほしさに描いていたため、プロのマンガ家になる気はなかった」。1985年、武蔵野美術大学短期大学美術科に入学する。1987年、同大学の専攻科に編入。1988年に卒業し、アートアドバイザーとして銀座の画廊に就職するも半年で退職し、1989年、リクルートの関連会社にイラストレーターとして就職した。1990年に友人の勧めで『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』に執筆を始め、ドラゴンクエストの世界観とは相容れない「ニセ勇者」シリーズを執筆して人気を博す。同年6月には「ソードマスター剣王伝説」でエニックスファンタジーコミック大賞奨励賞を受賞。ただし、当時はまだプロとしてやっていく気はなく、創刊企画時の『月刊少年ガンガン』からの度重なる執筆依頼を断っていたという。しかし、私生活上で嫌なことがありヤケになっていた時に、渋谷の路上でエニックスの編集者から「漫画を描かないか」と声をかけられ、思わず頷いてしまったことからプロになる決意を固めた(柴田亜美・エニックスナンパ事件とも言われている出来事)。1991年に『月刊少年ガンガン』創刊号にて、「南国少年パプワくん」の連載を開始。2話目までは会社勤務と漫画連載を平行していたが、連載3話目以降は時間的に両立させるのが難しくなり会社を退職、漫画家の専業となる。「南国少年パプワくん」はアニメ化されるなどのヒット作となり、藤原カムイ、衛藤ヒロユキらと共に『月刊少年ガンガン』初期の牽引役となった。その後エニックス(現スクウェア・エニックス)、集英社、講談社、小学館、アスキー(現エンターブレイン)、竹書房などでの連載経験を持つ。2012年に『カミヨミ』の連載を終了して以降は、創作作品からは一旦離れ、エッセイ漫画の連載をメインの仕事としている。自画像(自作に自分を出す場合)は基本的には普通の人間だが、要所要所で何の説明もなくデフォルメキャラに切り替わる。エッセイ的な漫画を書き始めた頃はタコが多かったが、ドキばぐシリーズ以降はタヌキが多い。なお、このタヌキは、耳が確かにあるものの、口先が細長く、見る人によってはキツネにしか見えないため、ドキばぐシリーズの連載で交友が生まれたゲームデザイナーが内緒で『真・女神転生 デビルチルドレン 黒の書・赤の書』に柴田と担当編集をゲスト出演させた際に「キツネのナマモノ」と説明するという凡ミスが起きている。また、作者の漫画の中で犬の名前によく「チャッピー」が使われるのは、子供の頃作者が兄からチャッピーと呼ばれていたため。なぜチャッピーなのかは不明。漫画家の中でもかなりの速筆。イラストレイター時代に大量にイラストを描いていた経験によるものだという。1990年代初頭から中盤にかけては、多い時には月刊誌に100ページ超の作品を掲載したことに加え、複数の雑誌で掛け持ち連載をしていた。だが本人がネタにしている通り、仕事を安易に引き受けすぎ結局締切に間に合わず、時折印刷所を止めることがあり、落とすことも割とあった。体調を崩しかけた為、2000年代後半あたりからは仕事量を抑えている。保護団体「ALMA(アルマ)」に保護された犬の預かり、いわゆる保護活動をボランティアとして行っている。2005年のひろしまドッグぱーく事件を機に興味を持ったという。2016年現在伽羅という名前の犬を飼っている。以前は茶壷、楽という名前の犬も飼っていたが、楽は2012年に他界した蛍と同じく、年齢によって引き取り手がいないと危惧されたことから柴田自身が引き取ることになり、その後2016年2月に他界、茶壷もまた2016年4月に他界した。一時預かりを含め、飼い犬たちとの日常をブログにて公開している。声優の緑川光とは親友であり、お互いが新人だった頃(時期的に『南国少年パプワくん』の頃)によく電話で「俺は100作品の声優をするから、柴田さんは100冊単行本出しなよ!」と、共に野望を語り合った(柴田本人のブログにも掲載されている)。『南国少年パプワくん』の連載時、もう1人のシンタローの名称を「金髪だから金太郎です」と言ったところ柴田自身がそれを気に入り、もう1人のシンタローの名前が「キンタロー」になった(『勇者への道』より)。『カミヨミ』ドラマCDでの雑誌インタビューでは「柴田先生から『上手くなったね』と言ってもらいたくて頑張りました」と語った。また、柴田は緑川のことを「数少ない友人」と漫画の中で語っている。ドキばぐの連載が縁で、多数のゲームクリエイターと交流がある。中裕司とは、雑誌の担当編集者を含め3人旅もしたことがある。また、ある年のとあるレストランで開かれた柴田の誕生日パーティーには、多数の著名なゲームクリエーターが参加した。その後、柴田の自宅で二次会を開いたときには、中裕司、岡本吉起、小島秀夫、松野泰己らが参加し、一緒に「ファンタシースターオンライン」を楽しんだという。2009年1月30日号のファミ通で行われた小島秀夫と名越稔洋との対談で、「僕たちが初めて出会ったのは柴田先生の飲み会に誘われたとき」というエピソードが語られた。また名越は柴田の紹介で多くのクリエーターと交流を持てたことから、「今考えると柴田先生の功績ってすごい」と語った。

出典:wikipedia

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