『キャプテン翼』(キャプテンつばさ)は、高橋陽一による日本のサッカー漫画。および、それを原作にした派生作品。サッカーに打ち込む少年達の姿を描き、連載時に日本国内でサッカーブームを起こすと、後にプロサッカー選手となる多くの選手達に影響を与えた。略称は「キャプ翼」(キャプつば)、「C翼」。「ボールは友達」が信条の主人公・大空翼の活躍と成長を描いたサッカー漫画である。サッカーの楽しみや魅力を伝えることに重点が置かれた爽やかな作風は、従来のスポ根漫画に代わる新しいスタイルのスポーツ漫画として読者に受け入れられた。1983年にアニメ化されると日本国内でサッカーブームを起こし、それまでマイナーな競技と見做されていたサッカーの人気と競技人口拡大に寄与した。Jリーグ発足に伴うサッカー人気の高まりにより連載が再開され、1994年から1997年までFIFAワールドユース選手権での活躍を描いた『キャプテン翼 ワールドユース編』が連載された。2000年代に入ると掲載誌を『週刊ヤングジャンプ』に移し、2002 FIFAワールドカップ開催に合わせる形で2001年から2004年まで『キャプテン翼 ROAD TO 2002』、2005年から2008年までは『キャプテン翼 GOLDEN-23』、2009年から2011年までは『キャプテン翼 海外激闘編』が連載された。2013年からは掲載誌を『グランドジャンプ』に移し『キャプテン翼 ライジングサン』を連載している。これらの作品では、翼たち主要登場人物たちがスペイン、イタリア、ドイツ、日本などの各国リーグのプロ選手として活躍する姿が描かれている。2007年11月までに出版された全シリーズの日本国内累計発行部数が、単行本・文庫本合わせて7,000万部を突破した。また、国外での累計販売部数は、正式に出版契約を交わしている翻訳本で約1,000万部。作者の高橋は少年時代に『巨人の星』や『あしたのジョー』などといったスポーツ漫画に影響を受けて漫画を描き始め、高校時代には軟式野球部に所属していた。その高橋がサッカーに注目するようになったのは、高校3年生の時にアルゼンチンで開催された1978 FIFAワールドカップをテレビで観戦したことがきっかけである。高橋によると「少年時代からサッカーという競技は知っていたが、この大会をテレビ観戦して改めてサッカーの面白さを認識した」という。高校卒業と同時に漫画家を志し自身がプレー経験のある野球と他の新人が採用しない題材としてサッカーを選び交互に作品を制作していたが、サッカーを漫画の題材として選んだ理由について高橋は「野球漫画といえば漫画の王道であり、多くの作家によって描き尽くされていた。新人の自分は他の作家の手を出さない題材としてサッカーを選んだ」と語っている。1980年にサッカーを題材とした『キャプテン翼』で月例賞で入選し、同年18号に読切として掲載され漫画家デビューを果たした。なおこの作品は中学サッカーを題材としており、主人公の名前は「翼太郎」であるが、「南葛」「修哲」「若林」「石崎」といった、後の連載版のベースとなる設定や登場人物も登場した。この作品を基にして連載化するにあたり高橋は、読切短編と同様に中学生を主人公とした設定や、山奥に住む自然児を主人公にした設定を考案したが構想に行き詰まり、3度目で後の作品へと繋がる「サッカーに情熱を燃やす小学生」を主人公とした構想へと転換したという。連載開始時にあたる1980年代初頭の日本サッカー界は、サッカー日本代表がFIFAワールドカップ予選やオリンピック予選での早期敗退が続き、日本サッカーリーグの人気が低迷するなど、いわゆる「冬の時代」と呼ばれる時期だった。長い伝統と充実した練習環境を有する欧米のサッカー界に対して、日本にはプロサッカーリーグは存在せず練習設備や育成システムに立ち遅れ、代表チームがFIFAワールドカップへの出場が叶わないことは無理もないと考えられるなど、世界と日本との間には距離感が存在したともいう。その一方で日本サッカー界全体としては競技を普及させるために各地に少年サッカークラブや、従来の学校スポーツの枠組みとは異なる読売クラブや三菱養和SCのようなクラブチームが誕生し、静岡県清水市(後の静岡市清水区)のように大人から子供まで町ぐるみで選手育成に取り組む動きがあった。