美章園駅(びしょうえんえき)は、大阪府大阪市阿倍野区美章園一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。駅名の由来は、大阪の財界人である山岡美章が大正年間に設立した美章土地株式会社がこの駅の付近の土地を住宅地として開発したことに由来する。ただし、開発したときの美章土地の経営者は大阪商工会議所第8代会頭、大阪商船(現在の商船三井)や日本電力(現在は解散)の社長などを務めた息子の山岡順太郎である。1945年(昭和20年)2月14日午後8時過ぎ、アメリカ軍による空襲で、B29が阿倍野区内だけに3発の爆弾を投下した。そのうち1トン爆弾1発が当駅構内に落下し阪和線の鉄筋コンクリート橋脚を粉砕、付近の民家20件ほどを破壊し死傷者30余名を出した。運悪く和歌山行きの電車が発車した直後でホームに多くの人がいたため、多くの死者が出た。1951年(昭和26年)8月24日、駅東側に当時の駅職員によって「遭難供養之碑」が建てられた。この時に明浄高等女学校(現・明浄学院高校)裏にも爆弾が落下し、同校生も犠牲になった。近くの文の里公園に「慰霊塔」がある。それには大阪市最初の被爆地と書かれているが、実際には2月14日より前から大阪市内に空襲が行われている。大阪市内で空襲慰霊碑のある駅としては、他に1945年8月14日の京橋駅空襲で被害を受けた大阪環状線京橋駅がある。相対式ホーム2面2線を持つ高架駅。分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。通常使用される改札口は東側のみだが、平日の朝ラッシュ時には西側の改札口も利用できる。2008年3月にエレベーターが整備され、歩道と改札口の段差にもスロープが設置されるなど、バリアフリー化が進んでいる。天王寺駅が管理している直営駅で、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。ICOCAが利用することができる(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。当駅をはじめ、これより先和歌山方面の快速通過駅全駅共通で、主に日中時間帯を中心に上下線とも1時間あたり4本の停車である。阪和線内では各駅停車区間になる鳳駅 - 日根野駅間の「区間快速」・日根野駅 - 和歌山駅間での「紀州路快速」の停車駅は4本に統一されている。付近に学校が多く、学生の利用者がかなりの部分を占める。大阪府統計年鑑によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。このほか、駅の東側は古くからの商店や住宅が所狭しと軒を連ねている。阪和線の高架下には商店が軒を連ねている。周辺道路は交通量が多い上に歩道が狭い。1990年代まで近鉄バスもあべの橋と志紀車庫・国分方面を結ぶ路線が停車していた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。