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二条昭実

二条 昭実(にじょう あきざね)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿。関白、准三宮。摂関家二条家の当主。織田信長の養女・実娘を娶ったのをはじめ、豊臣秀吉・徳川家康など天下人との接触が多かった。父は二条晴良、母は伏見宮貞敦親王の娘・位子女王。永禄11年(1568年)12月、13歳のときに昇殿を許され、元服。将軍・足利義昭の偏諱を受けて名を昭実とする。正五位下・侍従に叙される。元亀元年(1570年には従三位・権大納言に昇任。天正2年(1574年)には正二位に上る。翌年3月、織田信長の養女さごの方(赤松氏)を妻とする。天正5年(1577年)左近衛大将・内大臣。天正12年(1584年)12月に左大臣・藤氏長者となり、翌13年に正親町天皇の関白となるが、羽柴秀吉(のち豊臣秀吉)が内大臣となるのに伴い、左大臣を辞した。さらに同年7月、関白職を秀吉に譲る。秀吉死後の慶長4年(1599年)、秀吉の晩年の側室だった三の丸殿(信長の六女)を娶った。慶長10年(1605年)、准三宮の宣下を受ける。江戸幕府との関係も良好で、慶長18年(1613年)に養子に迎えた九条忠栄(幸家)の子に、徳川家康の偏諱を賜って康道とした。以後、二条家の歴代当主は徳川将軍家からの偏諱を受けるのが通例となった(二条家は室町時代には足利将軍家からも偏諱を受け、五摂家の中では武家と一番親しい家柄であった)。元和元年(1615年)には後水尾天皇の関白、氏長者に再任され(30年ぶりの再任は極めて異例)、禁中並公家諸法度の制定にも関与して、大御所・家康および将軍・徳川秀忠とともに連署している(ただし、実際の関白・氏長者任命日(7月28日)が予定よりも遅れたために、禁中並公家諸法度への連署の日付(7月17日)の方が先になってしまっている。このために一般には「前関白」と認識されている事が多い)。古式典礼に詳しく、公家界の長老として、また武家との窓口として晩年に至るまで活躍した。元和5年(1619年)、中風が原因で薨去。享年64。同日関白職を辞す。院号として後中院を贈られ、嵯峨二尊院に埋葬された。家督は嗣子・康道が継いだ。※ 日付=旧暦

出典:wikipedia

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