こうした点について、元『週刊少年ジャンプ』編集長の西村繁男は「冬の時代とはいうが、日本国内において人気が盛り上がる土壌は築かれつつあった」と指摘している。この作品では、読者にサッカーの魅力を伝えるために世界のサッカーを意識し、登場人物達に世界のトップ選手顔負けの超人的なプレーを実践させた。これは、連載当初の読者アンケートの結果が不調だったことを受けて、第4話の原稿を全て書き直して翼が「オーバーヘッドキック」をプレーする場面を掲載したところ読者の反響があったためなのだという。第4話のアンケート結果が好評だったこともあり、高橋は「ストーリー構成も大事だが、読者は単純なスーパープレーを求めている」と考え、連載を続けるにあたっての手応えを掴み、意図的に超人的なプレーを描くようになった。また、当時は「サッカー漫画はヒットしない」という定説があり、野球漫画とは異なり参考となり得る作品が少なかったことなどから、サッカーという競技を作品内でいかに表現するかに苦慮した。高橋によれば「野球ではルール上の制約が多いのに対し、サッカーでは極端に言えば90分間は自分の判断で何のプレーを選択しても構わない。制約もなく、自分の発想で試合を構築することが出来る。その違いを漫画として表現できれば良いと考えた」といい、第4話での「オーバーヘッドキック」への反響と、最初の試合となった「南葛小対修哲小の対抗戦」を描き切ったことが連載を継続する上で自信に繋がったと語っている。高橋の証言にある通り作品が進行するに従いゴールポストの反動を利用したジャンプ技、コンクリート壁を破壊する威力を持つ「タイガーショット」、往年の『アストロ球団』を彷彿とさせる「スカイラブハリケーン」などの超人的な描写が周期的に登場するようになった。一方、物語自体は一連のスーパープレーのみに依存して進行するのではなく、根幹には翼をはじめとした主要登場人物とその仲間らが織りなす奮闘する姿勢が存在する。スーパープレーの描写により作品に彩りを添えつつ個々の奮闘精神やそれに基づいたプレーとを交互させることでバランスを保ち、超人ではなく普通の人間であることを前提として試合全体の流れを着地させていく正統的なスポーツ漫画に近しい作品として描かれた。スポーツ漫画では、一つのページの中で個々に独立したコマをいかに連続性のあるものとして関係付けるのか、実際には動くことがない平面な絵を画面描写により動的なものとして表現するのかが焦点となるとされているが、この作品では漫画の基本である「コマ割り」を大きく崩した表現手法を多用することでサッカー競技の持つ流動性やダイナミックな動きを表現しようと試みられた。一例をあげると以下のようなものである。関西大学教授の杉本厚夫によれば、こうした手法は往年のスポ根の代表作である『巨人の星』や『あしたのジョー』、あるいは1990年代にバスケットボールを扱って人気を獲得した『SLAM DUNK』では見られないという。連載当時の1980年代のスポーツ界は少年スポーツが盛んになった時期であり、それと同時に指導者の強い管理下に置かれ旧来的な指導が行われていた時期であるが、杉本は「コマ割り」を大きく崩した表現手法を多用することで従来の堅苦しく暑苦しいスポーツの既成概念を漫画表現を通じて打破する、重圧感を打ち破る隠喩として用いたのではないかと指摘している。この作品では『週刊少年ジャンプ』の中心テーマである「友情・努力・勝利」の要素を押さえ、「チームメイトやライバルとの友情と交流」、「誰からの強制でない『スポーツを楽しむ』ための自発的努力」、「全国大会や国際大会という舞台で技を競い合い勝利を目指す」といった要素が描かれている。天性の才能を有し難易度の高い技術も容易く身に付けることができる主人公・大空翼に対しては彼の柔和な気質もあり賞賛が与えられている。彼の周囲からは従来の「スポ根」では定番ともいえる「泥臭さ」「苦行」といった要素は排除され、ひたすら好きなサッカーのため、楽しみのために技術を磨き「プロサッカー選手になり、日本代表をFIFAワールドカップで優勝に導く」という単純明快かつ大きな目標を掲げている。