如来 (にょらい)とは、仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。あるいは、大乗仏教における諸仏の尊称。如去とも。元になったサンスクリット語はतथागत( タターガタ)であり、ひとまず「如 ( タター) 」の後に来る語を「去れる ( ガタ) 」とするか「来れる ( アーガタ) 」とするかで如去、如来と漢訳し分けられる。音写として多陀阿伽陀(ただあがだ)がある。しかしながら実際の意味は、そのパーリ・サンスクリットなどの原語から解釈したものや、「如来」「如去」という漢訳語から再解釈したものなど多岐に渡るため、一概に決定説を挙げることはできない。代表的な如来である釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来のことを四如来という。ブッダゴーサによる語義釈の全てではないが、一部として、などがある。仏教学者・中村元によれば、「タターガタ」()とは本来、「そのように行きし者」「あのように立派な行いをした人」という語義で、仏教・ジャイナ教・その他の古代インド当時の諸宗教全般で「修行完成者」つまり「悟りを開き、真理に達した者」を意味する語であり、「如来」という漢訳表現には「人々を救うためにかくのごとく来たりし者」という後世の大乗仏教的な見解がひそんでおり、初期仏教における語義とは乖離があると指摘している。「如」は「真如」。真如の道に乗じ、因より果に来たって、正覚を成ずるから「如来」と名づける。真如の道に乗じ、三界に来たって化を垂れるゆえに「如来」と名づける。応身如来。問うていう。如を体ししこうして来るが故に如来と名づくとは、是れ応身なるや。来の義あるべし。真如法身、いかんが来あるや。答えていう。本陰、今顕すが如く、また来と称するを得。(勝鬘宝窟上末)諸仏のごとくにして来るゆえに「如来」と名づける。二身、三身に通じる。
出典:wikipedia
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