その一方で天才型の主人公に対し、同世代の最大のライバルである日向小次郎については小学生編では貧困から抜け出す手段として家計を助けながら練習に取り組む姿が、中学生編では血のにじむような秘密特訓に励み必殺シュート「タイガーショット」を編み出す姿が描かれている。また、ライバルの一人である松山光についても雪国という練習環境や才能の欠如を努力によって補おうと練習に励むなど、努力型の主人公が描かれる傾向があった従来の「スポ根」の構造を逆転させている。こうしたキャラクター造形やストーリー構成について作者の高橋は水島新司の野球漫画『ドカベン』を参考に野球からサッカーへと置き換えたものだと語っており、三ツ谷誠著の『「少年ジャンプ」資本主義』では「南葛を『ドカベン』における明訓高校、大空翼と岬太郎を山田太郎と里中智だと考えれば構造は更に似てくる」としている。さらに三ツ谷は両作品の相違点について「『ドカベン』では個々のキャラクターが陰影を抱えているのに対し、『キャプテン翼』では人生の重さや不条理といった影は薄くなっており、翼を始めとした向日性豊かなキャラクター群に抑えられている。かつまた、サッカーという競技自体の面白さや魅力を前面に押し出しているため、それぞれの人生などというものはストーリーに花を添えるもの、書割にしかなっていない」と指摘している。1981年 - 1988年、『週刊少年ジャンプ』に連載された第1作、ジャンプコミックス全37巻。本編に明記された章立てではないが、それぞれ小学生全国大会、中学生全国大会、ジュニアユース大会での戦いが展開され、最後に翼がブラジルへ旅立つまでが描かれている。1993年、『週刊少年ジャンプ』短期連載、全1巻。第1作の連載終了後、5年の歳月を経過して短期連載された。高校選手権終了後、全日本ユースとオランダユースの親善試合が行われるが第1戦、第2戦とオランダに大敗。第3戦ではブラジルから帰国した翼がチームに合流し反撃に出る。一方、この試合ではオランダユース真のキャプテン、ブライアン・クライフォートが出場しておらず、その影を「ワールドユース編」への足がかりとしている。元々は独立したエピソードだったが、単行本化の際に一部加筆されワールドユース特別編と位置付けられた。1994年 - 1997年、『週刊少年ジャンプ』連載、全18巻。フランス国際Jr.ユース大会から3年後が舞台。中学卒業後にブラジルでプロサッカー選手になった翼が日本に帰国し、新たに葵新伍を加えた全日本ユースのキャプテンとして再び世界に挑む。作品後半では前作で対戦したシュナイダー、ピエール、ディアスといった世界のライバルが再登場したものの彼らの活躍は詳述されず、連載前からの因縁があったオランダユース戦を見開き2ページで試合結果のみを掲載するなど、急ぎ足での展開となった。エピローグの部分は単行本で大幅に加筆された。2001年 - 2004年、『週刊ヤングジャンプ』連載、全15巻。ワールドユース選手権終了後のプロサッカーの世界が舞台となり、主要登場人物の各所属リーグでの活躍を描く。翼はリーガ・エスパニョーラのバルセロナに移籍するが、10番を背負うリバウールとのポジション争いに敗れBチームに降格。若林はハンブルクの正GKとしてシュナイダーらを擁するB・ミュンヘンとの一戦に挑むも、試合時の判断を巡り監督と衝突。日向はユベントスへ移籍しリーグデビューを果たすも、世界トップレベルの選手達に圧倒されるなど挫折を経験する。一方、日本国内では岬や三杉や松山らがJリーグのクラブへと入団してポジションを獲得、プロの舞台で互いにしのぎを削りあう。その後、翼はトップチーム再昇格を果たしナトゥレーザを擁するR・マドリッドとのエル・クラシコに出場する。2005年 - 2008年、『週刊ヤングジャンプ』連載、全12巻。『ROAD TO 2002』で描かれたエル・クラシコから一週間後のストーリー。U-22日本代表は吉良耕三監督の指揮の下で海外組を招集せず、日本国内に残る「黄金世代」を中心にオリンピック出場を目指す。これにフットサル日本代表の古川洸太郎や風見信之介、アルゼンチン帰りの井川岳人といった新メンバーが加わり黄金世代に挑む。ワールドユース前に負った怪我の影響のため海外組に後れを取った岬のオリンピック出場に賭ける決意、ハンブルクで出場機会を失った若林の去就、翼のバルセロナでの活躍も描かれている。『週刊ヤングジャンプ』2009年23号 - 47号まで連載、全2巻。日向小次郎は出場機会を得るためにセリエC1のレッジアーナへ期限付き移籍をする。一方、葵新伍はインテルでのトップチーム昇格はならず同じくセリエC1のへ入団し、両者はセリエB昇格を賭けた試合で対戦する。また、赤嶺真紀も女子ソフトボールのオリンピック代表候補として再登場する。『週刊ヤングジャンプ』2010年11号から2011年21号および、最終章として2012年16号から同年19号まで掲載、全6巻。リーグ優勝を目指す翼の所属するバルセロナの激闘の模様を描く。リバウールに代わってトップ下のポジションに定着した翼は敵地・マドリッドで行われるエル・クラシコに出場しナトゥレーザとの再戦に挑むが、その試合を牧師のミカエルが見つめる。試合終了後、ミカエルはサッカー界への復帰を決意しヌマンシアへ入団すると実力の片鱗を見せる。『グランドジャンプ』2014年3号から連載。バルセロナでリーグ優勝を果たした翼がU-23日本代表のキャプテンとしてオリンピック優勝を目指すストーリーとなる。1984年、『フレッシュジャンプ』5月号、6月号に掲載(前後編)。岬太郎を主人公とした番外編であり短編集VOL.2に表題作として収録され、のちに第1作の文庫版7巻や『GOLDEN-23』12巻にも収録された。南葛SCでの全国大会優勝から1か月後、南葛市から引っ越した岬は転校先の西峰小でも活躍を続ける。一方で父・岬一郎は別れた妻・由美子と再会を果たし、彼女から岬を引き取りたいとの申し出を受ける。葛藤する岬親子だが一郎の絵画の修業のため共にフランスへ旅立つ、といった内容が描かれている。本編のストーリーとは繋がらない番外編として描かれた短編作品を収録。なお、ほぼ全ての作品において試合の結末は描かれておらず、フェードアウトの形で終了している。『週刊少年ジャンプ』1980年18号に掲載。少年ジャンプの「第10回フレッシュジャンプ賞」に入選したことにより掲載が決まった。南葛中学の翼太郎は修哲中学の若林源三とは幼馴染だが、サッカーの才能に恵まれ名門中学に進学した若林に一度も勝ったことはない。ある日、幼馴染で南葛のマネージャーのアキが若林から交際を申し込まれていることを知る。太郎は中学生選手権の地区予選決勝で若林率いる修哲中学と対戦し、彼から得点を奪うことに執念を見せる、といった内容が描かれている。短編集VOL.1『100Mジャンパー』に収録された。1985年8月10日に刊行された別冊『キャプテン翼熱闘スペシャル』に「夢のブラジル・プロデビューの巻」と題して掲載。ブラジルプロ1部リーグの舞台でサンパウロFCの新監督・ロベルト本郷は日本人選手の大空翼を起用。日本人初のブラジルプロデビューを果たすと同時に初得点を決め、周囲の期待に応えるが夢オチで終わる。『月刊ヤングジャンプ』2008年8月号から9月号に掲載。海外組を招集したU-23日本代表はオリンピックの壮行試合として広島ビッグアーチでUEFA欧州選手権優勝国のギリシャと対戦。日本はブンデスリーガ得点王のカゲスを擁するギリシャに苦戦するも後半に入り翼を起点に反撃に転じる、といった内容が描かれている。『キャプテン翼 GOLDEN-23』12巻に収録された。『週刊少年ジャンプ』2008年36号に掲載。少年ジャンプの40周年を記念した企画の一つとして掲載された。『キャプテン翼 海外激闘編 EN LA LIGA』2巻特装版の小冊子に収録。翼たち南葛SCが全日本少年サッカー大会で優勝した直後が舞台となっている。ロベルトや若林が旅立ち、元気のなくなった翼を励まそうと元南葛SCのメンバーらが集まり、若林の一時帰国を翼に知らせたところ、翼が南葛小VS修哲小の対抗戦2NDステージを発案。浦辺、岸田、および全日本少年サッカー大会で知り合ったメンバーがゲストプレーヤーとして招待された。『月刊ヤングジャンプ』2010年6月号に掲載。EXILEとのコラボ作品。アルゼンチンと翼率いる日本代表との、W杯に向けた国内最終テストマッチの前半終了後、ハーフタイムショーでEXILEが登場し、サッカー日本代表応援ソング「VICTORY」を歌う。小学生編や中学生編では静岡県南葛市という架空の都市を舞台としているが、「南葛市」「南葛SC」「南葛中学校」などの名称は高橋の出身校である東京都立南葛飾高等学校(東京都葛飾区)に、若林らが小学校時代に所属していた「修哲小学校」の名称は修徳高等学校に因んでいる。この他にも作品内には土手のある河川敷など、葛飾区内の風景が色濃く描写されているという。小学生編の全日本少年サッカー大会の会場としてよみうりランドのサッカー場でのプレーが描かれたが実際の大会においても2000年代まで、このサッカー場が使用された。中学生編の第16回全国中学生サッカー大会の会場としてさいたま市大宮公園サッカー場(当時の名称は埼玉県営大宮公園サッカー場)でのプレーが描かれた。実在の全国中学校サッカー大会では1970年の第1回大会から1981年の第12回大会までは同サッカー場をメイン会場として使用していたが、第13回大会からは単一の会場ではなく地域ブロックによる持ち回り制に変更している。高橋は「連載当時の国内では数少ないサッカー専用スタジアムであり、ピッチとスタンドの距離が近いため試合が観やすく、漫画にする際には描きやすかった」と評している。また、続編の『キャプテン翼 ROAD TO 2002』以降はスペインのバルセロナを舞台にしているが、これについて高橋は「自分がスペインが好きだった」「1998年にフランスで行われた1998 FIFAワールドカップを観戦に訪れた際に、フランス国内で宿が確保できず、バルセロナのホテルに宿泊した。バルセロナ滞在中にカンプ・ノウスタジアムを訪れたところ「翼がここで毎試合プレーをしたら楽しいだろう」とイメージが湧いた」ことを理由に挙げている。1981年から1988年にかけての『キャプテン翼』連載時には少年少女を問わず反響があり、1983年に開始されたテレビアニメの影響もあって、サッカーブームが到来した。子供たちは作品内に登場する「オーバーヘッドキック 」「ドライブシュート」「翼と岬のコンビネーションプレー」「タイガーショット」「スカイラブハリケーン」などのプレーを実際に模倣し、スポーツ用品店からはサッカーボールが品切れとなり、サッカー少年団への入部希望者が急増するなどの社会現象が発生した。この作品に影響され、サッカーを始めた少年たちは数多く存在しており、連載開始時の1981年に行われた調査では日本サッカー協会に登録された小学生の選手数は約11万人だったのに対し、連載終了時の1988年に行われた調査では約2倍となる24万人に増加した。当時のサッカーブームについてサッカー解説者であり指導者のセルジオ越後は次のように評している。以下の単行本に収録されている。特記のない限り高橋陽一名義、集英社刊。これまでテレビアニメが3回、映画が5回、OVAが1回、発表されている。1983年から放送された第1作目のアニメでは原作『キャプテン翼』の小学生編から中学生編までが描かれたが、テレビ東京開局以来のヒットと称され最高視聴率21.2%を記録し、日本国内にサッカーブームを起こした。また、世界50か国以上でテレビ放送されるなど世界中で親しまれている。1994年から放送された第2作目のアニメでは原作の『キャプテン翼』小学生編から『キャプテン翼 ワールドユース編』のアジアユース編まで、2001年から放送された第3作目のアニメでは原作の『キャプテン翼』、『キャプテン翼 ワールドユース編』の一部、『キャプテン翼 ROAD TO 2002』の一部に相当するエピソードが描かれた。1985年から1986年に公開された4本の映画は全てオリジナル作品で、原作『キャプテン翼』の小学生編から中学生編の時期を舞台に全日本選抜と外国チームとの対決が描かれた。1989年から1990年にかけて発売されたOVAでは原作の『キャプテン翼』のジュニアユース編に相当するエピソードが描かれ、1994年に「ジャンプ・スーパーアニメツアー'94」のために製作された映画では「最強の敵!オランダユース」編が描かれた。ゲーム版は1988年4月28日にテクモから発売されたファミリーコンピュータ専用ソフト『キャプテン翼』を皮切りにバンダイやコナミから複数のシリーズが発売された。また、携帯電話向け事業を扱うKLabからもソーシャルゲームサービスが提供されている。その多くは原作漫画に準拠した内容だが、1990年代に発売されたテクモ版のシリーズ作品は原作漫画の終了後のオリジナルストーリー、オリジナルキャラクター、オリジナル必殺シュート、オリジナルの名セリフが描かれるなど独自の進化を遂げ、一部ファンの間で支持を集めたといわれている。小説版は第1巻が2013年12月5日に集英社みらい文庫より刊行された。この作品は翼らの小学生時代の活躍を描いたもので、執筆は『おおかみこどもの雨と雪』のアニメ絵本を手がけたワダヒトミが担当している。なお、2014 FIFAワールドカップが開催される2014年6月までに全3巻が刊行された。『キャプテン翼』が登場する以前にはサッカー漫画やサッカーを題材とした作品は少なからず存在し、1970年代初頭に『赤き血のイレブン』が人気作品となったが一過性の流れに過ぎず、漫画界においてサッカーを題材とした作品は減少していた。そうした時代背景の中、この作品が登場しサッカー競技者だけでなく一般の読者に対してもサッカーの基礎的なルール、ポジション、技術、戦術を掲示する技術書的な役割を果たし、後のサッカー漫画の先鞭を着ける形となった。また、日本国内において培われてきたアクション漫画やスポーツ漫画の手法を取り入れアレンジすることで、競技と漫画との表現の相性が芳しくなく未開拓分野と呼ばれていたサッカー漫画のスタイルを確立した。2008年8月、ニンテンドーDS用サッカーRPG『イナズマイレブン』が発売された。この作品は、『キャプテン翼』が1980年代にサッカーブームを起こし、数多くのサッカー選手を生み出したことに因み、「ターゲット層である子供達の中から将来の日本代表選手を生み出す」ことを企図したものであり、ゲームソフトを中心に漫画、アニメ、カードゲームなどのメディアミックス展開を実施した。この作品は『キャプテン翼』に影響を受けて育った世代の子供に相当する小学生の間で人気を獲得した。元サッカー日本代表の中田英寿や川口能活などの日本代表経験者を筆頭に、団塊ジュニア以降の世代には『キャプテン翼』の影響でサッカーを始めたことを公言する選手が数多く存在する。本作品の影響は日本だけに留まらず、世界各国に及んでおり、元フランス代表のジネディーヌ・ジダンやティエリ・アンリやセバスティアン・フレイ、元イタリア代表のアレッサンドロ・デルピエロやフランチェスコ・トッティやジェンナーロ・ガットゥーゾやジャンルカ・ザンブロッタやフィリッポ・インザーギ、アルゼンチン代表のリオネル・メッシやセルヒオ・アグエロ、ブラジル代表のカカ、スペイン代表のフェルナンド・トーレスやアンドレス・イニエスタや元代表のシャビ、チリ代表のアレクシス・サンチェス、コロンビア代表のハメス・ロドリゲスらがファンであることや影響を受けたことを公言している。日本のサッカー界ではミッドフィールダーに人材が集まる傾向があり、フォワードの人材難という問題を引き起こしているが、その問題の要因には『キャプテン翼』が関連しているのではないかとの指摘がある。作品内で翼はロベルト本郷の教えに従い中学に進学するとセンターフォワードから攻撃的MFに転向したが、高橋はこの転向の理由について「中盤にポジションを移せばボールに触れる機会が増えるし、1980年代当時はアルゼンチンのディエゴ・マラドーナやブラジルのジーコらといったスター選手が、このポジションで活躍していた」ことを挙げている。こうした問題について「新たなフォワードの人気キャラクターを創出し、子供達の憧れの対象とすることで解決すべきだ」とする指摘があり、高橋は2002年にフォワードを主人公とした『ハングリーハート WILD STRIKER』(週刊少年チャンピオン)を連載。2005年から2008年に連載された『キャプテン翼 GOLDEN-23』では、スポーツライターの乙武洋匡からの「将来、日本の得点力不足が解消されるようなフォワードを描いてほしい」との依頼に応じて、主要登場人物の1人である若島津健をゴールキーパーからフォワードへ転向させた。2001年から連載された『キャプテン翼 ROAD TO 2002』では主人公の大空翼がスペインのFCバルセロナでプレーする姿が描かれた。当初は、FCバルセロナをもじった架空のクラブ「バルセロナ」に所属する設定だったが、実際のFCバルセロナへ翼を移籍させ、公式に翼をFCバルセロナの選手にするコラボレーションが企画された。2004年1月に高橋がクラブに招待され、ジョアン・ラポルタ会長(当時)との間で翼の入団会見が執り行われると、翌日の地元紙ではこの模様が一面で報じられるなど、反響を呼んだ。これに対して、FCバルセロナと伝統的にライバル関係にあるレアル・マドリードの幹部が「なぜ、我がクラブに翼を入団させなかったのか」と高橋に抗議したと言われている。FC東京のサポーター達は、本作品の主要登場人物である三杉淳が東京都の「武蔵FC」出身ということもあり、彼の女性ファンが作品内で持参していた「三杉淳ファンクラブ」という横断幕をスタジアム内で掲げ、1999年頃から三杉を実際に入団させようとする活動を始めた。こうした活動を受けてクラブ側は2001年3月10日に行われた東京ヴェルディ1969との開幕戦において、三杉を特別招待するイベントを開催した。2005年には、この作品にちなんだ芸能人女子フットサルチーム「南葛YJシューターズ」(後に南葛シューターズと改称)が結成され、芸能人女子フットサルリーグ「スフィアリーグ」に参加。作者の高橋が監督を務めている。2013年12月14日、作者の高橋の地元である東京都葛飾区に翼らが小学校時代に所属していた選抜チームにちなんだ「南葛SC」というサッカークラブが結成された。同クラブは後援会長を務める高橋の提案により東京都社会人サッカーリーグ3部に所属していたサッカークラブ「葛飾ヴィトアード」を改称したもので、ユニフォームも原作漫画と同じ白地に青いラインの入ったデザインに変更された。総監督には元修徳高等学校監督の向笠実が就任し、2020年までのJ3リーグ昇格を目標として掲げている。2014年1月19日、コンサドーレ札幌は本作品の主要登場人物である松山光の正式入団を発表し背番号36を与えた。また、同クラブの運営会社・北海道フットボールクラブ代表取締役社長の野々村芳和は、松山の入団に伴い「松山光プロジェクト」と題した選手育成プロジェクトをスタートする方針を示した。このプロジェクトは集った支援金を基に育成費やチーム強化費に充て、北海道から松山のような日本を代表する選手を輩出することを企図したものである。本作品は世界各国で翻訳されており、集英社が出版権契約を結んだ10か国以外の国においても海賊版が出回るなど、相当数の国家で愛読されていると推定されている。 またアニメ版はアメリカ合衆国では『フラッシュ・キッカー』("Flash Kicker")、イタリアでは『オーリ・エ・ベンジ』("Holly e Benji")、スペインでは『オリベル・イ・ベンヒ』("Oliver y Benji")、フランスでは『オリーヴ・エ・トム』("Olive et Tom")といった題名で世界各国で放送され人気を獲得している。この他に、2001年3月にフランスのサッカー雑誌『フランス・フットボール』の表紙を飾ったこともある。2001年に公開された香港映画『少林サッカー』は登場人物が少林拳を駆使してサッカーの試合に挑む内容であり、超人的なプレーが数多く登場するのが特徴だが、監督兼主演俳優の周星馳は「『キャプテン翼』にインスピレーションを得たものであり、サッカーとカンフーを組み合わせるアイデアは長年に渡って温めていた。しかし、それは漫画でのみ可能な表現で、今日のようにCG技術が発達するまで待たなければならなかった」と発言している。イラク戦争の復興支援として、2004年(平成16年)1月に日本の自衛隊による国際連合平和維持活動派遣が始まったが、首都バクダット東南部に位置するサマーワでは、日本とイラクの友好関係をアピールする目的として、外務省のODAにより支給された給水車に高橋陽一と集英社の許可を取り付けた上で『キャプテン翼』のイラストが描かれた。これはイラクでサッカー人気が高いことや、同作品が『キャプテン・マージド』 (Captain Majed) という題名で中東全域で広く知られていたことに由来している。2006年には国際交流基金は外務省の協力を得て、イラク・メディア・ネットワークに対し、テレビアニメのアラビア語吹き替え版を無償提供した。2016年8月、ブラジルではリオデジャネイロオリンピックが開催されたが、閉会式では2020年の東京オリンピックを紹介する演目「トーキョーショー」が披露された。この演目においてイメージ映像が流れた際、『ドラえもん』、『ハローキティ』、『パックマン』、『スーパーマリオブラザーズ』などの日本のアニメ・ゲーム作品と共に本作品の登場人物が登場。翼や岬太郎がツインシュートを行う場面や、リオデジャネイロへ赤いボールを届けるリレーの中で、翼がオーバーヘッドキックでボールを繋げる場面が描かれた。1980年代の『キャプテン翼』連載当時、女性読者を中心に、「キャプ翼もの」と呼ばれる本作を題材とした同人誌(二次創作)がブームになった。その多くはいわゆる「やおい」であり一般的なパロディとも異なり、登場人物同士による同性愛的な関係を扱った内容が多く、『週刊少年ジャンプ』の担当編集者は創作者に対して1987年9号の目次コメントにおいて「これ以上キャラを傷つけないで下さい」と自重を求めた。これは登場人物間の友情や信頼、あるいはライバル間の敵対心や執着心を恋愛感情に読み換えたことによるもので、本作品のほかにも「友情・努力・勝利」を中心テーマとした『週刊少年ジャンプ』の作品が題材として取りあげられる傾向が強い。精神科医の斎藤環は一連の現象について「女性おたくにとってのセクシュアリティとは何かを考える上で、きわめて示唆的な現象といえる」、社会学者の宮台真司らは「関係のインフレ」と評している。なお、本作品の二次創作化については漫画原作よりも配色や声や動作が加味され、固定的なイメージが得やすいアニメ版からの影響が強いことが指摘されている。元日本サッカー協会会長の川淵三郎は本作品の後世への影響について次のように評している。前述のように、本作品は世界のトップ選手顔負けのスーパープレーが描かれることが特徴的であるが、こうした手法について荒唐無稽なものと評するサッカーメディアもある。一方でプロサッカー選手の本山雅志は次のように評している。また、元スペイン代表のシャビは個性豊かな登場人物がさまざまな得意技を持っていたことが本作品の魅力だったとした上で、「さすがに技を習得することは出来なかったが、これらのスペクタクルなプレーが多く出てきたからこそ、サッカーへの情熱を高めるきっかけとなった」と評している。1980年代を通じたスポーツ漫画の傾向について社会学者の宮台真司らは「1960年代的な課題達成の物語が薄れ、友情という名の『無害な共同性』ものが急上昇する動きがあった」と評し、その典型例として本作品を挙げているが、東京学芸大学教授の松田恵示は次のように評している。さらに松田は泥臭さを廃する傾向について「それが読者にとって居心地の良い物であればあるほど、現実のスポーツのリアリティを脅かすことになるだろう。泥臭いスポーツなど我慢できるものか、漫画のスポーツこそ本当のスポーツという感性まで、この地点まで来るとさほど遠くない」と評している。また、政治評論家の田中直毅は本作品が受け入れられた理由について「かつての根性ものと違い、『キャプテン翼』では天才という言葉が頻出する。子供たちはひょっとして、今もテーマ性として残されている努力よりも、実は才能の方が決定的な要因だと直感し始めているのかもしれない。天才のサッカー少年と、これをとりまく少年たちの友情を確認することは、子供たちにとって夢と現実とを橋渡しすることになっているのではないか」と評している。漫画家で京都精華大学学長の竹宮惠子によれば、本作品の登場人物のキャラクターデザインについては「類型的」「手足がデフォルメ的」と評されることがある。こうした点について竹宮は自著の中で「作中人物に表面的な極端な差異がないぶん、かえって、パターン化することから遠ざかっている」と評している。また、竹宮は高橋の構図の描き方について次のように評している。
出典:wikipedia
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